■脱ロシア産エネルギーで、一気に増した中東の重要性
中川:ロシアのウクライナ侵攻は、世界のエネルギー安全保障、地政学にも大きな影響を及ぼしています。世界の3大リスクである「アジア」「ロシア」「中東」で、アメリカは2021年夏のアフガニスタンからの撤退で、脱・中東戦略を加速させようとしていました。
ところが今回、皮肉にも、世界がロシアのエネルギーに依存できなくなったことで、世界最大の産油国サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、液化天然ガス(LNG)の最大生産国カタール、つまり中東の湾岸産油国の重要性が一挙に増しました。
バイデン政権も、ロシアのウクライナ侵攻が現実味を帯びてきた1月31日には、カタールのタミム首長をホワイトハウスに招き、LNGの供給拡大について議論しました。湾岸の盟主サウジアラビアがいまだ招かれない中で、また日本の岸田総理もいまだ訪米できていない中で、破格の待遇と言えます。
アメリカは、トランプ大統領時代は、サウジアラビアを初めての外国訪問国に選ぶなど重視していましたが、バイデン政権はサウジの人権問題を厳しく追及したため、関係は冷却化していました。
中川:実権を握るムハンマド皇太子をカウンターパートともみなしてきませんでしたが、今回、アメリカも、サウジやUAEに原油の増産を頼まなければならない状況になっており、アメリカの一部報道ではバイデン大統領が4月にサウジを訪問し、そのムハンマド皇太子と会談するとのニュースも流れています。
今回のウクライナ侵攻で、アメリカも(エネルギー安全保障の観点で)中東への再関与に舵(かじ)を切らざるを得ない、外交戦略の転換を迫られる可能性もあります。
日本も岸田総理が、サウジのムハンマド皇太子、UAEのザーイド皇太子と電話会談を行いましたが、日本は中東に約9割の原油を依存している事実を、再認識する必要があると思います。これに対して、ロシアはわずか4%。それでもこの4%を失うことはできず、日本は、アメリカのロシア産原油の禁輸措置に追随していません。
パックン:中川さんのおっしゃるとおり、中東の影響力が急に増しましたね。今回のウクライナ情勢の展開をもって、バイデン政権はイランの核合意(※)の再建に向けた交渉を急いでいると思います。核合意を早く再建して、イランへの制裁を解除して、イランが原油を輸出できれば、世界のエネルギー供給事情にも良い影響があるからです。
(※イラン核合意=イランが濃縮ウランや遠心分離機を大幅に削減し、これを国際原子力機関〈IAEA〉が確認した後、見返りとしてイランへの経済制裁を段階的に解除するという、米中ロ英仏独とイランの間の合意。オバマ政権下の2015年に成立するも、トランプ政権下の2018年にアメリカだけが離脱、バイデン政権は復帰を目指している)
■制裁や国際法の「抜け穴」が、はらむリスク
中川:イランとの関係で言うと、日本もかつてはアザデガン油田という大きな油田の権益を持っていたのですが、イランの核合意以前のアメリカによるイラン制裁の余波で、日本は撤退を決定したんです。しかし、実はその後、中国の石油公社が、その油田の権益を奪ってしまいました。
今回、ロシアのサハリン油田について、日本政府や商社にとっては同じような局面となっています。要は制裁に抜け穴をつくってはならないんです。日本がロシアの蛮行に反対して、正義を振りかざして撤退しても、中国がそこに入ったら、日本の国益を損なうだけになってしまいます。
中川:エネルギー安全保障は国益そのものです。日本の国民の生活を守るのか、世界的な正義を重視するのか、日本の針路が問われています。
イランの核合意について言えば、ロシアもそのメンバーですが、もし核合意が再建された場合は、ロシアも対イラン制裁解除の恩恵を受けて、イランからの原油を輸入できるよう、その権利を保証しろと言ってきています。
しかし、そんな抜け穴を認めたら、何のために世界が今、ロシアに制裁を課しているのか分からなくなります。ロシアのウクライナ侵攻の直前まで、アメリカもイランもそれぞれの政府関係者が、交渉は最終段階にあると言っていましたが、このロシアの要求により現在は頓挫しています。しかし、同時に「ロシア抜き」のイランの核合意再建の可能性も模索されています。
パックン:ロシアが侵略することによって、どういう損失が発生するのかがポイントです。自国ロシア領での物質的な被害はほとんどなくても、経済制裁のほかに、このように国際合意や国際機関から除名されることもロシアにボディーブローのように効いてくると思います。
パックン:2014年のクリミア併合の際も、それまでロシアはG7+1でG8のメンバーでしたが、その後に除名され、今はG7に戻っています。ロシアは、せっかく民主主義のエリート国の仲間入りをしたのに、そのありがたみをすっかり忘れてしまった。まあ、トランプ前大統領はロシアを復活させようとしていましたが。
