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中国「ゼロコロナ」政策めぐる抗議デモ、北京育ちの筆者が聞いた中国人たちのホンネ

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東京・新宿駅南口で開かれた在日華人らによる抗議集会。白紙を持つ人もいれば、「自由をくれ」などと書いた紙を持つ人もいた=2022年11月30日、東京都新宿区、今村優莉撮影

武漢から鳴った電話「こんな国で生活が豊かになるか」

11月27日夕方、日本ではサッカー・ワールドカップの日本対コスタリカ戦で盛り上がっていたころ、東京の筆者のもとに湖北省武漢市に住む王さん(=仮名)から音声通話アプリを使って電話がかかってきた。

2020年、新型コロナの感染が広がり、世界に先駆けて武漢がロックダウンした際、取材したことがきっかけでずっと連絡を取り続けていた人だ。

「今すぐツイッターを開いて“漢正街”の様子をみて欲しい」

パソコンでツイッター画面を開き、王さんに言われた武漢市の繁華街の名前を入力すると、大勢の市民が抗議活動を展開し、その一部が街を封鎖するバリケードを破壊している動画などが多数投稿されていた。

武漢ではその少し前から感染者が微増しており、緊張感が高まっていたという。

ある小学校では2年生に陽性者が出たため、強制的に全員が宇宙服のような防護服を着せられ、別の場所に隔離された。その様子を映した動画も王さんからは送られてきた。

「親は一緒に行けない。2年生のこどもは一体どうすればいいんだ!」

それから王さんは、私に怒りをぶちまけた。

「こんな国で、若い世代の生活が豊かになると思う?」

「私は子どもは作らない。そう自分に誓った」

「みんなの我慢が限界に達したんだ」

「とにかく今日は武漢の様子に注目しておいて。ワールドカップよりよっぽど面白いことが起きるから」

王さんの言葉通り、武漢では夜を徹して多くの人が街に繰り出し、いつのまにか「自由を!」と声を上げる大規模な抗議に発展していった。

武漢だけではなかった。その週末は北京、上海、成都、広州といった各地の大都市で、市民が自由や民主を求めて抗議を繰り広げていた。

名門大でも「民主主義、法の支配、表現の自由」コール

いまや中国のゼロコロナ政策への抗議活動の代名詞となった「白紙革命」「白紙運動」という言葉を多くの人が知ることになったのは、理系の中国最高峰とされる北京市にある清華大学での集会だろう。

数百人が食堂前に集まり、白紙を掲げ「民主、法治、表現の自由を!」と唱えた動画や写真は、あっというまに国内外に転送された。

SNSでは「俺たちにも表現の権利がある」として、白紙を手にする人が次々と増えた。さらに、反政府的ではないことを示そうとしたのか、集まった数百人は中国の国歌「義勇軍進行曲」の斉唱をした。

ロイター通信が配信した別の動画では、ある男子学生が「こんな生活を3年だ。これは異常なんだ。もう十分苦しんだ」と叫んでいた。

同じころ、清華大学から3kmほどの距離にある北京大学では「北京大学の学生による感染対策問題への呼びかけ」と題したこんな声明が出されたと話題になった。

「ゼロコロナ政策の名のもと、多くの問題が露呈され、耳をふさぎたくなるような悲劇が生まれている」「強制的な行政手段が人々の実際の訴えを顧みないままノルマだけを増やしていったことで、多くの荒唐無稽な茶番と悲劇が生み出されていった」と政権を痛烈に批判。「中国の民主と科学のゆりかごとして100年以上、常に人民とともに歩んできた北京大学の有志の学生からの提言」として、

  • 公権の乱用を避けるため、国が定めた「伝染病防治法」の及ぼす範囲以外での封鎖行為を解除すること
  • 人々を監視する技術として使う「通行証」「健康コード」をなくし、その財源をワクチンや医薬品の開発といった有効な使い方をすること
  • 非陽性者または無症状患者に対しては強制的に隔離するのではなく自発的に検査を受けさせること
  • SNSでの言論空間を解放し、人々に批評と建設的な意見を交わす機会を与えること
  • コロナに関するデータを正確に公開すること

