打ち合わせ場所は、SF映画を思わせる近未来風のラウンジだった。ワイン色のソファの横に、光る看板が見える。
「はじめまして」
声は男性だが、背の高い女性が目の前に立っていた。私たちは今、仮想現実(VR)サービス「VRチャット」の部屋にいる。
目の前にいるのは、友人を通じて知り合ったVRコンサルタント、リル・ベーグルさん(28)のアバター(分身)だ。
私は、アメリカのメタ社(旧フェイスブック社)のVRゴーグル(299ドル、約3万8000円)をつけていた。両手に持ったコントローラーで、自分のアバターの両手を動かせる。
「面白い場所を紹介するよ」
リルさんがそう言うと、目の前に青く光るタマゴ形の物体があらわれた。
「テレポートするから入って」
アバターで物体に入ると、別の場所に瞬時に移った。遊園地の乗り物にのるようなワクワク感があった。
飛んだ先は、屋台が並んだお祭り広場のような空間。いまは私とリルさんしかいないが、以前、ここでイベントが開かれた。当日は4万人が集まったという。
LGBTなど約100のコミュニティーが集まって屋台を開き、交流した。
「これは友人たちとつくった情熱のプロジェクトなんだ」
リルさんは、自宅でVRゴーグルをつけたまま、1日8時間はVR空間で過ごす。ゴーグルの中にある空間でパソコンを開き、ゴーグルを外さずに作業できる。自室にセンサーを取り付け、足も含めた全身の動きをアバターで表現できるという。
リルさんは、アメリカ中西部のインディアナ州の田舎町で生まれ育った。いまもその人口1万3000人の町に住む。
大学は中退。地元ラジオ局で働いた後に海軍に入り、ワシントン州などで約8年過ごした。
4年ほど前、友人の勧めでVRを始めた。VR上で長時間を過ごすうち多くの友人ができ、自らイベントを開くようになった。
リルさんが忘れられないのが、運営に関わった「VRコン」だ。コロナが広がった2020年、リルさんはVR上で会った友人たちとイベントを企画し、50~1000人からなる、さまざまなコミュニティーを集め、3日続けて催した。
「現実社会なら、こんな大規模イベントの運営を任される機会は与えられなかった。この町では絶対に会えなかった人たちとも会えた」
リルさんのVR上の友人リストは2000人を超えるという。
「何より目を開かされたのは、みんなが持っている確かな人間性だ」とリルさんはいう。
以前、VR空間でつきあった彼女がいた。仮想空間の食卓をはさんで二人で座り、現実の世界で買ったワインを手元に置いて飲み、食事を一緒にとった。テキサスにいる彼女のアバターと、食後はスローダンスを踊った。
「すてきな体験だった。相手を尊重し、褒める。現実と同じさ」とリルさん。「仮想空間でも一人ひとりに個性があり、分身と交流できる。ポジティブな体験だ」
本当にそんな体験ができるのか?
リルさんと会った後、VR上のシステムで、私が住むサンフランシスコの自室から東京の同僚と会議をしてみた。
驚いたのは距離感。2人の同僚のアバターが両隣に座ったときには、本当に挟まれて座っている感覚だった。アバターどうしで握手すると本当に肌と肌が触れあうような「つながり」を感じた。
スイスのジュネーブ大学の人類学者リュドミラ・ブレディキナさんと、日本のVチューバー、バーチャル美少女ねむは昨夏、日本を中心にした約1200人を対象に、「ソーシャルVR国勢調査」をおこなった。
日本の回答者の9割近くは男性で、日本人の約8割は女性のアバターを使っていた。理由は「アバターの外見が好みだから」が6割。「ソーシャルVRで出会った相手と恋愛関係になったことがあるか」との問いに3割が「はい」と答えた。VRの利用時間が長い人ほど恋愛関係になったことがある割合が高くなり、そのうち最多の累計利用時間は、「5000時間以上~1万時間未満」だった。1万時間だと、1年以上もVRで過ごしたことになる。
「現実世界と同じことが、VRで起きている」とブレディキナさんは話す。
これだけ臨場感があるなら、もっと人がつながれるのではないか。
可能性を探ろうと、3月にテキサス州で開かれたテックイベント、SXSW(サウス・バイ・サウスウェスト)を訪ねた。
VR展示会で最初に試したのが、うつ病などの精神疾患がある患者に向きあう医師向けの訓練シミュレーションだ。
仮想空間に入ると、散らかった部屋のソファに1人の女性が座っていた。赤ちゃんが寝ているゆりかごを揺らしている。うつ病に苦しむ母親の「ステーシー」。おそるおそる声をかけてみた。
「……私はダメな母親なの」
うつろな目で言った。目の下にくまが見え、顔は青ざめている。「赤ちゃんは何歳ですか」と聞くと、間をおいて「4週間」と答えた。次にかける言葉に窮してしまい、思わずVRゴーグルを外した。
鳥肌が立つほどの没入感だった。
「感情移入が必要な会話を訓練することができます」
システムを共同で手がける英企業フラクチュアリアリティー最高経営責任者(CEO)のマーク・ノウルズリーさんが説明してくれた。
「この技術は人びとに『つながり』をもたらす。ライブ動画とアバターを組み合わせれば、飛行機に乗らなくても患者と向きあえる」
医療や教育の分野は、VRの用途でとくに有望とされている。
英語で、「put yourself in one’s shoes(相手の立場になって考える)」という表現があるが、他人の立場に自らをおくことで、「分断」を埋める試みも広がる。
展示会場を歩くと、暗闇でネオンのように光る床のうえで、多くの人がVRゴーグルをつけて手さぐりしていた。
幻覚や幻聴に悩む人たちの症状を再現したVRドキュメンタリー「ゴリアテ」だ。
VRゴーグルをつけると、暗闇でいくつものゲーム画面が高速で流れた。体が「暗闇に落ちた」と思ったら、隔離された部屋に一人でいた。周りの風景が流れ、身をゆだねざるをえない感覚だ。
「孤独からぬけだすために人とのつながりを探すことが重要」と、ゴリアテの共同制作者、バリー・ジーン・マーフィーさんは話す。
「体験を通じ、患者の状況を理解してもらいたい」
VRは人間の現実世界の一部をおきかえるのか? そう聞くと、マーフィーさんは「もうそうなっている」と答えた。
「VR上で創造的に空間を共有できる。人は現実の外の経験として夢を見るし、幻想も抱く。VRは現実の延長にすぎない」
仮想空間と知りながら現実でもあるという感覚は私も感じていた。
昨年末にVRゴーグルを買い、休みの日に仮想空間をさまよった。知らない人に話しかける緊張感は現実と同じだ。
サンフランシスコの自室にいたが、最初に話した相手は中東のオマーンにいた。彼がVR上につくったモスクに誘ってくれた。夕暮れの雲海を下にのぞむ天空のモスクはきれいだった。楽しく会話に入れてもらえた幸福感も現実と同じ感覚だった。
「仮想空間は、幻想やフィクションではない」
アメリカのニューヨーク大教授のデイヴィッド・チャーマーズさんは、著書「Reality+(リアリティープラス)」でこう記している。
「仮想空間の生活は、現実世界と同じぐらい、いいものになりうる」