長島氏は「この10年間で、世界の安全保障環境は激変した」と語る。気候変動の影響は、宇宙やサイバーなどとともに、新たな安全保障上のゲームチェンジャーとして注目を浴びている。長島氏が自衛隊将官として初めて国家安全保障局(NSS)審議官に就任した2014年当時ですら、まだ気候変動を安全保障と捉える見方は一般的ではなかったという。
9日に公表されたIPCC報告書は、現状のままでは、自然災害がより頻繁に、そして激しく発生すると警告。国連のグテーレス事務総長が「人類全体にとっての非常事態だ」とする声明を発表する事態にまで至っている。
長島氏によれば、早くから環境問題と軍隊の関係について注目していたのが米国だった。オバマ大統領が10年3月の演説で、バイオマス燃料で飛ぶF18戦闘機の試験飛行に触れ、航空燃料の代替燃料への転換という画期的な発表を行った。長島氏は「化石燃料は軍にとって生命線であり、また、大きな弱点でもあった。アフガニスタンやイラクへの派兵において、米軍は燃料の輸送や補給の活動中、多くのテロ攻撃を受け、多大な犠牲を出してきた。エネルギーの巨大な消費者と言われる軍隊にとって、多くの犠牲を許容しても、化石燃料の確保は最優先課題であり続けた。しかし、それは、軍隊にとって、最大の脆弱性をかかえ続けることを意味した」と語る。
トランプ政権時代、米国の関心が一時的に下がったが、バイデン政権は再び、気候変動に焦点を当てている。今年4月には気候変動サミットをオンラインで開いた。オースティン国防長官は、サミットの安全保障分科会で、気候変動を「実存する脅威」と指摘し、米軍による気候変動の影響評価と対応を本格化させている。
長島氏は「菅義偉首相はサミットで、30年の温室効果ガス目標を13年度比で46%削減すると表明した。それに続いて岸信夫防衛相が表明した気候変動を巡るタスクフォースの発足も、白書への記述も、こうした米国の動きに同盟国として歩調を合わせようとした結果だろう」と指摘する。
また、長島氏は日米が重視するインド太平洋地域の安全保障について「北極圏やサハラ以南のアフリカと並び、気候変動の影響を最も受ける危険がある」と語る。事実、ヒマラヤ氷河の融解による災害や海面上昇、飢餓や干ばつなどが負の連鎖的に起こりやすいことが懸念されている。
そして、長島氏はこの地域が、中国が掲げる巨大経済圏「一帯一路」構想の対象地域と重なるケースが多いことに注目する。同氏によれば、中国は従来、インド太平洋地域の国々に対し、有償支援の返済を迫りながら中国への支持を強制する「債務のわな」と呼ばれる手法を駆使してきた。「これからは、中国版GPS(全地球測位システム)や高速・大容量・低遅延の移動通信5G、モバイル決済などのデジタル技術領域のほか、風力や太陽光エネルギーなどの脱炭素技術の導入をテコに、中国がインド太平洋地域の排他的な囲い込みを推し進める可能性が高い」
長島氏は新型コロナウイルスへの中国の対応に驚かされたという。「ドローンや顔認証・監視ネットワークなどの実装化が進む先端技術を積極的に利用している。更に携帯電話などを通じて収集した個人データをビッグデータ化し、感染地域の封鎖や移動制限、感染予防を徹底することに成功した。これらが、軍事技術として境目なく用いられれば、人が関与しない自律攻撃へと転用される環境ができる」と語る。「人民解放軍があらゆる面で近代的とは言えないが、民間技術の軍事技術への転用を図る軍民融合戦略が着実に進んでいるなか、懸念が高まらざるを得ない」と語る。
これに対し、日本では自衛隊による新型コロナに対する大規模接種予約を巡って混乱が起きた。日本では個人情報の保護に対して世論が敏感に反応し、防衛省・自衛隊が住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)を利用する環境が整っていない。
そして、米国と中国は現在、気候変動に対処する技術で覇を競っている段階だという。長島氏は「かつて、20世紀末に基本ソフト(OS)Windows95が世界中を席巻したように、技術の標準化に成功した方が、マーケットを独占することができる。今はまだ、米中のどちらが勝利するのかはわからない」と語る。
