■危機脱出のため、3年かけた「社長選び」
――宇田さんは、2011年に荏原製作所の社外取締役に就任しました。その後は、10年間にわたり、同社のガバナンス強化に取り組んでこられました。まず、就任の経緯を教えてください。
2000年から07年ごろまで、荏原製作所では、コンプライアンス(法令や社会規範の順守)違反などの不祥事が相次ぎました。会社の立て直しを進めていた矢後夏之助社長(当時)から、11年に「社外取締役として力を貸してほしい」と声をかけられ、就任を受諾しました。最初の時点で、当時のトップである矢後氏と「会社の存亡の危機を脱して企業価値を上げていこう」という危機感を共有できたことがよかったと思います。
――コーポレートガバナンス改革では「社長選び」に注目が集まっています。荏原製作所は15年に「指名委員会等設置会社」に移行し、宇田さんはそのもとで指名委員会の委員長を務めました。相当な時間をかけて、次期トップを選んだそうですね。
18年12月に、現在の浅見正男社長の就任を発表しましたが、指名に3年近くかかりました。指名委員会は、荏原社内からは矢後氏(当時は会長)だけが加わり、ほかのメンバーは社外でした。選任にあたり、矢後氏から「この人にしてほしい」「この人物じゃないとだめだ」と言われたことは、一度もありません。さらに言えば、当時社長を務めていた前田東一氏(現会長)とは、次期社長選びに関して1回も話しませんでした。
■会社の過去を否定できる人材を選ぶ
――つまり、荏原社内の人が直接関与せず、社外出身者が過半を占める指名委員会で、次期社長を決めたのですね。そのプロセスをさらに詳しく教えてください。
最初に、将来の社長になりうる人材を多数ピックアップした「ロングリスト」を作成しました。この作業では、社内の人たちの力を借りました。社外取締役の立場では、すべての人材を把握しているわけではないからです。その後時間をかけて、候補者の中から最終的に3人ほどに絞り込みました。その際、徹底的に話し合ったのは、「これからの荏原のあり方を考えた場合、どんな人材が社長にふさわしいのか」という点です。
内部の人が社長を選ぼうとすると、「あの人物は過去にこんな業績をあげた」とか、どうしても過去のトラックレコードで評価しがちです。「あの人をトップに据えると○○氏との関係はどうなるだろうか」と、トップの資質と関係ない社内の人間関係に気を回してしまうかもしれません。それらを否定するつもりはないのですが、あくまで「これからの荏原にとって、どんな人物が必要なのか」「いま抱えている課題をふまえ、どんな人材に託すのか最善なのか」といった点を重視しました。
ときには外部のコンサルタントに委託して人物評価をしたり、私たち指名委員会委員も自ら候補者と面談を重ねたりしました。次世代の経営人財が集まる研修会があれば、そこに顔を出したり、候補者の周囲で働いている人たちから人物の評価を得たりして、必要な情報を集めました。
さらに、荏原では社外取締役でつくる「社外取締役会議」というものを開催しておりまして、これは経営人財の把握にかなり役立ちました。社長候補を含む執行サイドの人たちに来てもらい、取締役会の議題に関連した業務説明をしてもらいますが、ここで厳しい質問が次々と出ます。社外取締役が遠慮なくどんどん質問するのです。そういうやりとりの中で、将来の経営を担う人の実力が見えてきます。質問に対して説明したり反論したりするわけですから、経営者としてのトレーニングの場にもなっています。
このように、かなりの時間をかけて選定を進めました。社内の人材を知ることは簡単なことではないですから、じつに悩ましい作業が続きました。
――繰り返しうかがって恐縮ですが、こうしたプロセスで、当時の会長や社長から、暗に人事案をほのめかされるというようなことはなかったのですか?
