今回のランキングは、学術書の品揃えで学者の間で定評のある、北京大学東門そばの万聖書園を選んだ。2019年は中華人民共和国建国70年、今年は中国共産党結党100年、2027年は人民解放軍建軍100年。そのいずれも創立と指導にかかわった核心人物が毛沢東である。彼が敷いた中国革命のいばらの道を人民はいかに歩いてきたのか。その軌跡をたどることで、習近平国家主席が「中国の特色ある社会主義」と規定する国家のかたちが浮かび上がってくるはずだ。
とはいえ、毛沢東の言行録としては、公式の『選集』『文集』は建国前に発表された原稿に偏っている。建国後については、分量といい信頼度といい、中共中央文献研究室が編集した300万字に及ぶ『毛沢東年譜』全6巻に勝る公式資料は、今のところはない。『年譜』とは日録形式で、原稿、談話、書簡、文書の余白に書きこんだコメントなどを網羅したものである。本書『読毛沢東札記二集(毛沢東読解ノート 第2集)』の著者陳晋は年譜編集チームの筆頭副編者。各篇とも独立した随筆形式ではあるが、国家の重大な選択の局面で、最高指導者としてどのように国策を練り決定したのか、通常の中国政治学ではたどりにくい政治過程論の手がかりとなっている。
毛沢東の夢は騎馬で黄河と長江の源流をたどることで、中国の地理書を愛読したという。果たせぬ夢に終わったが、胸中には、死後実現することになる長江の水を人造運河で黄河に運ぶ「南水北調」、三峡ダム、チベット・ラサへの鉄道建設計画があった。
毛沢東の詩には、外敵の呪詛や迫りくる妖魔に奮然と立ち向かう動機が表現されている。新世代の人材にも、混乱を恐れず手を緩めるなと、継続革命の胆力を期待した。
だが、1958年からの大躍進、66年からの文化大革命と、いくつもの過ちを犯した。読破した中国の歴史書に書かれているように、結局のところ後事を託した小秀才は大秀才にはなれない。知識人を起用しあぐね、後継者に失望し、結局は同じ老革命世代の鄧小平に託すしかなかった。だが鄧も周恩来死去時の混乱で失脚し、次世代の華国鋒に託すも、孤独の領袖は焦燥のなかで死を迎える。
■西洋現代思想をこの1冊で
面積が広大で、高速通信網が充実していて、携帯の普及率が高い中国で、独自の進化発展を遂げているメディア界のビジネスの一つがオンライン講座である。日本では大都市を中心に大手新聞社が経営するカルチャースクールや、大規模大学が開設する社会人を対象に大学教員が講師を務めるエクステンションセンターでの講座などのビジネスが定着している。中国では一般大衆を対象にしたオフラインでの講座はあまり普及しておらず、専用アプリが様々な分野で人気講師による講義メニューを取り揃えてインターネットを通して提供している。「知識付費(有償講義)」という。
なかにはMOOCのようなビデオ形式のものもあるが、多くは「聴課(耳で聴くオーディオ講義)」である。有名アプリとしては「喜馬拉雅(シマラヤ)」や「得到(ドゥーダオ)」などがあり、私も朝のジョギングで教養と中国語のヒアリング学習を兼ねてイヤホンで愛聴している。
本書『劉擎の西洋現代思想講義』は華東師範大学教授の劉擎による「得到」アプリでの「西洋現代思想40講」を書籍用に活字化したものである。19人の思想家の思想のエッセンスが手際よくまとめられており、もとは一般視聴者向けのレクチャーだったこともあり、読みやすい。また、19人の思想家の師弟関係や問題意識が連続講義で鎖のようにつながっているだけでなく、現代とはなにか、我々はいかに生きるべきか、という根本的な課題に対する、思想家の個性と生きた時代に応じた回答という主題で一貫している。
劉擎はモダニティ(現代性)の指標を、理性の発見と危機という位相でとらえる。理性の発見者として西洋現代思想家の筆頭に掲げるのがウェーバーで、彼の「世界の脱魔術化」と「価値自由の道具的理性」に注目する。ニーチェの「神の死」、フロイトの「無意識」、サルトルの「虚無」に、神なきあとの現代人の精神的危機を見いだす。
次に政治的正当性をめぐるホッブス、ロック、ルソーの政治学を受け継いで、バウマン、アレント、ポパー、ハイエク、バーリン、マルクーゼにおける理性の限界性について考える。
さらに自由主義とその批判者の系譜として、ロールス、ノージック、ドゥオーキン、サンデル、ウォルツ、タイラー、ハバマスにおける、自由・平等・共同体・間主体性などの問題を取り上げる。
