ドナウ川を眺めようと、セルビアの首都、ベオグラードを見下ろすカレメグダン公園(1)へ上った。ドイツに発し、東へオーストリアやハンガリーを経て黒海に注ぐ、全長2860キロの国際河川。群青の水をたたえ、流域の激動の歴史を吸いこむように、おおらかに進む。傍らにはアマゾンの森のようなベリコ・ラトノ島(2)が浮かび、異彩の生命力を放つ。
官庁街で出くわしたのが、黒焦げで崩れかけたビルだ。ひしゃげた骨格が、がれきや配線をはき出している。22年前、コソボ紛争でNATOに空爆された旧参謀本部(3)だ。屋上で風に揺れる数本のか細い木だけが、月日を物語る。
「ここは当時、炎の通りと呼ばれていた」。そう話すのは当時、近くでIT企業を経営していたボイスラブ・ロディチさん(64)。官庁街を貫くクネズ・ミロシュ通り(4)のことだ。
情報統制が敷かれていた中、市民から寄せられた被害情報をインターネットで伝えていた。22年前の4月の真夜中、街の様子を見ようと勤め先のビルの5階屋上に出ると、衝撃波に襲われた。数百メートル先の参謀本部が空爆されたのだった。
空爆後の9月、西隣のモンテネグロへ出張し、飛行機で帰るときのこと。機内から眼下に自分の街が見え、ふとNATO軍が見たであろう光景と重なった。自分が死ななかったのは偶然に過ぎなかったのだと悟り、「初めて空爆の恐怖がこみ上げた」。
78日間続いたNATOの空爆では、中国大使館が誤爆された。現地はいま、巨大な中国文化センター(5)に生まれ変わっていた。そのたもとに犠牲者の小さな慰霊碑があった。
この国は今、中国の投資を受け入れている。街の案内には中国語表示があふれ、鉄道も高速道路もドナウ川に架かる橋も、中国の投資だ。
日が傾いた頃、郊外の鉄道建設現場を訪ねると、その日の作業を終えた中国人労働者がベンチでたばこをくゆらせていた。
できたてのぴかぴかの線路に、街のあちこちで響く工事の音、かすかな土ぼこりのにおい。日本が失ってしまったかもしれないエネルギーを感じさせる街だった。
街の中心からドナウ川方面に歩くこと20分。緩やかな丘を上ると、街や川を見晴らす公園が広がる。ローマ時代にさかのぼる要塞(ようさい)跡だ。オスマントルコなどの列強が支配するたび、破壊や改築が重ねられた。公園の名前はトルコ語で、戦場の要塞という意味だ。
この街は旧ユーゴスラビアの首都でもあった。六つの共和国からなった地域大国を率いた指導者、チトー(1892~1980)が眠る花の家(6)を訪ねた。国民が彼の誕生日を祝った写真や、世界中の指導者が参列した葬儀の写真が、かつての執務室の傍らに飾られる。いずれも人々がチトーを仰ぐ構図だ。「中心」が存在した時代だったのだと実感させられる。
■行き交った文明、国民食にも
セルビアは古くから多くの列強が争ってきた地域だけに、ベオグラードの食卓にもトルコやハンガリー料理の影響が色濃く刻まれている。ドナウ川の魚を使ったグリルやスープも加わり、食彩はとても豊かだ。
国民食の「チェバプチチ」もその一つ。ひき肉を棒状にこねて焼いたもので、名前はトルコの肉料理ケバブに由来するという。ベオグラード郊外に伝統的な炭火焼きの名店があると聞き、「ラドミロバツ」を訪ねて味わった。
風味豊かでスパイスが利いた味わいだと思い込んだが、オーナーのペタル・パブロビチさん(68)によると、素材はいたってシンプル。牛肉と刻んだグリーンパプリカに塩、数滴のガス入りミネラルウォーターだけ。こしょうもニンニクも使わない。仕込みの際に肉を熟成させてうまみを引き出すことが肝要で、冷蔵庫から出し入れを繰り返す。火加減にも工夫が必要で、「グリルの店が1000店あっても、本当においしいのは10店だけ」と胸を張る。(疋田多揚)