李さんの最後の書き込みは、亡くなる6日前の2020年2月1日午前11時41分。「今日、PCR検査の結果が陽性だった」と書かれている。このアカウントは閉鎖されず、今でも閲覧することができる。
2年前の出来事は、今も私たちの記憶に新しい。
19年12月30日、武漢市の医療関係者が閲覧できるグループチャットで、李さんは「7人が重症急性呼吸器症候群(SARS)にかかり、私たちの病院に隔離されている」と警鐘を鳴らした。
これを問題視した警察当局は4日後の20年1月3日に李さんを呼び出し、「ネット上でデマを流し、社会秩序を乱す発言をした」として訓戒処分とした。国営メディアも「原因不明の肺炎についてデマを流し8人が摘発された」などと報道した。だが、新型コロナウイルスの感染拡大が明るみに出ると、李さんの告発は正しい行動だったとして称賛が広がった。
李さんは全面封鎖された武漢市で医療現場に立ち続けて新型コロナに感染、命を落とした。死亡が報じられると、言論統制が厳しい中国では珍しく、当局に批判的な声がネット上で噴出した。人民の命を軽視した当局の隠蔽(いんぺい)体質による犠牲者の象徴として、庶民の不満が爆発したのだ。
李さんへの同情と政府批判の声が広がったのは、彼が庶民感覚に近い「普通の人」だったからだ。
彼が公開した警察の「訓戒書」を読むと、李さんは「警察に積極的に協力し、違法行為を中止できるか」と問われて「できます」と答え、「もし悔い改めず、違法活動を継続すれば法的制裁を受ける。わかりましたか」との指摘に「わかりました」と書いている。ここから浮かぶのは、逮捕も恐れず反骨心あふれる民主活動家や人権弁護士らとは違い、警察官に怖じ気づく普通の青年の姿だ。
しかし、そんな李さんだからこそ、良心から発した告発が違法行為として処分された理不尽さに民衆は憤った。彼は生前、中国メディアの取材に「健全な社会であるならば、声は一つだけになるべきではない。公権力が過剰に干渉することにも同意できない」と語った。どこにでもいそうな青年が絞り出した言葉だからこそ、いっそう庶民の心に響いた。
李さんの死に対する反響のあまりの大きさに、国家衛生健康委員会などが「深い哀悼の意」を表明するなど、当局や官製メディアがこぞって彼を「英雄」に祭り上げた。異論を徹底的に封じ込めてきた中国当局としては異例の対応だ。それからというもの、李さんのウェイボーに書き込みが絶えない。
中国政府は20年9月に、新型コロナウイルス対策で貢献した研究者らを表彰している。その中に李さんはいなかった。彼のウェイボーにメッセージが続々と寄せられた。
「なぜあなたが表彰されないの?」 「彼らはあなたを忘れても、人民と世界は忘れない」ウェイボーへの投稿から
習近平国家主席は表彰式で「人類と疾病との闘いの歴史における英雄的壮挙を成し遂げた」と成果を強調したが、「勝利はいいが、反省はどこにある?」といった書き込みもあった。
今も刻々と李さんの最後の投稿にはメッセージが寄せられ、100万件をはるかに超えている。
「李先生。天国でいかがお過ごしですか?」 「最初に警鐘を鳴らしたあなたこそが英雄です」ウェイボーへの投稿から
厳しい言論統制下だけに、あからさまな政府批判は少ない。ただ、李さんの死を心から悼む無数の中国人のメッセージの裏には、中国共産党が発する一つの声に絶対服従を強いられる社会への暗黙の批判が隠されているのは間違いない。