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『地上の楽園』とだまされ、行った国は『奇妙な楽園』だった 北朝鮮帰国事業、映画に

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
1971年、北朝鮮へ帰国するため列車に乗り込んだ在日朝鮮人と見送りの人たち
1971年、北朝鮮へ帰国するため列車に乗り込んだ在日朝鮮人と見送りの人たち=名古屋駅、朝日新聞社撮影

裁判では、帰国事業で北朝鮮に渡った後、脱北した川崎栄子さんらが「虚偽の宣伝でだまされ、基本的人権を抑圧された」などと主張していた。北朝鮮は裁判を黙殺した。東京地裁は、北朝鮮が朝鮮総連とともに虚偽の宣伝で原告らをだました行為を認める一方、訴訟まで46年以上が経過し、賠償を求める権利が消滅したと説明した。川崎さんは判決後、「許されるなら泣きたいです」と語り、判決に対する失望感をあらわにした。

父親の故関貴星(呉貴星=オグィソン=)さんが帰国事業を告発したエッセイストの呉文子(オムンジャ)さんは「川崎栄子さんら、原告団は奇跡の生還者で生き証人です。原告の要求が認められなかったことは残念ですが、判決は、『地上の楽園』などの虚偽宣伝による人権侵害を日本の法律で裁けると判断しており、一歩前進できたのではないでしょうか」と語る。

在日朝鮮・韓国人らは帰国事業で、差別や貧困から逃れるために北朝鮮に赴いた。日朝両政府が了解し、マスコミも北朝鮮を「地上の楽園」と持ち上げた。北朝鮮では在日の人々は差別され、多額の献金を行うなどした一部を除き、地方の農村や炭鉱などで不自由な暮らしを強いられた。移動の自由もなく、日本との往来も許されなかった。

関さんは「帰国を希望する人に実情を説明すべきだ」と朝鮮総連に訴えたが、「帰国事業を妨害する反動」とレッテルを貼られた。呉さんは「父の主張が虚偽ではなく真実だということが、法廷においても審判が下されたことにほっとしています」と語る。

そのうえで、呉さんは「朝鮮総連の幹部たちは、私の父や帰国者、脱北者たちに一言も謝罪していません。当時、北朝鮮をまるでユートピアのように吹聴した日本政府や保守革新を問わず、マスコミにも多大な責任があります」と話す。

川崎さんらの訴えは認められなかったが、裁判は帰国事業の悲惨な実態を改めて世に問う機会になった。

川崎栄子さんが韓錫圭のペンネームで2007年に出版した「日本から『北』に帰った人の物語」
川崎栄子さんが韓錫圭のペンネームで2007年に出版した「日本から『北』に帰った人の物語」(新幹社)の韓国語訳本。金徳栄監督が出版に携わった=金監督提供

帰国事業の映画化を進める金徳栄監督は1965年生まれ。幼い頃に日朝を往来していた貨客船「万景峰号」の話をよく耳にした。「北朝鮮や朝鮮総連は怖いと教えられていた。それでも、貧しいから、日本で生活ができなくなって北朝鮮に行くのだろうと考えていた」と話す。それでも、北朝鮮から逃れた人々や訪朝した人から話を聞くなか、この事業に関心をもち、3~4年前から制作を考え始めたという。

金監督は既に、川崎栄子さんが韓錫圭のペンネームで2007年に出版した「日本から『北』に帰った人の物語」(新幹社)の韓国語訳を出版した。川崎さんともオンラインで対話を続けてきた。

金監督は「作品の名前は、『奇妙な楽園(A STRANGE PARADISE)』。映画のシナリオはできあがっており、本来は2020年中に完成させるはずだった」と語る。新型コロナの影響で訪日できないため、日本にある資料の収集や関係者のインタビューに支障が出ているほか、製作費集めで苦労しているという。金監督は23日の判決の模様も、映画に収めたいとしている。

金徳栄監督が制作を進めている映画「奇妙な楽園(A STRANGE  PARADISE)」
金徳栄監督が制作を進めている映画「奇妙な楽園(A STRANGE PARADISE)」=金監督提供

