肉が人類の食料の選択肢の一つとなったのは今から250万年前ごろと考えられる。ホモ・エレクトスと呼ばれる段階まで進化した180万年ほど前からは、人類は肉食獣が食べ残した死肉をあさることに加え、狩猟で積極的に肉を得るようになった。
大部分のカロリーは採集した植物からとり、一部の現代人のようにたくさん肉を食べたわけではない。それでも人類の進化に肉食は一定の貢献をしたといわれる。狩猟で協力し、食物を分配し、火で調理し、高栄養の肉を食べることが脳の発達やコミュニケーション能力の向上に役だった可能性が指摘されてきた。
新石器時代の壁画には大きなシカや野生のウシを集団でハンティングする様子が描かれている。皆で猟をし、共に食べることが社会的な絆の形成に役立ったのかもしれない。家畜は人は食物として利用できない草をミルクや肉に変えてくれ、家畜を草原地帯で遊牧することで、人の活動範囲も拡大した。
私は農耕や牧畜の起源地の一つとされるトルコ南東部で、考古遺跡から見つかる動物の骨の状態を調べ、動物と人の関係を探る研究をしてきた。紀元前9500年ごろの地層からはイノシシ、ガゼル、野生のヤギ、ヒツジなど様々な動物の骨が見つかるが、紀元前8500年ごろに家畜が飼われ始め、その500~1000年後には出土する動物は家畜のヒツジ、ヤギが6割、ウシやブタをあわせて9割になる。そのころにはヒツジ、ヤギ、ウシの乳の利用が始まったとみられる。
家畜を飼い始めたきっかけは、食料が足りなくなったというような単純な理由ではなかったと私は考える。はじめは、飼育に時間と手間がかかっても、儀礼などの饗宴(きょうえん)の時に手元の家畜を消費することが重視されたのではないか。調査地トルコの村では今も、お祝いがあるとウシやヒツジを庭先でつぶし、何軒もの家と分けあって食べる。肉はめったに食べない「ごちそう」だからこそ、集団のつながりを確認する媒体として重要な意味を持った。
子どもたちはヒツジが切り分けられ、おいしい料理になって配られるのを見ている。だからこそ、他の生き物の命をいただいて生きることを受け入れる余地があるのかもしれない。現代の日本では、そういう場面を見ることがなくなった。
個々人によって折り合いのつけ方は様々だと思うが、生きた動物と、スーパーにパックされて並ぶ肉との間のギャップが大きいことも、菜食に関心が集まる背景にはあるのだろう。