モスクワ中心部。カフェが並ぶにぎやかな大通りを過ぎて路地裏に入ると、塀で囲まれた4階建ての大きな印刷工場跡が見えてきた。薄暗い室内を2階へ上がると、扉の向こうからかすかにクラシック音楽が漏れ聞こえてくる。
「ラス、ドゥバー、ハラショー!」(1、2、よし)。鏡で囲まれた100平方メートルほどの部屋に、コーチのリュドミラ・ペレゴンツェワ(35)の声が響く。バレエシューズを履いた7人の男女が壁際に一列に並び、鏡を見ながらひざを曲げる「プリエ」と呼ばれる基本動作を繰り返していた。
2年前にオープンしたクラシックバレエ教室「ツェフ」の大人向けクラスだ。生徒は20~60代。職業はサラリーマンや法律家、会計士など。純粋にバレエ好き、健康のため、ダイエット目的。理由も様々だ。
若者に交じってひときわ真剣な表情でレッスンに打ち込むラリーサ・ペトゥホワは49歳。バレエを始めたのは6年前だ。金融機関の事務職は座り仕事が多く、背中や腰の痛みに悩んでいた。運動不足を解消するため、挑戦することにしたという。「踊っているときは、自分はバレリーナだと思っている」。レッスンはほとんど休んだことがないという。
ツェフのような個人向けの教室は現在、モスクワには数百あり、年々増加傾向にあるという。しかし、こうした個人向けの教室が出来はじめたのはソ連崩壊後のほんの十数年前のことだ。
帝政ロシア、ソ連…手厚い保護
ロシアにバレエが入ってきたのは帝政時代の17世紀後半にさかのぼる。皇帝アンナの時代には、フランスから指導者を招き、ロシア初のバレエ学校がサンクトペテルブルクに開かれた。作曲家チャイコフスキーのバレエ音楽も後押しして、19世紀末には、ロシアは世界有数のバレエ大国になった。
革命後のソ連時代になると、バレエはさらに国家の手厚い保護を受けた。才能のある子どもたちは10歳になると、寄宿制の養成学校に進学することを推薦され、英才教育を受けた。ロシアでバレエといえば、「見せる」ものであり、「見る」ものだった。モスクワのボリショイや、サンクトペテルブルクのマリンスキーなど、世界有数のバレエ劇場を誇る。
ところが、ソ連の崩壊で、市場経済化が進み、バレエに対する見方が変わった。ツェフのコーチ、ペレゴンツェワは「国家管理を受けなくなった経済が、踊りたいという市民の需要に応じられるようになった。今後も教室は増えるだろうが、質の高い指導者をどうそろえるかが課題だ」と話していた。
(文中敬称略)