タモリさんが司会を務める音楽番組「ミュージックステーション」(テレビ朝日)が10月、ギネス世界記録に認定された。
理由は「同一司会者による生放送音楽番組の最長放送」。タモリさんの司会期間は番組初期から34年あまり。名実ともにすごい記録はソーシャルメディアでも話題になった。
でも個人的にこのニュースで注目したのは、認定を受けたタモリさんのコメントだった。
番組で一番印象的な出来事として、タモリさんは次のように語った。
「それはやっぱりt.A.T.u.(タトゥー)でしょう。あれは忘れられないですし、あれを超える出来事はないでしょうね……」
タトゥー。1999年に結成されたロシアのリェーナ・カーチナさん(37)とユーリャ・ボルコワさん(36)の女性デュオだ。
2人は当時10代で、抜群の歌唱力と反抗的でレズビアンという設定が注目され、一躍世界中で人気になった。日本でもファーストアルバムが大ヒットした。
若い世代はピンとこないだろうが、私のような40代であれば、あのときの過熱ぶりは記憶に残っているだろう。
あまりの懐かしさに思わず、この件についてツイートしたところ、4.5万件の「いいね」をもらうなど大きな反響があったので、記事にすることにした。
タモリさんが35年間、ミュージックステーションの司会を務め、ギネス認定されたという。
— 関根和弘/Kazuhiro SEKINE (@usausa_sekine) October 13, 2021
一番印象に残った出来事として「t.A.T.u」と答えたようだ。
若い人たちは生で見ていないだろうし、t.A.T.u自体知らないかもしれない。当時を知る人にとっては確かに衝撃ではあった。
人気から一転、バッシングに
タトゥーは人気絶頂だった2003年6月、初めて来日した。そのとき出演したのが「ミュージックステーション」だった。彼女たちはそこで衝撃的な「事件」を起こすことになる。
番組冒頭で姿を見せていた2人は、いざ歌う順番が回ってきたときにはこつ然と姿を消してしまった。生放送中に起きた前代未聞の「ドタキャン」劇で、タモリさんが「忘れられない」というのも当然だ。
2人は日頃から奔放な行動を見せていたこともあって、ドタキャンは完全に2人の「わがまま」と受け止められた。後日開いた記者会見でも謝罪の言葉はなく、「何も悪いことはしていない」と開き直った。日本中が怒りにわいたようなバッシングが起きた。
この年の12月に再来日し、東京ドームで2日間にわたってコンサートを開いたが、いずれも半分ほどしか埋まらず、チケットは格安で転売された。人気はあっという間にしぼんだ。
それから10年後。私は期せずして彼女たちを取材する機会を得た。2011年にモスクワ特派員となった私は、ロシアがらみでぜひとも取材したいテーマがいくつかあったが、そのうちの一つがタトゥーだった。
日本のエンターテイメント業界ではすっかり忘れられてしまった2人組は今何をしていて、ドタキャンについてどう思っているのか。本人たちの口から直接聞きたかった。
そして2013年4月。カーチナさんとボルコワさんを相次いでインタビューすることができた。批判的な論調で記事を書いていた日本メディアの取材は正直、断られるだろうと思っていた。だが、2人は快く応じてくれた。
予想外の「真相」
2人は当時、ソロ活動に力を入れていた。カーチナさんはアメリカのロサンゼルスに拠点を移していた。ボルコワさんはモスクワにいたが、子育てに専念しており、芸能活動は抑え気味だった。
2人の口から語られたのは、予想外の「真相」だった。
あのときのドタキャンは彼女たちがわがままで起こしたのではなく、当時のプロデューサーが意図的に仕組んだというのだ。
2人の話から当時を再現するとこんな感じだ。
ミュージックステーションの冒頭後、2人はいったん控室に戻り、出演を待っていた。そこにプロデューサーのイワン・シャポワロフ氏から電話が入り、こう指示された。
「2人とも今すぐそこを立ち去れ」
2人は戸惑い、「何で?何で?」と聞き返した。でもシャポワロフ氏は「理由はあとで話す」の一点張り。まだ10代だった2人は彼の指示に従わざるを得ず、番組スタッフの制止を振り切ってテレビ局を立ち去った。
