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五感の中でもっとも研究が遅れているのは、嗅覚 ノーベル賞研究者に聞く「最前線」

World Now 更新日: 公開日:

――嗅覚は動物にとって、どんな意味をもつのでしょうか。

天敵のにおいをつかむことは、身を守るのに欠かせません。香りやにおいはホルモンやフェロモンの分泌にも影響し、攻撃や恐怖、子どもに乳を与える母性のように、さまざまな感情の動きや行動につながります。

――嗅覚は生存に欠かせないのに、仕組みはわかっていませんでした。

私たちの周りには多種多様な「におい分子」があり、構造が似ているものも多い。たとえば、オレンジの香りのもとになる分子と、汗のにおいのもとになる分子の違いはほんのわずかです。動物の鼻がそれらをどうとらえ、どのように脳に情報が伝わり、香りやにおいを識別しているのか。その謎を解くカギである嗅覚の受容体(センサー)の遺伝子を、この手で見つけたいと思いました。

――ノーベル賞の受賞理由となった研究は、クリアに嗅覚の仕組みを説明しました。どうアイデアを練ったのですか。

毎日12~15時間は研究室にいました。だれもいなくなった研究室に残り、椅子をどかして、複数の実験を同時に進めました。いまでも頭の中は研究のことでいっぱいです。

――なぜ、嗅覚を追いかけつづけているのですか。

香りやにおいを感じるときに脳のどこが使われているのか、大まかな地図を描けるようになってきました。でも、細かい仕組みはまだまだわかっていません。たとえば、マウスが天敵のにおいに恐怖を感じるとき、どんな情報が嗅覚のセンサーと脳の間を行き交うのか。また、年をとるにつれ嗅覚が衰えていくのは、鼻の問題なのか、脳の問題なのか。快い香りと、そうでない香りがあるのはなぜか。嗅覚に関しては謎がたくさん残っています。さらに、私たちが周囲の環境をどう認識しているのか、記憶とは何か、恋愛感情や恐怖心とは何なのかといった疑問も、嗅覚の研究を突破口にして解明していきたい。

――好きな香水はありますか。
やっぱりシャネルの5番です。嗅覚の研究に入る前から好きでした。ほかの香水も使うし、いろんな花の香りも好きだけど、シャネルの5番が一番かな。香りで癒やされるといった効果があるかどうかはわからない。気のせいかもしれませんが、好きな香りを嗅げば気持ちがよくなることだけは確かです。食事や飲み物もおいしくなる。香りは、とても大事なものだと思います。

Linda B. Buck 1947年、米シアトル生まれ。嗅覚の仕組みを遺伝子レベルで解明し、2004年、リチャード・アクセル博士(コロンビア大学教授)とともにノーベル医学生理学賞を受賞した。コロンビア大学、ハーバード大学などをへて、フレッド・ハッチンソンがん研究センター(シアトル)の正会員。シアトルにあるワシントン大学客員教授。全米科学アカデミー会員、米医学研究所会員、米科学振興協会フェロー。

【ミニ解説】 においの正体 嗅覚のしくみ

食べ物や花、香水などは、それぞれが何百種類もの揮発性の化学物質を出している。これらを「におい分子」といい、その集合体が香りやにおいの正体だ。

何百種類の「におい分子」の中には、香りやにおいを大きく左右するものもあれば、それほど関係のないものもある。バラの香りと焼き肉のにおいが違うのは、それぞれに含まれている分子の顔ぶれや量が異なっているからだ。

空気中を漂う「におい分子」は、鼻の中の嗅細胞にある受容体(センサー)でばらばらに捕らえられる。それらの情報が脳で統合されてはじめて、特定の香りやにおいとして認識される。

地球上には数十万種類にも上る「におい分子」があり、人間はこのうち約1万種類を嗅ぎ分けている。だが、人間の嗅覚のセンサーは、わずか400種類ほどしかない。人間より鼻がいいイヌでも800種類で、嗅覚を頼りに行動するマウスでも1000種類だ。

このように限られた種類のセンサーで、身の回りにある膨大な種類の「におい分子」をどうやって識別しているのか? 動物の嗅覚のメカニズムは謎だった。

謎を解く突破口になったのが、米国のリンダ・バックとリチャード・アクセルの研究だ。2人はセンサーに関する遺伝子群を初めて突き止め、2004年のノーベル医学生理学賞を受賞した。

バックらはこれらの遺伝子のはたらきを調べることで、一つの「におい分子」が複数のセンサーをオンにできることを解明した。たとえば、人間が何らかの香りを嗅いだとき、400種類のセンサーの中にはオンになるものもあれば、オフのままのものもある。この「オン・オフ」のパターンをもとに、脳は、それが何の香りなのかを識別しているのだ。

400種類の「オン・オフ」のパターンは膨大なので、多種多様な香りやにおいに対応できている。