【前の記事】仕送りで建つ豪邸、ベトナム「億万長者の町」 借金とリスク、それでも出稼ぎを夢見る
5月16日、ホーチミンに1軒の日本茶カフェがオープンした。名前は日本語の「ハス茶」。目立たない路地奥で客席もほとんどない、デリバリーを中心に営業する小さな店だ。
オーナーのグエン・ティ・トゥエット・スオンさん(26)は、17年6月まで北海道根室市の水産加工会社で技能実習生として3年間働いていた。先に日本に働きに行った6歳年上の姉に触発され、自分も日本が好きになった。高校卒業後にホーチミンの日本語学校で1年間学んだ後、実習生として日本に渡った。
「家族のお金を使って大学で4年間勉強しても、卒業したら仕事がないかもしれない。好きになった日本に行くことは、私にとってチャンスだと思えた」
工場では同じ世代の「カオルちゃん」という日本人女性に出会った。最初は口をきいてもらえず怖かったが、いつも並んで仕事をするうちに親友になった。冷凍のタラを加工する作業で、手がかじかんだら互いにこすり合って温めた。2人しか知らない秘密の引き出しに生チョコを隠しておいて、疲れた時にこっそり食べたこともある。「お前は帰ったらダメ」。帰国する時にそう言って抱きしめられた。思い出すと今も笑顔になる。
日本に行く目的は何だったのか。スオンさんは少し考えてから答えた。「半分はお金を稼いで家族を助けること。もう半分は自分の体験のため」
北海道にいる間は中南部ザライ省に住む家族に仕送りをした。「お金を送ってくれるのは助かるけど、自分のために使いなさい」。両親からそう諭された。先に帰国した姉も、「後悔しないために自分の好きなことをやりなさい」と励ましてくれた。
帰国してからはホーチミンで日系のIT会社などに勤めた。日本にかかわる仕事につけたのはうれしいけれど、大好きな日本茶をベトナム人に飲んで欲しい。そんな思いに突き動かされて、自分で店を始めることに挑戦した。実習生の時に蓄えたお金は開店資金の足しにできた。
「将来は自分の田舎やいろんな町に店を出したい」。それがスオンさんの夢だ。
故郷に化粧品店を開きたいと作文につづったチャー・ミーさんの姿が重なった。年齢も同じぐらいだ。母親のフォンさんが私に訴えていた言葉を思い返した。「あの子はお金持ちになりたくて英国に出稼ぎに行ったわけじゃない。そのことを、日本の人たちに分かってほしい」
チャー・ミーさんもきっと家族を助けるためだけでなく、自分のためにも外国に夢をかけたのだと思う。そのために、限られた選択肢から最良だと信じられるものを選んだ。ほんの少しでも状況が違っていれば、チャー・ミーさんもスオンさんのようにどこかに小さな化粧品店を開いて、自分自身の人生を始められたかもしれない。
国境を越える往来が制限されたコロナ禍で明らかになったのは、日本を含む先進国にとっては技能実習生のようにエッセンシャルワーカーとして現場で働く外国人が不可欠だということだ。それなのに日本でも英国でも、必要とされているはずのベトナム人が仕事を得るために費用を払い、リスクを背負っている。
「ご実家を訪問してきました」。ハノイに戻って数日後、チャー・ミーさんの作文を託してくれた佐藤さんに約1年ぶりにメールで連絡した。両親の暮らしぶりや日本の人たちへの感謝の言葉を伝えると、返事が届いた。
「あらためて技能実習生との接し方、働くこと以外に伝えられることがないか考える時間が増えました」
何度も読み返すうちに、私が少なくともできることは、故郷を離れて異国で働くベトナム人を「出稼ぎ労働者」とひとくくりにしないことだと思った。将来の夢やまだ見ぬ世界への憧れと好奇心、家族からかけられる期待……。チャー・ミーさんのように一人ひとりに思いがある。
自分の人生をかけてやって来る人たちにどう応えるのか。覚悟が必要なのは私たちの方だと思う。(おわり)