いまの質問は、会長や社長から人選について「耳元でささやかれる」ことを想像されているのだと思いますが、そのような口出しは受けませんでした。それがなかったからこそ、いまの社長は存分に働くことができているのではないかと思います。かつて多くの日本企業では、社長が意中の後任候補を社長室に呼んで、「次は君だから頼むよ」と言い渡され、指名を受けた部下は「青天のへきれきですが、がんばります」と答えるという光景が当たり前でした。しかし、指名委員会で選ばれたのであれば、新社長は前の社長や会長に指名を受けたことによる恩義を感じる必要はまったくなく、遠慮することもなく「過去のビジネスの否定」ができるようになります。
私自身、指名委員会委員長として経験したから断言できますが、「社長選び」は難しいものです。これを間違えると、会社が間違った方向に行ってしまう。日本企業の多くは、(一般にガバナンスの形態としては優れているとされている)指名委員会等設置会社のかたちになっていません。その理由として、経営者の中には「外部の人には社内トップを選べないから無理だ」という意見があることも承知しています。もちろん、指名委員会等設置会社が最善かどうかは議論があると思いますが、外部出身者が過半数の指名委員会による社長選びは「忖度文化を生まない」「過去の経営を否定できる」ということだけでも、十分なプラス作用があると思います。
■「いつかは取締役に」だれも考えていない
――荏原製作所では、社内出身の「取締役」兼執行役はいまや1人まで減りました。かつて会社員といえば、「いつかは取締役に」という時代もあったように思います。
そもそも、日本の多くの企業では「取締役会」というものに対する理解が足りなかったと思います。本来、取締役会は経営のモニタリングをするものです。サラリーマン生活のゴールではありません。代表執行役になるとか、カンパニー制をとる会社であれば、そのヘッドをめざすとか、あるいは重要な子会社の社長になるとか、それは立派な目標として理解できます。
業務を執行する立場から「さあ存分に力をふるって、いつかはトップに立つぞ」というのはよく分かるけれど、取締役の一員になりたいというのは理解に苦しみます。日本企業によくある「常務取締役」や「専務取締役」といった役職が本当のゴールなのか、考え直した方がよいと思います。日本の伝統的な経営モデルを踏襲している会社における取締役の構成を見ると、内部からあがってきた人たちが「常務取締役」「専務取締役」などにいて、社外取締役は、とってつけたように大学教授などを置いています。企業統治の指針がありますから、とりあえずガバナンスの「かたち」は整えるが「自分たちの事業は自分たちで守るのだ」という意識が強く残っている。こういう会社がいかに多いことか、と思います。荏原においては、すっかり意識改革ができました。「いつかは取締役」なんて誰も思っていません。
多くの場合、日本の取締役会はまだまだ未熟な段階です。取締役会が本来の役割を果たしていない。私はこのことが、日本のここ20年、30年の凋落の原因のひとつだと思っています。
■10年以上かかったガバナンス改革
――コーポレートガバナンス改革が進んでも、必ずしも日本企業の「稼ぐ力」が高まったわけではないことで、そもそも改革に批判的な経営者もいます。
例えば、社外取締役を増やしたら、企業価値が上がるかといえば、それはありえない。ガバナンスを強化したからといって、すぐに収益に結びつくわけではないですよね。「ガバナンスは立派だが、あの会社は全然稼いでいないじゃないか」と批判する経営者は多いですが、私は「ちょっと待ってください」と言いたいです。
私たちは、いまのガバナンスを築きあげるのに10年以上かかりました。毎年、取締役会の実効性評価をもとに取締役会のPDCA(計画、実行、評価、改善)を回しながら、十分な時間をかけて地道に変革してきました。ガバナンスを改革したら、すぐにパフォーマンスが上がるわけはないです。しかし、ガバナンスの不全が原因になって企業価値を毀損する可能性はすごく減ったと断言できます。2000年ごろの過去の失敗はもとはガバナンス欠如から来ていたし、内部の人もガバナンスが機能しなかったことで企業価値を損なってしまったことを分かっています。
いま少なくとも投資家や従業員から「荏原のガバナンスは大丈夫だろうか」「経営体制は健全に機能しているだろうか」と怪しまれることはなくなったと思います。10年以上の取り組みが、ようやく成果として見えてきたと思います。
■「社外取締役コレクター」はいらない
――社外取締役の人材が不足しているために、特定の人に就任の依頼が集中し、社外取締役を「掛け持ち」する事例も目立っています。
社外取締役の仕事が「お飾り」ということであれば、何社も掛け持ちしている方にお願いすることでもよいと思います。ただ、荏原製作所においては、社外取締役として入っていただく方々には、掛け持ちについて厳しい条件を付けています。どんなに立派な経歴でも「社外取締役コレクター」のような人は入っていただいていない。掛け持ちが多いということは、裏を返せば、「かたちだけ」の社外取締役が多いということかもしれませんね。
――宇田さんは、2019年から社外取締役として取締役会議長を務めています。
指名委員会等設置会社で、社外取締役が取締役会議長をやっている会社はとても少ないでしょう。議長のおもな役割は取締役会のアジェンダ設定です。何を議論するかに関与することです。多くの日本企業では「これは取締役会の議題にしないで社内で決めよう」という風に、社内で議題を選んでしまう。社外取締役も問題が起きたときには「知りませんでした」「聞いていなかった」と逃げてしまう。
これではダメだと思います。社外取締役が議長をやることの最大のポイントは、議題の設定に関与し、その選定に責任を負うということです。「知らなかった」「聞いてなかった」と逃げることはできません。
取締役議長である私自身の評価も、取締役会で行っています。そのときは、しばらく席を外して、「このまま次年度も宇田に取締役議長をやらせてもよいか」ということを話し合ってもらっています。仮に私が暴走しても、歯止めがかかる仕組みになっています。