■作文で初めて知った娘の夢
ハノイから車で6時間。陽光を受けて青々と輝く水田が道路沿いに広がっていた。チャー・ミーさんの実家があるベトナム中部ハティン省の町ゲン。父親のティンさん(56)がバイクで近くまで迎えに来てくれた。
チャー・ミーさんの両親を訪ねるに当たって、私には2人に渡したいものがあった。彼女が神奈川県相模原市の食品工場で技能実習を始める時に書いた作文だ。会社からの課題として自己紹介を兼ねて提出していた。英国の事件の約1カ月後、チャー・ミーさんのことが知りたくて会社を訪ねた私に、日本の生活をサポートした総務課長の佐藤友教さん(36)が託してくれた。
彼女は会社が迎えた実習生の2期生で、コンビニ向けの総菜調理を担当していた。同僚と一緒に素材を下処理するだけでなく、1人で機械を操作して200キロ分のパスタソースを作ることもあった。「人なつっこくて自分から声をかけてくる。仕事ができるからいつも頼りにされていた」。佐藤さんは彼女との思い出をそんな風に振り返った。
ベトナムに戻る4日前の送別会で、隣に座った彼女から「帰るのは寂しい。もっと日本にいたい」と打ち明けられた。初めて聞く言葉に「信頼されていたんだ」とうれしくなった。「大切な20代に家族と離れて日本に来る。その覚悟に見合ったものを持って帰って欲しかった。帰国しても、やっぱりつながりや思い入れを感じる」
職場の人たちの信頼や親しみがこもった言葉と、チャー・ミーさん自身が書き残した作文は、彼女が日本で生きた証しだった。ベトナムへの赴任がすでに決まっていた私は、故郷の家族にそれを届けたいと思った。
「私の夢」。400字詰め原稿用紙2枚の作文は、日本語を学び始めて1年にもならない人が書いたとは思えない、きれいな字でつづられていた。語彙(ごい)が限られる外国語だったからこそ、素直な気持ちを言葉にできたのかもしれない。
私の夢は化粧品の店を開くことです。私が生まれた所は化粧品屋があまりありません。私はベトナムの女の人にもっときれいになって欲しいです。女の人はきれいなとき幸せになるとおもいます。だからそういう店を開きたいとおもいましたチャー・ミーさんの作文から
営業時間や扱いたい商品も書かれている。資生堂やコーセーのファンデーション、口べに、保湿クリーム……。具体的な説明に思い入れを感じた。
作文と一緒に描かれた店のイラストも印象的で、ハノイやホーチミンの街角で間口の狭い小さな化粧品店を見かけるたびに、彼女がどんな気持ちで日本や英国に行ったのか想像させられた。
父親のティンさんが案内してくれた家は、平屋建てで壁の一部が崩れていた。昨秋の台風による被害で壊れたままだという。右隣には3階建ての立派な家があり、意識せずとも違いが目に付いた。
家では、母親のフォンさん(62)がお茶を入れて迎えてくれた。ベトナム語に翻訳した作文を手渡すと、2人はその場で文章に目を落とした。「今初めて娘の夢を知った」。涙をこらえてせき込むティンさんの隣で、フォンさんはそう言って文章がつづられたA4の紙を強く抱きしめた。「でも彼女のためにもう何もしてあげられない」。母親が絞り出した後悔の言葉に、胸が痛んだ。
技能実習には、3年間の期限を終えて帰国した後、本人と実習先の企業が互いに希望すれば、2年延長できる仕組みがある。チャー・ミーさんは佐藤さんや職場の同僚たちにその仕組みで戻ってくる考えを伝えていた。それなのに、彼女が向かったのは日本ではなく英国だった。(続く)
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