最後にポスト冷戦時代の思想として取り上げるのが、フクヤマ「歴史の終わり」とハンチントン「文明の衝突」の論争である。西洋思想の紹介なのでやむを得ないのではあるが、中国思想に関する記述がないのが残念だ。唯一、自由民主体制の勝利を唱えるフクヤマに対しては、中国モデルを提示し「中国からの挑戦」という問題提起をしている。フクヤマを「人この心を同じくすれば、心この理を同じくす」、ハンチントンを「我が族類に非ずんば、その心必ず異なる」と書き、双方の立場の相違を際立たせるコメントには、中国的知恵がにじむ。
劉擎は西洋の現代思想を概観した締めくくりとして、では現在は歴史の転回点なのかという問いを投げかける。現代は理性主義がはぐくまれ動揺した時代であったが、AIとバイオテクノロジーは人類が獲得した理性や自由の定義そのものを揺るがせている。アメリカを中心に展開されたリベラリズムとコミュニタリアニズムの論争は、トランプの登場で分裂と精神的内戦の様相を呈している。米中対立は戦後体制の前提となってきた国際秩序を動揺させている。世界は分裂の危機をはらみながら、環境破壊の現実は「地球城(グローバルシティー)」に生きる我われという意識を研ぎ澄ませている。
日本でも現代書館で翻訳されている「フォー・ビギナーズ」シリーズや、プレジデント社の哲学・社会学などの「用語図鑑」シリーズなど、膨大な知識をイラストや惹句を使って分かりやすく解説する出版の蓄積がある。中国の出版界・メディア界もこの早わかり本のノウハウを身に付けつつあり、端倪(たんげい)すべからざるものがある。中国では西洋の先進的思想は、メディア統制のためにあまり紹介されていないだろうから、一つ教えさとしてやろうなどと、とんだ思い違いをして恥をかかないほうがいい。
■「一帯一路」の地政学
1991年、ソ連の解体によって世界最大の海洋権力国家となったアメリカの凋落(ちょうらく)が、いまや白日の下にさらされている。そして中国が世界最大の陸上権力国家として存在感を増しつつある。国際社会のアリーナに立って、本書『地縁看世界:欧洲腹地的政治博奕(地政学から見た世界――ユーラシアの腹の政治ゲーム)』を読むと、習近平国家主席が提唱し実践する「一帯一路」の何枚もの地政学的地図が、縮尺やアングルを変えながら次々と映写されるスライド写真のように浮かび上がってくる。そして、そのゲームの舞台がいかに広大で、地理的・民族的・歴史的にいかに複雑で、時とともに目まぐるしく変化するいかに難解なゲームであるか、読めば読むほど時空を超えたとてつもないスケール感に、立ちくらみがしてくる。
そもそもユーラシア大陸橋の東端の島国である日本は、西方に広がる広大な大陸について地政学的発想が不得手である。地理の授業で習った気候や山脈や平原や河川などの知識は、静態的固定的なものにすぎない。たとえば、気候一つとっても、ここ北京にいるだけでも、春のモンゴルから吹き込む砂嵐や、冬の寒冷な西北風や、シベリアの寒気団の猛威には抗えない。だが、日本人は黄砂は迷惑、くらいにしかとらえていない。ましてや、そこに住む人びとの言語・民族・生業といった人文地理的な知識となると、想像することすらおぼつかない。人びとは気候・地形・水資源・植生・土壌といった自然環境要因に適応しながら、漁労・狩猟・遊牧・農牧などの生活形態を選び、自然環境の長期間にわたる変化や人工的な改造によって、民族移動や王朝交替の歴史が刻まれていく。
有史以来、農耕を主業とする華夏文明は、北方の遊牧を主業とする騎馬民族による収奪の恐怖にさらされてきた。紀元前3世紀から歴代にわたって塞北からの脅威に備えて長城が築かれてきた。前漢の、匈奴の捕虜となった張騫は、中央アジアへの活路を見いだすべく、タリム盆地の南北にシルクロードを切り開いた。匈奴に投降した李陵と、彼を弁護して宮刑に処せられた司馬遷の悲劇は、中島敦『李陵』によって日本人に親しまれている。
漢帝国は、オアシスに点在する突厥系の小国を東西交易の商業利益によって束ねることで版図の拡大と西域の治安を確保しようとした。いっぽう次なる巨大統一王朝である唐帝国は、東方の高句麗を撃滅し、西方の突厥系諸国を撃破し、駐軍と屯田による都護府体制を敷くことで帝国の影響力を強化した。だが、751年、イスラム系のアッバース王朝とのタラス川の戦いで敗北を喫する。いまはヒンズークシ山脈の分水嶺はカザフスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・トルクメニスタン・キルギスタンの中央アジア5カ国とアフガニスタンが複雑に入り組む。下流に肥沃な平原が開かれているイリ河谷をめぐり上流を領土に収めた中国側が水資源を押さえる格好となっているが、イリはかつてロシアと清朝の国境角逐の場所だった。
