正恩氏は12日、平壌市の新たな住宅建設着工式に、ベージュ色のジャンパーとサングラス姿で現れた。父、金正日総書記は生前、「私は首領様(金日成主席)の指示を実行する部下であり、活動家だ。これが私の作業服、戦闘服だ」と公言し、ジャンパーを愛用した。金正日氏は1994年の金日成氏の葬儀、2000年の南北首脳会談など特別な行事で、人民服を着ただけだった。北朝鮮では「将軍式ジャンパー」と呼ばれ、流行になるほどだった。
北朝鮮関係筋は、正恩氏が父親と似た格好をした理由について「北朝鮮は金日成・金正日主義を掲げている。現体制の正統性は、同じ血統の金正恩が最高指導者だからという根拠しかないからだ」と語る。正恩氏は2020年10月の軍事パレードなどに、金日成氏が愛用したグレーのスーツ姿で現れている。
金日成氏の場合、唯一指導体制を確立させる重要な時期だった1960年代から70年代にかけて人民服を着ていたが、後継体制が整った後は、融和的な外交姿勢を強調する思惑から、ほとんどスーツ姿で通した。
ただ、正恩氏の場合、祖父や父のようにファッションが定まる様子がない。2018年の米朝首脳会談や昨年1月の党大会など、基本的には人民服を着用するが、昨年10月に開いた国防発展展覧会など、折に触れてスーツ姿で登場している。2018年8月、南西部黄海南道の金山浦塩辛加工工場を訪れた際は、上着を同行した李雪主夫人に持たせ、自身はシャツと麦わら帽子姿になった。同年6月、中朝国境沿いの農場を訪れた際には、泥がついたように見えるズボン姿の写真が公開された。
当時、こうした演出は、実妹の金与正党副部長らが考案した「愛民政治」の一部だとされた。一般市民の服装と同じような格好をし、現地視察ではなるべく市民たちと触れ合うように行動することで、市民に親近感を覚えてもらう狙いがあったという。
2015年ごろに訪朝した専門家は、平壌の靴工場を視察した。支配人は正恩氏が視察に訪れた際の逸話を語った。支配人は緊張し、失礼がないように身だしなみに気を配った。ところが、訪れた正恩氏の靴は底がすり切れ、泥に汚れていた。支配人は「身を粉にして働く元帥様の姿に感動した」と語った。この専門家は「これが本当なら、最高指導者の服装に気を配らなかった側近は責任を問われる。正恩氏の庶民性をアピールするための演出だろう」と語る。
日本でもかつて、女性閣僚が同じ服装で連日、国会答弁に立ったことがある。別の男性政治家は遊説中、安い靴を大量に車に積んでおいた。農作業をしている人を見つけると、田植え中でも構わずに靴のままで駆け寄って、人々を感激させたという。政府関係者は「日本や米国で、政治家が服装に神経を遣うのは、選挙で支持を得るためだ。でも、独裁国家で、そんな風に気を遣う必要があるのだろうか」と語る。
確かに、正恩氏のファッションには、矛盾も潜んでいる。
例えば、正恩氏はよく、異なるコートを着用する。昨年1月に行われた軍事パレードなどでは黒い革製のコートを着用した。19年10月に中朝国境の白頭山を訪れた際には、ウールかカシミヤ製とみられるベージュのコート、今月15日に三池淵市であった記念大会や18日に咸鏡南道で行われた温室農場着工式では濃紺のチェスターコートを、それぞれ着用していた。
北朝鮮では、配給制度が機能していた1990年代前半までは、人々は国営企業が生産する服を着る以外、選択肢がほとんどなかった。
70年代くらいまで、ほとんどの男性は夏の間、同じデザインの白い開襟の長袖を着用していた。北朝鮮では、軍に入隊すると、認識票代わりに、腕などに入れ墨を入れるケースが多いため、半袖よりも長袖が好まれたという。
しかし、訪朝した外国人から「全員が同じ服を着ていて異様だ」「コックのような服装だ」という声が出たため、その後は国営企業所ごとに、少しずつデザインを変えて工夫をするよう指示が出たという。90年代半ばに配給制度が崩壊してからは、市民が市場で服を買うようになり、ファッションもかなり多様化した。安い中国製品が出回ったことで、デザインや色合いが以前よりも派手になったという。
それでも、冬用コートは高価で、生活に追われる一般の人々は、正恩氏のように色々なデザインのコートを楽しむことはできない。数年前まで、平壌に住んでいた脱北者は「男性の場合、コートは数年間、同じものを着るのが当たり前だった」と語る。18日の温室農場着工式では、趙甬元党政治局常務委員が正恩氏と同じデザインのコートを着用していた。北朝鮮では、正恩氏を支える「赤い貴族」だけが、最高指導者からの贈り物の恩恵を受けることができる。
様々なデザインの冬用コートを着用するのは、最高指導者や側近たちの権威を高める効果が期待できる半面、「愛民政治」の目的にはそぐわない。
北朝鮮関係筋の1人は「金正恩も側近も、市民がどんな生活を送っているのかわからない。だから、そのときの思いつきで、市民にアピールできると考える服装を選んでいるのだろう」と語る。「逆に言えば、それだけ市民の視線を気にしている。権力の維持に不安を覚えている証拠でもある」
一方、北朝鮮の最高指導者が権威を強調するときにしばしば使う小道具が白馬だ。金日成主席の場合、抗日パルチザン部隊の結成時、白馬にまたがって閲兵するシーンが1980年代の記録映画で再現された。金正日総書記も90年代、白馬で疾走する場面が記録映画で公開された。
正恩氏も2019年10月に白頭山を訪れた際や、最近公開された21年の業績を描く記録映画で、白馬にまたがっていた。米政府系放送局「ラジオフリーアジア」は、記録映画を見た北朝鮮の若者たちが失笑していると伝えている。
ただ、脱北者の1人は「最近は随分情報化が進んだが、それでも、当局が流す情報をそのまま素直に信じる人も多い。子どものころから、最高指導者は自分たちの心臓だ、空のような存在だと教えられてきたからだ」と語る。この脱北者によれば、2013年末に張成沢元国防副委員長が処刑された際、当時住んでいた北東部の清津市では、周囲の9割以上が当局の説明を信じ、「張成沢は殺されて当たり前だ」と語り合っていた。
脱北者は「脱北した今は、金正恩の服装や乗馬する姿がおかしく見える。でも、北朝鮮では依然、こんな幼稚な宣伝工作でも効果を上げているのが現実だ」と語った。