一方で、今回の侵略で、国連安全保障理事会の常任理事国のメンバーを変更する議論も活発になるのではないでしょうか。
私は、国連という組織自体は依然重要だと思いますが、安保理常任理事国メンバーが自ら国際法を破る、安保理という機能の存在意義が問われかねないと思います。ドイツや日本が安保理メンバーに入っても良いと思いますよ。戦後レジームを守れない国が常任理事国であるというのはおかしいと思います。
中川:残念ながら、その安保理で仮に決議がなされても、中東ではその決議が実行されない例が多くあります。パレスチナ問題しかり、イラク戦争しかりです。国際法、法の支配は万能ではない、それが、国際社会の歴然たる事実で、日本人もそういう世界の現実をもっと知るべきだと思います。
また、今回のロシアのウクライナ侵攻で、「力」が勝利する結果になってしまうと、そもそも世界の火薬庫であった中東でも、「力」を許容する雰囲気が出かねないと思います。先日イランが、イラクのクルド自治区に敵国イスラエルの軍事拠点がある、と主張して爆撃を開始したように、です。
イランとイスラエルの直接対立はもっとも警戒すべきです。ロシアとウクライナの関係とは違い、真に憎み合う、かつ軍事的にも強大な国同士の対立はなんとしても避けなければなりません。ただ、一方で、中東は、さきほどの湾岸産油国を筆頭に「脱炭素社会」の実現に向けて大きく舵を切っています。
パックン:今回の、ロシアへのエネルギー依存脱却というEUの決心を見て、石油産出国や輸出国は、やはり危機感を覚えていいんじゃないかなと思います。ロシアは依然、エネルギー輸出で、国家の経済を成り立たせていますが、中東産油国は一歩早く舵を切り、産業の多角化を進めています。中東は砂漠も多いので、太陽光発電の資源も豊富ですね。
中川:中東は太陽光発電が世界一安い地域です。私の今の三菱総合研究所での仕事は、シンクタンカーとビジネスコンサルタントという二刀流で、来月はこの湾岸3カ国に、ビジネスネットワークを構築するため出張します。これは日本の国益のためでもあり、中東の豊富な再生可能エネルギーを、日本の成長戦略、脱炭素戦略とどうシナジーさせられるか、果敢に挑戦していきたいと思います。
■ピンチはチャンス エネルギー自給率10%台の日本のこれから
中川:長引くコロナや、今回のロシアによるウクライナ侵攻で激変する世界を目の当たりにし、第2次世界大戦や冷戦後の国際秩序が崩壊する中で、日本という国はどうなんだろうって、日本人はみんな不安になっているんじゃないかと思うんです。
パックン:たしかに2001年の9.11同時多発テロ事件や、2003年のイラク戦争以降では、はじめて日本人の国際情勢への関心がこれほどまでに高まっています。その中で、平和大国としての日本の役割とかできることを国民みんなで考えて、議論して方針を決めていきたいですね。
岸田政権下での憲法改正の議論も、もしかしたら浮上するかもしれません。今回のウクライナ戦争を機に、同じようなことがいつ日本の周辺で起きてもおかしくない、世界3大リスクの1つ中国ともう1つのロシアは日本の隣国だ、という認識のもと、現行日本国憲法、平和憲法の良さも含めてレビューする良い機会だと思います。
パックン:またエネルギー自給率10%強の日本ですから、それも大きなリスクなので、危機感を持たないといけません。世界的な脱炭素の流れの中で、日本が再生可能エネルギー分野などで、もっとリーダーシップを発揮できるのではないでしょうか。
かつて、ケネディ大統領は演説で、「危機」というのは、危険と機会の組み合わせだと強調していました。要は、日本は今、リスクだけではなく、チャンスでもあるということです。
また、日本は先進国だけでなく西洋国と位置付けられることもあります。欧米、アジア、民主主義、幅広いチャネルを使って世界をリードしてほしいと思います。
中川:そのとおりですね、「ピンチはチャンスなり」です。以前、パックンとは別の機会で、外国語の勉強法の対談を行いました。私も、外務省入省後の24歳から、世界最難関のアラビア語を命じられ、大ピンチでしたが、それを克服すると、「中東」という、日本人ではなかなか経験できない世界、価値観を見て、知ることができました。
言語も大事ですね。日本はどうしても英語一辺倒になりがちですが、世界は広いし、くしくも世界3大リスクの、中国、ロシア、中東を深く知ろうとすれば、現地語(中国語、ロシア語、アラビア語等)の理解が欠かせません。
それが、民主主義ではない国々の理解にもつながり、日本社会の奥深さ、多様性、寛容性にもつながっていくのではないでしょうか。政府や企業のリーダーには特にそういう能力が求められると思います。そしてそういう苦しい道を越えたときに、何か新しい日本が見えてくるのではないでしょうか。パックンとは、また別の機会にこの続きが話せればと思っています。ありがとうございました。
(対談は3月16日に実施しました)
(この記事は朝日新聞社の経済メディア『bizble』から転載しました)