なお、本連載で何度も取り上げてきたとおり、ルカシェンコ氏は2020年8月の大統領選で大苦戦したが、当局は同氏が80.1%を得票して勝利したと発表、現在に至るまでルカシェンコ体制による暴力支配が続いている。
逮捕されたのはベラルーシの著名な政治評論家A.フェドゥータ氏、ベラルーシ出身で米国在住の弁護士Yu.ゼンコヴィチ氏、ベラルーシ人民戦線党のG.コストゥショフ党首ら数名であった。
ゼンコヴィチは4月11日に、フェドゥータは4月13日に、ともにベラルーシ政権側の要請にもとづきロシア連邦保安局(FSB)によってモスクワで逮捕された。ベラルーシ在住のコストゥショフは、4月12日にベラルーシ国家保安委員会(KGB)によって逮捕された。
フェドゥータ氏は、ルカシェンコ氏が1994年に大統領に登り詰めた際、ブレーンとして彼を支えた人物である。その後、独裁化していったルカシェンコ大統領と袂を分かち、反体制側に転じた。
今回の事件で思い出したが、筆者は一度だけ、2001年11月にフェドゥータ氏にインタビューをしたことがあった。名誉心が強く、単に評論をするだけでなく、「行動」を起こそうとするタイプというイメージを抱いていたが、面談した際の印象もそのとおりであった。
2010年の大統領選に際し、フェドゥータ氏は、野党の有力候補だったV.ネクリャエフ氏の陣営で働いた。それが原因で政権からにらまれ、ベラルーシKGBによって逮捕された。国際社会からの支援などで解放された後、ここ数年はポーランドに身を寄せていた。
フェドゥータ氏はベラルーシ政治の酸いも甘いも噛み分けてきた人物である。いくら名誉心が強くても、クーデターや暗殺といったリスクの高い挙に出たりするだろうかと、一報を受けた筆者は戸惑いを覚えた。
ベラルーシおよびロシアの国営メディアは、首謀者らが2020年にリモート会議で国家転覆および暗殺について謀議していたとされる動画を公開した。それを見ると、確かに彼らはそのようなことを話し合っており、動画自体はフェイクではないようである。
また、4月28日にはベラルーシの公共放送が「大統領の殺害」と題するドキュメンタリー番組を公開している。
番組は、米国が2020年8月のベラルーシ大統領選の際、いわゆる「カラー革命」を仕掛けようとしたが、それがついえたので、今度は過激派をけしかけて、武力による国家転覆および大統領一家の抹殺を企んだという筋書きを描いている。
番組の中で容疑者たちは事実関係について供述し、自らの罪を認めているのである。
しかし、彼らが2020年に開いていたリモート会議の動画を見る限り、単に「どうすればルカシェンコ体制を打倒できるか?」というシミュレーションを試みていただけのように思える。暗殺云々についても、思考実験の一環だった公算が大きい。
そもそも、グループの中にベラルーシ在住者は1人しかいないし、評論家や弁護士が素手でクーデターを起こせるはずもない。はかりごとを本気でするなら、セキュリティの弱点を指摘されるZoomで打ち合わせはしないだろう。
一部始終が録画されていたのも妙だし、ドキュメンタリー番組で容疑者たちが何やらさばさばした様子で供述しているのも不自然だ。
ちなみに、2020年のリモート会議でゼンコヴィチは「では私は今回の話をラングレーにつなごう」などと述べている。ラングレーとは米中央情報局(CIA)を指す隠語だが、これを根拠にルカシェンコ氏は「犯人一味は米特務機関の指導下で動いていた」と決め付けている。
だが、おそらくゼンコヴィチは、アメリカの要人とのコネクションほのめかして、虚勢を張っていただけではないか。トランプ時代の2020年に発案されたベラルーシの国家転覆計画が、2021年にバイデン政権下で実行に移されるというのも辻褄が合わない。
結局、今回の騒動は、脱ルカシェンコ体制の道筋を机上で議論していたゼンコヴィチ氏やフェドゥータ氏らが罠にはめられ、国家転覆・暗殺計画の首謀者としてさらされてしまったのではないか、と私はみている。
伝えられている情報を総合し、筆者なりに今回の出来事を整理してみると、おそらくは次のようなことだったのではないだろうか。
ベラルーシKGBは、フェドゥータ氏やゼンコヴィチ氏が、何やら不穏当な謀議を交わしている事実を掴んだ。ただ、彼らが欧米を拠点とし、リモート会議でルカシェンコ体制の打倒を議論しているだけでは、ベラルーシKGBとしても手出しができない。
そこでベラルーシKGBは、ロシアFSBの協力を得て、一芝居打ったのだろう。フェドゥータ氏とゼンコヴィチ氏は、「我々はベラルーシの将軍だ」と名乗る人物たちから連絡を受け、モスクワに誘い出されたということである。
「我々はクーデターの計画を練っているので、協力してほしい。モスクワで会って協議しよう」などと持ち掛けられ、その気になってしまったようだ。そして、軽率にもそれに乗って出かけて行って、お縄となってしまった。以上が筆者の見立てである。
表現が適切かどうか分からないが、ロシアとベラルーシの公安当局が共同で仕掛けた「反体制派ホイホイ」に、まんまとかかってしまった格好であろう。
ロシアのプーチン政権も、ベラルーシのルカシェンコ政権も、今回の事件を最大限に政治利用しようとしている。
プーチン大統領は4月21日に年次教書演説を行った。基本的に、国内の経済・社会問題を重視した内容であり、国際関係に触れた部分は多くなかった。
国際関係のパートで、プーチンがもっとも力を込めて論じたのが、まさにベラルーシにおける国家転覆とルカシェンコ暗殺の未遂事件であった。
演説の中でプーチンは「これほどまでに非道な行為でも、いわゆる『西側』はまったく非難しないというのが特徴的である」と皮肉ってみせた。
このようにプーチンは今回の騒ぎを、ウクライナ問題やA.ナワリヌイ氏の問題などでロシアへの批判を強める欧米に反撃を加えるとともに、自らの強権政治を正当化する材料に使っているわけである。
そして、自らと一家の「暗殺」までが取り沙汰されたルカシェンコ氏は、より大袈裟なリアクションを示した。政治制度自体を変えてしまったのである。
ルカシェンコ氏は5月9日に大統領布告に署名し、国家元首が暗殺、テロ、外敵の侵略等によって死去した場合、すべての国家機関および公職者は「安全保障会議」の決定にもとづき行動すると定めたのだ。
現行憲法によれば、大統領が欠けた場合には首相が当面の代行を務めると明記されているので、今回の布告は憲法違反の疑いが濃い。
安全保障会議は、首相が長を務めるとはいえ、多数派は軍事・治安機関の幹部である。つまり、もしもルカシェンコが死去したら、ベラルーシは一時的ではあれ事実上の軍政に移行するということである。
そもそも、目下ルカシェンコ政権は憲法改革を準備中であり、来年1月には新憲法案を国民投票にかけることになっている。なぜルカシェンコは、それを待つことなく、今回焦って布告を出したのか?
政治評論家のV.カルバレヴィチ氏は、ルカシェンコは昨年の民衆反乱以来、心理的なトラウマ状態にあり、4月の国家転覆・暗殺騒ぎについても、本当にそれが差し迫ったものであったかのように受け止めたのではないかと分析している。