という5項目を要求する文書が出回った。

息苦しさ増す社会、当局を警戒しながら発言し始めた友人たち

筆者の長年の友人でもある同大出身の30代の女性は「地下鉄に乗っている時に学生たちの抗議活動の様子や抗議文を読んで涙が止まらなかった」と、無料通話アプリを通じてメッセージをくれた。

自身が使う中国版LINE「微信(ウィーチャット)」の投稿シェア機能「モーメンツ(朋友圏)」でも、これまで発言を控えていた友人らがゼロコロナ政策について、当局に削除されないよう注意しながらも、少しずつ自分の意見を投稿するのを目にしたそうだ。

「自分も親が1カ月以上隔離されたことがある。連絡は取れたが、施設を転々とさせられ、薬すら届けてあげられなかった。やつれていく姿をみて私自身も気がおかしくなりそうだった。あの時、中国はどうしようもないと本気で思った」と振り返る。

筆者の別の友人で、今は米国籍を持つ北京大出身の別の女性は、声をあげる“後輩たち”を心配する。

同大を卒業したのはもう10年以上前で、当時は前国家主席の胡錦濤政権下。街頭でデモをする人もおり、腐敗や賄賂を追及する中国国内のメディアも多数あった。

中国国内で流れる空気はあの頃よりも息苦しいと感じ、「この10年ほどで、人民は党に逆らうことは許さないという空気感が醸成され、多くの人は洗脳されていることすら気づかず過ごしていると思う」と厳しい。

「私はいま海外にいて米国籍を手にしたので自由に発言できるけど、彼らは就職も控えていて将来もあるのに、こんなことをして大丈夫なのだろうか。ただただ、若い中国人たちの未来が心配」

 「手には白紙。全ては心の中に押し込められている」

日本大使館も並ぶ大使館エリアにある北京市の亮馬橋であった抗議活動も印象的だった。北京で育った筆者は、両親の自宅が亮馬橋の付近にあり、SNS上で見た抗議の現場はすべて見慣れた場所だった。

白紙を持って「俺はPCR検査するぞお!」と叫ぶ男性の姿もあった。

北京市など多くの都市の人々は48~72時間ごとにPCR検査を受けなければならなかった。白紙を持ち、PCRに反対するとは言わない。検査当局の進める政策を逆手にとって風刺で抗議する動画には、北京人らしいユーモアを感じた。

別の女性はマイクを持って、11月に新疆ウイグル自治区ウルムチ市で少なくとも10人が犠牲になったアパート火災、通称「ウルムチ火災」に言及。火災のあったアパートや周辺地区がコロナ対策で封鎖され、消火活動が遅れたことが被害を広げたとして、こう訴えた。

「(ウルムチ火災で)外では報道されたのに私たちの国で報道はあった?」「ない!」

「わが国では全てウソ!沈黙!次の瞬間言われるのは”封鎖”」

「我々は白紙を持っている。紙には何が書かれている?何もない!全ては心の中に押し込められている」

その後、市民らは白紙を手に沈黙したまま立ち並び、周囲の車両がクラクションを鳴らして支持を表明した。

抗議は翌28日未明まで続き、大勢の市民がついにあのスローガンを訴えた。

「PCRは要らない、自由をくれ!(不要核酸要自由)」

市民の大声に、バイクがクラクションで呼応した。

動画は「新源里」という場所で撮影されていた。筆者の実家から一番近い大型スーパーがある場所だった。買い物で通いなれた場所が、政権への抗議の舞台になったことに興奮とともに、首都・北京でこのような抗議をしている人たちが、果たして無事でいられるだろうか…と不安も覚え、真夜中の自宅で一人、パソコンの画面から目が離せなかった。

 日本でのデモ、主催者「スローガンなし、主張なし、訴えなし」

場所を東京に戻す。

日本でも、中国国内の抗議活動に呼応するように在日華人による集会があった。

今月2日午後8時ごろ、東京・池袋駅中央西口広場には、約100人ほどの中国人らが集った。中央には上海での抗議活動のさなかに突然撤去された「ウルムチ路」の看板を模した段ボール紙と、多数のキャンドル。そして、白紙と花束が並べられていた。