金監督は2020年、東欧に送られた数千人の北朝鮮孤児たちを描いた韓国のドキュメンタリー映画『金日成の子どもたち』を発表して注目された。今月25日にも、ハワイで開かれる国際映画祭で上映が予定されている。金監督は「『奇妙な楽園』も『金日成の子どもたち』も、北朝鮮の真実を知りたいという気持ちが出発点になっている」と語る。

『金日成の子どもたち』で描かれたのは、北朝鮮による「委託教育」の実態だった。北朝鮮は朝鮮戦争(1950~53年)で孤児になった子どもたちを東欧諸国に送り、共産主義国家の優位性を示そうとした。50年から60年ごろにかけ、5千人以上が対象になった。ブルガリアの歴史学者によれば、ポーランド約1千人、チェコ約700人、ルーマニア約2500人、ハンガリー約500人、ブルガリア約500人などだった。

委託教育は「純粋な人間同士の交流だった。友情と愛情。プロパガンダは関係なかった」という。北朝鮮の孤児は出会う人を「アボジ(お父さん)」「オモニ(お母さん)」と呼んだ。集団生活で一斉に起床し、金日成の姿が描かれた北朝鮮の国旗に敬礼し、金日成をたたえる歌を歌って一日が始まった。

孤児に付き添った北朝鮮関係者と東欧の人々が恋愛関係に陥ったこともあった。映画に出てくるルーマニア女性は北朝鮮からやってきた男性と1957年に結婚した。59年に平壌に赴き、女児も生まれた。同年、夫が北朝鮮の地方に赴いた後、平壌に残ったが、生活費も途絶えてルーマニアに戻った。83年に夫の死亡通知を受け取った。国際赤十字などに支援を求め、生死確認を求めているが、返答はない。

北朝鮮では1956年ごろから権力闘争が激しくなり、ソ連派や中国派を牽制する意味もあって海外との交流を断絶した。同年に起きたハンガリー動乱の影響で、北朝鮮孤児たちも動揺した。ポーランドでは、米国やフランスと連絡を取ろうとした孤児たちが北朝鮮に送還されて政治犯収容所に送られた。

このころから、孤児たちを北朝鮮に戻す作業が始まった。北朝鮮に戻った子どもたちは当初、現地語で「服を送って欲しい」など生活の窮状を訴える手紙を出していたが、59年ごろまでに手紙も途絶えた。

金監督は『金日成の子どもたち』の制作にあたり、関係者や資料探しに苦労した。製作には15年もかかった。金監督は「5カ国はすべて言語が違ううえ、資料がデジタル化されていない。図書館などに通い詰め、ひとつひとつ、資料や映像を探した」と語る。

映画「金日成の子どもたち」のポスターを背にした金徳栄監督
映画『金日成の子どもたち』のポスターを背にした金徳栄監督=金監督提供

『金日成の子どもたち』は米英仏伊独など、15カ国の映画際で上映されたが、韓国では映画館で広く上映されたわけではない。韓国大手ポータルサイト「ネイバー」の映画情報によれば、観客動員数は1700人余りに過ぎない。

金徳栄監督は「新型コロナウイルスの影響も受けたが、文在寅政権が推進する南北政策とこの映画が合わなかったという点もある。映画は1950年代から60年代までの北朝鮮の恥部に焦点を当てているからだ」と語る。「東欧諸国は、この歴史をよく知らずにいた。関係者から、『隠れていた歴史を発掘してくれてありがとう』と感謝された」という。

金監督は「文在寅政権は、南北経済協力によって世界の一流国家になると主張してきたが、本当にそうなのかという疑問がある。北朝鮮の人権や民主主義の侵害をそのまま認めて良いのかという思いもある」と語る。「日本と韓国は人権と民主主義で共通点がある。中国の力が強くなっているなか、もっと仲良くするべきだ。人間が幸せに暮らすためには自由と民主主義が大切だ」と訴える。

金監督は23日の判決を残念な思いで受け止めたという。「コロナの状況が落ち着いたら訪日し、帰国事業に参加した人々に取材し、映画を完成させたい」と語る。「ドキュメンタリーには歴史の流れを変える力がある。何が歴史のなかで起きたのか、自分たちが何を目指すべきなのかを、ドキュメンタリーから感じ取って欲しい」