2人はその後、シャポワロフ氏から理由を明かされた。「話題作りのため」だったという。シャポワロフ氏はスキャンダラスな過激な騒動を次々と起こしてはタトゥーの人気をあおっていた。今で言う「炎上商法」(炎上マーケティング)だ。
反抗的な言動やレズビアンという設定も彼の「戦略」で、イギリスでも公演を直前になってキャンセルするなど、各地で騒ぎを起こしていった。
「ミュージックステーション」でのドタキャンもその一環だったが、日本では完全に裏目に出た。カーチナさんはインタビューでこう語った。
「バーニャ(イワンの愛称)は時間に厳しい日本の国民性を完全に見誤った。私たちも若くて彼の言いなりだった」
結局、シャポワロフ氏の路線は2人からも反発を招くようになり、「ミュージックステーション」のドタキャン劇から1年後、タトゥーは彼とのプロデューサー契約を解除した。
タトゥーは再出発し、ロシアや欧米での活動は順調だったが、日本での人気は戻らなかった。「ごめんなさい」という謝罪ソングも作って披露したが、効果はなかった。
カーチナさんはこう悔やんだ。
「あの一件以来、私たちは完全に日本市場を失ったのです。彼は深刻な失敗をしましたし、彼と一緒にやっていた私たちの失敗でもあります。起こしてしまったことは変えられません。日本の皆さんを傷つけてしまったことを謝りたいです。もしすべてを変えられるなら、変えたい」
ボルコワさんも「ドタキャン以降、日本ではタトゥーという存在はタブー扱いでしょう。今でこそ、あの行動がどんなにひどいものだったか理解できます」
2人にとってシャポワロフ氏は「権力者」であり、まさに「従属状態」に置かれていた、というのだ。
「炎上商法」の背景に新生ロシアの事情
それにしてもシャポワロフ氏はなぜ、炎上商法を貫こうとしたのだろうか。効果はあるかもしれないが、リスクも大きい。彼にも取材しようとしたが、病気療養中で、かなわなかった。
代わりに取材に応じたのは、ロシアの音楽業界に詳しい関係者だった。この人物はタトゥーと仕事をしたことがあり、グループの内情に詳しかった。
この関係者はこの国や社会、経済が置かれた状況から丁寧に解説してくれた。それによると当時のロシアは、ソ連崩壊に伴って急激に市場経済へと移行しようとしていた時期だった。
国が経済をコントロールしていた状況から国民は「解放」され、崩壊直後の混乱が招いた貧しさもあって、一攫千金を狙ってショービジネスの世界に挑む人たちが相次いだという。
シャポワロフ氏もその一人だった。元々は小児精神科医で、音楽業界とは縁もゆかりもなかったという。
彼はソ連崩壊直後に医師の仕事を辞め、広告会社などを転々とした。低予算で制作した音楽ビデオを手がけたのを皮切りに音楽業界でのビジネスを始め、仲間とともにタトゥーのプロジェクトを発案したという。
シャポワロフ氏の過激路線はとどまることがなく、どんどんエスカレートしていった。2人を大統領選に出馬させる、反戦活動をさせてノーベル平和賞を狙わせる、などのアイデアも本気で実行しようとしていたという。
ただ、この関係者はシャポワロフ氏の路線の是非はともかく、タトゥーが一時的にであれ世界的なスターになったことについてはこう評価している。
「タトゥーはロシア人の愛国心に刻まれる存在であり、私たちが自尊心を維持するために必要だった」
この言葉にはぐっときた。ロシアの前身ソ連は、東西冷戦時代にはアメリカと並ぶ超大国として世界に君臨していた。
だが、崩壊後は政治や経済が混乱し、大学教授は職を失ってタクシードライバーとなり、女性の中には体を売る人もいた。多くの国民が誇りや心の支えを失い、自尊心を傷つけられた。
そんなとき、彗星のように現れたのがタトゥーだった。活躍によって世界に一泡吹かせたことは、ロシア人にとっては痛快に感じる部分もあったのだろう。
そう考えるとシャポワロフ氏もまた、ソ連崩壊という大きなうねりの中で自らを見失った犠牲者なのかもしれない。
さて、話をカーチナさんとボルコワさんに戻そう。
シャポワロフ氏と決別した2人だったが、路線の違いなどから2009年にタトゥーとしての活動を一時停止し、それぞれソロ活動に入った。
