遠くに自由の女神がのぞめるニューヨーク商品取引所。2月上旬、3階にあるトレーディングフロアの一角で、男たちが「プット!(売り)」「コール!(買い)」と大声を張り上げていた。
「ここが世界の金先物取引の中心地さ。この調子でいけば、年内には2000ドル突破は堅いね」トレーダー歴23年という男性は、頭上のモニターから目をそらさずに話した。2000ドルというのは1トロイオンス(約31.1グラム)当たりの価格だ。
米国経済は復調の兆しをみせるものの失業率は高止まりし、停滞の影はなお濃い。金の「活況」は隔絶された世界のようにもみえる。
ほぼ10年にわたる金値上がりの起点は、米国の危機と重なっていた。2001年に米同時多発テロが起こり、株式や債券、通貨よりも安全とみられた金が買われ出した。
ITバブル崩壊後と、08年の金融危機のときに景気の落ち込みを避けるために米国は大幅な金融緩和を実行。世界に出回るドルの量は10年間で約4倍に膨らみ、その資金が金市場にも集まった。ニューヨーク市場のトレーダーの一人は「買い注文はヘッジファンドからが多いが、企業、大学の年金基金も買っている」と話す。
実際、テキサス大学基金は昨年、先物で買った約10億ドル分の金の現物を受け取った。
03年には金価格に連動する上場投資信託(ETF)が登場。株式と同じように取引できるようになった。自動車営業マンからトレーダーに転じたというルイス・グラッソは「金を買う手続きはボタン一つ。車を買うよりも簡単だ」。
ニューヨークに金の先物市場ができたのは1974年。金の値動きで利ざやを稼ごうとする投資が流れ込み、価格を左右する中心地になった。一方、じっくり金を持ちたい投資家や業者間の売買は、ロンドンで行われることが多い。
ロンドンでは、1919年から「フィキシング」と呼ばれる、独特の金の値段の決め方が続いていた。金融街シティにあるロスチャイルド銀行の古式ゆかしい部屋に、午前と午後の2回、大手5銀行の代表者が集まる。議長役が値段を示し、残る4行が、その値段での売り買いの量を提示。売買がバランスするまで値を上げ下げして、価格を決める。
英大手銀行HSBCの貴金属部門総責任者ジェレミー・チャールズ(56)は、かつてフィキシングに参加したことがある。「とても面白いが、とにかくしんどかった。ミスをすればすさまじい損失を被るからね」2004年以降は電話での値決めになったが、業者間の取引には今も欠かせない指標だ。
ロンドンの強みは、金の実物を保管する「金庫」としての機能だ。日本とオーストラリアの業者同士が金を売買する際も、それぞれがロンドンの銀行に開く口座間でやりとりし、必要があれば、ロンドンの保管庫から実物を出し入れするのだ。
大手銀行の保管庫はロンドンを囲む環状道路「M25」の内側に置くことになっているが、場所は秘密だ。だが、HSBCは昨年、米CNBCテレビのキャスターを保管庫内に入れ、映像を撮らせた。場所を知られぬようキャスターは窓に幕をかけた車で目的地へ。番組は、金塊の山を映し、あるETF銘柄の財産として保管されている金だと説明した。
金のETFには、金を実際に買い入れ、銀行に預けておくタイプの商品がある。HSBCのチャールズは言う。「米国で『本当に金はあるのか』と怪しむ声が出た。それを打ち消すために、異例の撮影を認めたのだ」(文中敬称略)(都留悦史、青山直篤)