バイデン政権は気候変動分野で、中国とも協力できると主張する一方、先端技術や安全保障における中国との戦略的競争で一歩も引く気配はない。
長島氏は最終的には、価値を共有する日米欧と内製化(米中摩擦の中で、サプライチェーンの分断を懸念する中国が、自己完結的な生産活動態勢へとシフトすること)を進める中国との間で、高度な先進技術の獲得を巡って二極ブロック化していくことはやむを得ないと予測する。「温室ガスを削減するためには、中国と協力せざるを得ないが、国力を左右する先端技術で中国の優位性を認めることはできない。難しい問題だ」
長島氏は、気候変動を巡る安全保障の枠組みについて、「気候同盟」の構築も視野に入れて、自由や民主主義などの価値を共有する国々と協力すべきだと訴える。隣国の韓国も、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする「カーボンニュートラル」を目指し、23年に開催される予定の国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)の誘致にも乗り出している。長島氏は「韓国の国防費は順調な伸びを示し、数年中には日本の防衛費を上回るとも言われ、また、世界第10位の武器輸出国としての国際的な存在感を強めている。今年5月の米韓首脳会談の成果を見ても、米国の韓国に対する評価は決して低くない」と語る。
では、日本はどう対応していけば良いのだろうか。今年の白書にも、山林火災や豪雨被害への災害救助活動の事例がずらりと並んだ。白書は「近年、大規模かつ長期間の災害派遣活動が増えており、災害派遣活動中に、当初予定していた訓練を行うことができず、訓練計画上見込んでいた部隊の練度の維持・向上の達成に支障を来すこともあった」と素直に認めた。「まるで白書が悲鳴を上げているようだ。自衛隊だけでは背負いきれない」と語る自衛隊OBもいた。
長島氏は「自衛隊が気候変動についてどこまで関与するのか、豪州やNATO(北大西洋条約機構)のように米国の同盟国として防衛費を増額しなくて良いのか、優れた民生先端技術の取り込みをいかに早く、どこまで進めるのかなど、防衛省と自衛隊だけでは決められない課題も多い」と指摘する。同時に、「最近の国際的な安全保障環境は激変している。指数関数的な技術の進化とともに、その変化のスピードもより速くなっている」と警告する。
そのうえで、長島氏は2013年末に決めた国家安全保障戦略の改訂を急ぐべきだと提言する。「我が国を取り巻く安全保障環境に応じて戦略を受動的に考えるのではなく、日本が目指すべき世界のあり方を主体的に提示し、主導的に動かないと、環境の変化に振り回されるばかりか、同盟国である米国の変化にもついていけない」と語る。
国家安全保障戦略の下に「国防戦略」も新たに策定し、日本の戦略体系を再整理すべきだと主張する。「広義の意味で国家安全保障戦略には外交や経済も含まれる。現在の防衛大綱は、今後の防衛力の基本的な指針という位置付けにあり、急激な安全保障環境の変化の中で頻繁な見直しを迫られるようになっている。諸外国のように、国家戦略の下に、国防戦略や軍事戦略を策定し、いかにして日本を防衛するのかという国家の指針を国内外に明示する必要がある」と語った。
ながしま・じゅん 防衛大学校卒、1984年に航空自衛隊入隊。ベルギー防衛駐在官(兼NATO連絡官)、統合幕僚監部首席後方補給官、情報本部情報官などを経て、2013年から制服組の将官として初めて内閣審議官(危機管理担当)。2014年から国家安全保障局(NSS)審議官を兼任。主な著作に「朝鮮半島の地政学的リスク――日米同盟へのインプリケーション――」(18年12月、『エアパワー研究』)、「電磁戦における日英安全保障協力(UK・Japan-cooperation in response to electronic warfare)」(21年3月、英王立国際問題研究所)などがある。