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愛するがゆえに湧く嫌悪 レストランへの複雑な心

マイケル・ブースの世界を食べる 更新日: 公開日:
Photo: Toyama Toshiki

私は外食が大好きだ。機会があれば、新しいレストランのテーブルで、メニューを開こうとする瞬間にずっととどまっていたい。

期待がふくらむ素晴らしい数秒間は、可能性に満ちた至高の瞬間だ。10回のうち9回以上の外食で落胆しても、特別な1回に出合うチャンスはいつだってある。日本料理店で「おまかせ」を頼むときもしかり。シェフは何を作ってくれるのだろう。どんな未知の体験が待ち構えている?

これはレストランの素晴らしさの、ほんの一例だ。よく鍛えられたウェイターが誇りを持って働くさまを拝めたり、めったに出合えないめずらしいワインや酒を試せたりするのもいい。食べる役目に徹することができるのも嬉(うれ)しいし、洗い物をしなくていいなんて最高だ(誰かさんの小言を聞かずに済むのも!)。

レストランにしか作れない料理もある。その一つがラーメンだ。誰が自宅で一日かけて豚や鶏の骨を煮込むだろう。豚足の骨を取り除くのも、野ウサギの王家風と呼ばれるリエーブル・ア・ラ・ロワイヤルのばかばかしいほど複雑で厄介な下ごしらえもご免だ。天ぷらは自分で作るたび、何日も揚げ油のにおいが残る。しかし、こういうことを自分に代わってすべてうまくやってくれる類いの人がいることもわかっている。

レストランが犯す最悪の「罪」とは

当然、イラッとくることもある。冗長すぎるメニュー、チップの算段(日本では心配無用だが)、もはやこちらを気にかけていない厨房(ちゅうぼう)から繰り出される料理……。何よりも、才能に恵まれながら挑戦を諦め、平均点どまりに落ち着いたシェフは最悪だ。少なくとも果敢に挑戦して失敗に終わったおいしくない料理にさえ、語るべき何かがある(それと私が嫌でたまらないのがウェイターに「どうぞお楽しみください」と言われること。単に自分に限った歪んだ嫌悪感なのかもしれないが、もし差し支えなければ何かを楽しむかどうかは自分で決めさせてほしい)。

昨晩はアムステルダムにあるクールなレストランへ出かけ、レストランで食べることの良い点も悪い点もそれぞれ味わってきた。この「デ・カス」は、今話題の産地直送型レストランの一つだ。店は街の中心部に広がる公園脇の大きな温室の中にあって、料理で使うハーブや野菜をそこで育てている。今回はデザートが絶品で写真に残したが、ルッコラのペーストは毒のように苦く、子羊の焼き色はくすんでいた。店員には何度か「お楽しみください」と言われ、そのたびに歯を食いしばるはめになった。一方でかなり面白いオーガニックワインを置いていて、特にオランダ産のスパークリングワインが思いがけずおいしかった。エルダーフラワーの繊細な後味は、グラスの中に春が舞い込んだようだった。

誰もがソーシャルメディアの「ユーザー」「レビュアー」であるこのご時世、シェフやレストランを批評することはあまりにたやすい。多くの場合は、編集もフィルターも通すことなく、衝動のままにワンクリックで感情をはき出している。店の評判なんて、一瞬で永久に傷つけることができるのだ。しかし、料理人として修業を積み、パリの星つきレストランで働いた経験のおかげで、レストラン業界をこれまでとはまったく違う目で見られるようになった。最近ではどんな料理が運ばれてこようとも感謝、感激している。数々の計画や調整、身を粉にするような仕事ぶりが伝わってくるからだ。たとえ、店の料理がおいしくなかったとしても。

「デ・カス」についての否定的なことだけをネット上であげつらうこともできた。しかし実際には、私はまたあの店で食事をするだろう。なぜならレストランが犯し得る最悪の罪、「退屈」を免れているのだから。(訳・菴原みなと)