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世界に先駆けワクチン製造したロシアの底力 それでも接種率が低迷する理由

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
スプートニクVの公式サイト
スプートニクVの公式サイト

「スプートニク」は人工衛星を意味する。具体的には1957年にソ連が打ち上げ、米国を含む西側陣営にショックを与えた人類初の人工衛星「スプートニク1号」にちなんでいる。

そして、Vは「勝利」を意味するvictoryの頭文字。ロシアがウイルスとの戦いで世界のトップランナーであると誇示するような名前だ。

ロシアはスプートニクVをはじめ、すでに4つのコロナワクチンを開発している。それらに共通するのは、すべて国立の研究機関が生み出したという点である。

軍需産業や宇宙開発が典型的だが、ロシアは国家戦略を立て、国の主導で何かを開発するということに、長けた国である。そして、必ず天才的な技術者が現れ、国の要請に応えてみせる。ロシアがコロナワクチンの開発で世界に先駆けることができたのも、そうした強みの表れであろう。

スプートニクVを開発したのは、ロシア保健省付属のガマレヤ記念国民疫学・微生物研究センターである。

2020年12月のインタビューで、同センターの所長は、スプートニクVの開発総額は15億ルーブル程度であったと証言している。

これが事実だとすれば、日本円に換算するとわずか22億円程度で、人類が待ち望むワクチンを世に送り出したことになる。こういう時のロシアは本当に思わぬ力を発揮するものだ。

ロシアでスプートニクVが承認された当初、国際社会からは、それが大規模な治験を経ておらず、安全性や有効性が未知数であるという批判が多く寄せられた。

しかし、その後、スプートニクVの有効性や安全性は、決して欧米大手のワクチンに引けを取らないことが明らかになり、むしろスプートニクVの方が優位であるとの情報すら伝えられるようになった。

権威ある英医学誌「ランセット」が2月、スプートニクVで91.6%の感染予防効果が確認されたとする論文を掲載したことが決め手となり、このワクチンの有効性に疑問を呈するような声はほとんど聞かれなくなった。

それでは、ロシアはコロナワクチンの勝ち組になったかというと、実はそれが微妙なのである。

オクスフォード大が運営するサイト「Our World in Data」のデータベースによれば、5月25日現在でロシアのワクチン接種率は人口の10.8%にとどまっている。

これは、データが得られる世界の204の国・地域の中で98位にすぎない。世界平均が10.1%なので、それをほんの少し超えているだけなのである。

ちなみに、ロシアのミシュスチン首相は5月12日、スプートニクVは世界65ヵ国で承認され、すでに世界34ヵ国に輸出もされていると成果をアピールした。

しかし、現実には、これまではロシア国内への供給を優先していたこともあり、外国向けには試験用などに少量が提供されただけのようである。

コロナワクチン開発で先行したロシアが、なぜ接種率では多くの国に後れをとっているのか? また、国際市場へのワクチン供給も、思うように進んでいないのか?

もちろん、要因は一つではないが、筆者が注目したいのは、ロシア医薬品産業の後進性である。

ソ連崩壊後、ロシアの医薬品産業は低迷し、市場は外国からの輸入品で席巻された。プーチン政権はそれを問題視し、数年前から医薬品の輸入代替生産を推進しようとしている。

東方経済フォーラムで演説するロシアのプーチン大統領=2019年10月2日、ウラジオストク
ロシアのプーチン大統領

ロシア政府は2012年11月、国家プログラム「医薬品・医療産業の発展」を採択した。2011年時点で25%だったロシアの医薬品消費に占める国産品の比率を、2020年までに50%に高めるというのがプログラムの描いた青写真であった。

しかし、現実には国産品の比率は2020年上半期の時点で32%と、依然低迷している。

さらに言えば、ロシアで生産される医薬品の80%以上は外国から輸入した原薬(有効成分)を使用していると言われている。外国から買った原薬を混ぜ合わせたり、パッケージしたりというプリミティブな生産が主流なのだ。

民間の製薬部門がこれだけ弱体だと、たとえワクチンの大きな需要を見込めても、すぐにそれに対応して生産体制を構築することは困難である。

コロナ危機に直面し、ワクチン製造にかかわる機械設備の需要は、すでに2020年の早い時期から高まっていたという。当然、ロシア国内ではそうした機械設備は調達できず、欧米から買い付けなければならないので、ロシアの製薬メーカーにはこれが大きなハードルとなった。ワクチン生産に必要な人材の確保もボトルネックであった。

スプートニクVの生産は、開発したガマレヤ研究センターのほか、BIOCAD社、ゲネリウム社、ビンノファルム・グループといった民間企業が手掛け、今年4月には大手のRファルム社も加わった。これにより、ロシア国内の必要量をまかなう程度の生産体制はどうにか整ったようである。

しかし、少なくとも当面は外国に本格的な規模の輸出を行う余力はないと言われている。もっともロシア政府が、「パニックを避けるため」などと称してワクチン生産データなどをあまり表に出したがらず、具体的なところは不明であるが。

いずれにしても国内の生産体制に限界があるため、ロシア政府はスプートニクVを国外でライセンス生産する事業を積極的に推進している。

5月中旬に伝えられた情報によると、本件担当のロシア直接投資基金はすでにインド、中国、韓国、ブラジルをはじめとする10ヵ国の15社と、現地生産に関する契約を調印したとされる。

ただ、生産が本格化するのはこれからであろう。そうこうするうちに、欧米大手のファイザー、アストラゼネカ、モデルナなどのワクチンには水をあけられる一方である。

ところで、ロシアは日本の政財界に対してもスプートニクVのライセンス生産を持ちかけている。しかし、すでに日本政府が欧米大手からワクチンの調達を進めている中で、これからスプートニクVが日本市場に食い込むのは現実的と思えない。

これは完全な後知恵だが、もしもスプートニクVの生産で日本とロシアが早期に提携し、実際に日本でスプートニクVが生産されていたらWin-Winの関係が築けたかもしれない。

ロシアは、自国製薬産業の弱みを補うことができた。日本はもっと早くに国内のワクチン接種に着手し、憂いなくオリンピックを迎えることができたのではないか。

安倍晋三前総理の時代、ロシアとの間で領土問題を解決し平和条約を締結すべく、そのための関係強化の方策として日ロ経済協力の8項目の協力プランが策定された。その一つが、まさに医療分野の協力であった。

しかし、その協力プランはあくまでも日本の先進的な医療技術をロシアに提供し、ロシア国民の健康寿命の伸長に貢献するということを想定していた。

ロシアが世界に先駆けて、人類を苦しめるパンデミックを解決できるようなワクチンを開発するなどということは、まったく想定外だったのである。