私が取材した当時、カーチナさんはエンタメの本場ロスで楽曲作りにいそしむ日々を送っていた。
驚いたのは、あれだけ激しいバッシングを受けたにもかかわらず、日本のことを好きでいてくれたことだ。取材の合間、ランチを一緒にしたのだが、「私はお寿司が大好きだから」と言って行きつけの店を案内してくれた。
そもそもカーチナさんの日本好きは今に始まったことではない。きっかけは、小さい頃にテレビで見た「美少女戦士セーラームーン」だったという。
このぐらいの年齢のロシア人女性にとって、日本を知るきっかけとしては割とよく共通体験になっているのがセーラームーンだ。改めてこの作品の偉大さを実感する。
被災地支援ソングも
さて、カーチナさんは自宅でインタビューを終えると、仕事場であるスタジオを案内してくれた。そこで披露してくれた曲には感動した。
「Keep On Breathing」というタイトルで、東日本大震災で被災した子どもたちを支援するために作ったチャリティーソングだった。
インターネットで販売し、収益金を「あしなが育英会」経由で震災遺児らに寄付していた。カーチナさんは「テレビで流れる被災地の映像を見て大きなショックを受けました。どんな苦難があっても、とにかく生きて欲しいという思いを込めて作りました」と話した。
当時、ソロアーティストとして3曲を出していたものの、アルバムはまだなかった。過去の栄光からは想像できない、もがいている様子がうかがえた。
それでも彼女は「かつてのようにプロデューサーの言いなりではなく、自分が伝えたいことを音にしている充実感がある」と満足そうだった。
一方、ボルコワさんも日本への思いは深かった。タトゥーの活動停止直前はカーチナさんと対立しがちだったが、「日本での公演がかなうのなら、喜んでリェーナとタトゥーとして日本の舞台に立ちたい」と語った。
子育て中だったため、仕事はセーブしていたが、それでも歌手のほか、映画に出演するなど、活動の幅を広げていた。のどの手術を受けたばかりで声がかすれていたが、復活に自信を見せていた。
久しぶりの来日が実現
こんな2人の近況とドタキャンの真相を私が記事にしたところ、大きな反響を読んだ。「そんなことがあったなんて知らなかった」という反応が多かった。さらには記事がきっかけとなり、2人が待ち望んだ来日も実現した。
チョコレート菓子「スニッカーズ」のCMに起用され、埼玉県の野球場で撮影が行われることになったからだ。
撮影後、2人は各メディアの取材に快く応じた。カーチナさんは日本で会いたい人を聞かれて「タモリさん」と答えた。「まず謝りたい。そしてもう一度、彼の番組に出たい」と話した。
ボルコワさんは「私、謝るのは好きじゃないの」と言ったものの、「私も少し大人になったし、子どももいる。(タモリさんには)新しい気持ちで会いたい。笑顔でね」と語った。
私はまだモスクワにいたので取材には行けなかったが、取材の様子を記事で読んで、なんだか「呪い」が10年ぶりに解けたような気持ちになった。
2014年にロシア南部のソチで開かれた冬季オリンピックでは、開会式に出演し、そろって歌を披露したが、2人は別々に活動をすることに。解散なのか、活動停止なのかもよくわからない状態になった。コンビってつくづく難しい。
そして今年10月上旬。カーチナさんとボルコワさんが相次いで2022年春にタトゥーとして公演する予定だと発表した。
その2週間後に「ミュージックステーション」のギネス認定が発表されるという、運命的なものを感じさせる。
ちなみにタモリさん自身はタトゥーについて、どう思っているだろう。CM撮影で来日した際、朝日新聞の同僚記者が取材を申し込んだことがある。
所属事務所は「番組内で起きた騒動なので、タモリ個人がコメントすることはできない」と回答を避けた。タトゥーのドタキャン真相を報じたものとしては、いつかタモリさんから直接話を聞いてみたい。
一方、タトゥーの2人にも連絡を取っている。彼女たちにとっても「ミュージックステーション」とタモリさんは記憶に残る存在だろうから、きっと、今回のギネス認定を喜ぶに違いない。まだ返事はないが、返事があれば記事にしたい。