いっぽう唐は河西回廊の代替ルートとして南方の青海道を開拓し、黄土高原と青蔵高原をつなごうとした。青蔵高原は吐蕃が居座り、シルクロードの貿易利益をめぐり分界線の争奪となった場所が、カシミールだった。いまはインドとパキスタンとの間で、ジャム・カシミール問題として長期にわたる国境紛争が収まっていない。
ユーラシアの腹部において、ヨーロッパ・アジア・アフリカ3大陸の中継点にあたり、ヨーロッパ、北アフリカ・アラブ、インド、中北アジア遊牧、東アジアの文明諸地域の枢要に当たる地域が、かつてのペルシャ、いまのイランである。イランはアーリア系でペルシャ人とトルコ人から成り、アラブの宗教と文字を取り入れ、イラン高原に居住する。このイラン高原のグレート・ゲームの舞台となったのがアフガニスタンである。まずインドを植民地化したイギリスが征服し、インド洋への突破口を開きたいソ連が侵攻し、アメリカがイラン・イラク戦争で介入した後、アフガン戦争を仕掛けた。そしていまは、中国が河西回廊の西端を起点に、トルクメニスタン・イラン・トルコの3国を経由してヨーロッパに抜ける、ユーラシア電化高速鉄道中央線のプロジェクトが動いている。
複雑な地形・生態条件の下で諸民族・諸国家が折り重なるユーラシアを東西南北に連結するために、これまで陸上の覇者たちが、様々な方法で国境や民族の壁の突破を図った。トルコは宗教の世俗化とラテン文字によって、イランはペルシャ文化と宗教とアラビア文字によって、ソ連は民族の強制移住とキリル文字と軍事力とイデオロギーによって、歴史の主役となった。さて、「一帯一路」を呼号してユーラシア腹部への本格的参入を表明した中国はというと、表意文字の漢字には異なる言語体系を超える伝播力がない。そこで期待するのが、シルクロードの歴史遺産と中欧鉄道網による経済ベルトの伝播力である。
さて、日本は「一帯一路」に対して、「自由で開かれたインド太平洋」なのだという。その場合の日本の行使する伝播力とは何だろう。日本がかつてこの広大なユーラシアに刻んだ歴史と言えば、古くは遣唐使が西域から持ち帰った正倉院の宝物、近代以降の大谷探検隊や京都帝国大学の学者による敦煌の文書収集や仏教遺跡の研究くらいだろう。普通の国民にはシルクロードといえば、ラクダの隊商が隊列をなす砂漠のイメージくらいしか浮かばない。モンゴル高原、青蔵高原、イラン高原、シベリア平原と言われても、脳裏は白地図の世界であろう。近現代以降の日清戦争から大東亜共栄圏にいたる負の歴史遺産については、まだその清算が終わってはいない。一つ例を挙げると、1939年、軍事力による屈服を企図して仕掛けたノモンハン戦争はソ連に惨敗し、大興安嶺から西への拡大を断念した痛恨の歴史がある。
太平洋からインド洋への海洋ルートを確保するのであれば、せめてインドに新幹線技術の売り込みと移転を実現させなければ、中国のユーラシア下腹部から海洋部への進出を迂回させることはできまい。「われわれは専制ではなく民主主義なのだ」という掛け声は、ユーラシアの諸国にとっては、イデオロギーとしての影響力は持ちえない。参加国の仲間内だけの「一帯一路」を封じる呪文にしか聞こえないのではないだろうか。
中国のベストセラー(総合部門)
万聖書園4月ベストセラーリストより
『』内の書名は邦題(出版社)
1 劉擎西方現代思想講義
劉擎
ウェーバー、ニーチェら19人の思想家の人と思想を通して人生の意義に迫る。
2 克拉拉与太陽
『クララとお日さま』(早川書房)
石黑一雄 カズオ・イシグロ
AIロボットと人との共存を通して究極の愛を探る。
3 地縁看世界:欧洲腹地的政治博奕
温駿軒
ユーラシア地政学から見た中国にとっての「一帯一路」。80枚の地図付き。
4 読毛沢東札記二集
陳晋
毛沢東関連資料に最も精通した専門家が解き明かす、毛沢東の矛盾に満ちた行動の謎。
5 従『共同綱領』到“八二憲法”
翟志勇
憲法の制定・修正過程からたどる、中華人民共和国の権力正統性の歴史的形成過程。
6 技術与文明:我們的時代和未来
張笑宇
旧石器時代からAIロボットの現代まで、技術は文明や人の意識をどう変えてきたか。
7 文城
余華
8年ぶりの最新長編。100年前の中国を壮大な物語と斬新な手法で描き切る。
8 厭女:日本的女性嫌悪
『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(朝日文庫)
上野千鶴子
中国にも着実に浸透しているフェミニズム。
9 蘇聯的最後一年
羅伊・麦徳維杰夫 ロイ・メドベージェフ
ロシアの著名な歴史学者が1991年のソ連解体にいたる過程を詳細に描く。
10 我的幾何人生:丘成桐自伝
丘成桐
傑出した数学者の数奇な自伝。