1. HOME
  2. 特集
  3. 格差と向き合う 私が変える
  4. 「人新世の『資本論』」なぜここまで売れるのか 著者が「一番の事件」と感じた現象

「人新世の『資本論』」なぜここまで売れるのか 著者が「一番の事件」と感じた現象

World Now
斎藤幸平さん=2021年1月14日、大阪市住吉区の大阪市立大学

「資本主義に自由はない、脱成長が魅力的だ、と素直に受け入れる層が出てきた。それが一番の事件という気がします」。5月下旬。東京・代官山の蔦屋書店が開いたオンラインのトークイベントで、著者の斎藤幸平・大阪市立大准教授(34)は世間の反響の大きさをこう表現した。

「マルクスで脱成長なんて正気か」。そんな批判を覚悟しながら執筆したという。出版前の話し合いでは「あまりそういう形で打ち出さないほうが……」と心配する声すら出た。前面に打ち出した『脱成長』『コミュニズム』という二つのキーワードには、それほど「ネガティブなイメージがあった」と斎藤さんはいう。

「人新世の『資本論』」

自身より上の世代は「コミュニズム」から旧ソ連を連想して拒絶反応を示し、「脱成長」も資本主義や経済成長が当たり前と考えてきた人には反感を持たれていると感じていた。だが、ふたを開けてみると「4万、5万部いけばヒット」(出版関係者)と言われる新書で異例の32万部を突破。今年の新書大賞に選ばれ、いまも講演やテレビ出演の依頼が相次ぐ。リーマン・ショックの頃にも資本論の関連本が売れるブームが起きたが、今回は当時を大きく上回る。「重要な問題提起と受け止めてくれた人が想像よりずっと多くいた」

斎藤さんは「コロナ禍で空気が変わった」とみる。経済が打撃を受けると、女性を中心とした多くの非正規労働者が真っ先に仕事を失った。一方、富裕層は株高の中で富を膨らませ、格差はさらに広がった。「今まであった社会的、経済的不平等が可視化され、過剰な生産と消費に基づいた資本主義社会がどれほど破壊的なものかを明らかにした」。斎藤さんのもとには「日頃感じていた疑問をえぐり出してくれた」といった感想が寄せられた。

もう一つの原動力は「ソ連を知らない」若者たちだ。「物心ついてから資本主義が自分の生活に恩恵をもたらしてくれたという経験が希薄で、社会主義的なものが悪いものだという体感もあまりない」世代と斎藤はいう。新自由主義の格差の問題をより自分事として実感する世代の少なからぬ人たちがマルクスの考えに共感している。

オンラインでのインタビューに答える斎藤幸平さん

斎藤さん自身、旧ソ連の記憶はなく、むしろ人生で大きなインパクトがあったのは、リーマン・ショックであり気候変動問題であり、東日本大震災による原発事故だった。東京出身。私立の中高一貫校を卒業後、米国の大学に進学した。その学生時代、ハリケーン「カトリーナ」で甚大な被害を受けたニューオーリンズで炊き出しのボランティアに参加した。目にしたのは、スーパーの賞味期限切れの食料などを求めて集まる困窮した人々。いつも大学で接する裕福な白人の学生たちとのギャップに衝撃を受けた。「なぜこれほど豊かな社会なのに、これほど貧困が蔓延(まんえん)し、医療も受けられず日々の生活にも困るような人たちが大勢いるのか」。そんな資本主義に対する疑念がマルクス研究へと向かわせた。

「私よりひと回り以上、上の世代はソ連や冷戦の記憶から、どうしても社会主義やマルクスみたいな話が出せない。でもソ連崩壊から30年、結局社会は良くなったのかというと、格差はますます拡大し、地球環境はさらに悪化している。コンビニも携帯電話もある便利な世の中だが、いつ首を切られるかわからない雇用や過剰な競争、業績主義、低賃金の長時間労働が蔓延(まんえん)し、将来に良い展望を見いだせないと、多くの人が感じている」

斎藤幸平さん=2021年1月14日、大阪市住吉区の大阪市立大学

資本主義そのものに挑む動きは、世界で2010年代から続々とわき起こっている。リーマン・ショック以降、格差是正を訴えた米ウォール街占拠運動、米大統領選で一部の若者の熱狂的な支持を集めたサンダース旋風、欧州で出現する左派ポピュリズムやスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリ運動の広がり……。「システムチェンジを求める社会運動がこの10年間で育ち、社会にインパクトを残すようになってきている」という。

こうしたポスト資本主義論で盛り上がりを見せる欧米に対し、日本は「取り残されていた」。だが、コロナ禍が変化をもたらした。

斎藤さんの特徴は、一党独裁やあらゆる生産手段の国有化といった旧ソ連の社会主義とは全く違うマルクス論を展開していることだ。冷戦崩壊後に公刊されたマルクスの新資料をひもとき、水、電力、医療、教育などを公共財として民主的に管理する「コモン(共)」の考えや脱成長を「第三の道」として提示する。

2年前、日本財団が世界9カ国で行った18歳の意識調査が世間を驚かせた。自分の国の将来が「良くなる」と答えたのは日本は9%とダントツの最下位。上位の中国(96%)やインド(76%)だけでなく、米国(30%)、英国(25%)などと比べても、悲観的な見方が際だった。

ただ、斎藤さんはこれを別の視点で見る。

「すべてを商品化する資本主義でもソ連型社会主義でもない、もっと別の生活に移行したほうがみんな豊かになるという大きなビジョンを待ちわびていた人がたくさんいた。別の道があるとわかれば、若い人たちの心に響くことがわかった」。従来のような「行きすぎた新自由主義や環境破壊は良くない」「もっと再分配していこう」といった主張では、ここまでの反響はなかったと感じている。

経済成長を求めて拡大する市場にブレーキをかけ、消費主義が染みついた価値観そのものを変え、一部が独占するのではなく、より平等に共有していく。そんな考えはどこまで支持を集めるのか。

斎藤さんは著書で、米国のこんな研究結果を紹介している。「3.5%の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わる」というものだ。「日本の人口全体の3.5%と考えると、400万人超とすごい人数という感じがするが、40人の1学級の3.5%で考えれば、1人か2人」。

「すぐにマジョリティーになるとは考えていない」という。ただ、重要な転機になる可能性がかつてないほど出てきているとも感じている。