東京・池袋駅前で開かれたウルムチ火災犠牲者への追悼会。たけだけしいスローガンは一切なく、現場は非常に静かに行われた=2022年12月2日、東京都豊島区、今村優莉撮影

「何あれクリスマスのイベント?きれいー」

通りがかった日本人女性のグループがそのイベントの趣旨にまったく気づかないほど、会は静かに行われていた。

誰一人スローガンを叫ぶ者はいなかった。

主催者はSNSで「スローガンなし、主張なし、訴えなし」と注意を促した。それでも、中国人が集まると何か起きるのではないか。そう思ったのは、2日前に新宿駅南口であった抗議活動で、ゼロコロナ政策とは無関係の主義主張をする人が集まりだし、騒がしい集会となったのを目撃していたからだ。

だが、池袋での集会は違った。開始時刻を過ぎても現場は非常に静かで、始まったのかどうかわからなかったほどだ。

並べられたキャンドルに、集まった人々が次々と花束を添えていく。誰一人大きな声を出すことなく、寒空の下、手を合わせる人、白紙を手にする人。それぞれの思いを抱えて無言を貫いていた。

秩序も保たれ、時折、人の輪が少しでも大きくなると「通行人に迷惑がかかるので下がって」と中国人が互いに注意しあっていた。

東京・高田馬場駅前で行われた抗議活動に集まったのは数人だけだったが、ゼロコロナ政策や共産党政権の問題点について演説した男性(21)は「ずっと心にためていたことを言えてすっきりした。中国国内の同胞たちが頑張っているのに、自分が声をあげないと彼らに申し訳ないと思った」と話した=2022年12月4日、東京都新宿区、今村優莉撮影

その様子を遠巻きに見ていた一人の男性に話を聞いた。

「羽田(=仮名)と呼んでくれ」と言った彼は20代前半。

2008年の四川大地震を幼いころに経験し、一家で被災した。視察に来た党の高官に対して、地元当局の腐敗や支援物資の不足を直訴しようとした地元のおじいちゃんが、地元警察から暴力行為を加えられていたのを目撃した。

テレビでは「偉大な中国共産党はすべて人民のために奉仕する」と言っているのに、現実では「子供ながらに賄賂や腐敗を肌で感じていた」という。

「僕らが学校で教わっていることと現実はまったく違う」と、心に変化が芽生えた。高校生にもなると中国政府のネット規制(ファイアウォール)を抜ける方法を覚え、外国の報道に触れた。中国の学校では決して教わることのない天安門事件についても「写真や外国での報道で学んだ」。

日本に来る直前、新型コロナが中国を襲った。「当時はコロナというものがどんな病気かもわからず、致死率も高かったと聞いたので、政府の方針は理解したし支持もした。でも、いまは違うと断言できる。コロナ対策はいまや政治問題なんだ。習近平が保身のためだけにやっていることなんだ」

抗議活動はこのまま続けたいか。そう問うと、彼は数秒沈黙したあと、言葉を選ぶようにゆっくりとかみしめながら語り始めた。

僕自身は共産党に反対だけど、言動やSNSでの投稿にはものすごく気を使っている。(中国人の)友人の中には共産党のやり方に不満があると話す人もいるけど、大勢の前では決して意見を出さないよ。日本にだって中国の公安が目を光らせているし、家族がまだ中国にいるからね。今回は国内外の一部の勇気ある中国人たちが『共産党は退場しろ』と言ったけど、やっぱりそれは言えない人が圧倒的に多いのだと思う」

中央政府は、各地でのゼロコロナ対策を緩め始めている。

抗議の声が届いたと思う人もいるかもしれない。日本国内での抗議活動の勢いもいったんは落ち着いてきた。だが、一度着いた火がそう簡単に消えるだろうか。

国内での抗議活動で出会った中国人たちに話を聞くと、筆者と同じようにいてもたってもいられず、日本にいながら中国の同胞や親類、友人、自分につながる誰かのために声をあげたい…その一心で集まっていたのを知った。

これからどこへ向かうのか、しばらく注目していたい。抗議に参加した人々が安全に暮らしていることを願いながら。