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『菅義偉とメディア』著者は元菅長官番の現役記者 永田町で感じた違和感、赤裸々に

研究室から見える世界 更新日: 公開日:
官房長官時代の菅義偉氏と、取材する報道陣=2015年12月、羽田空港国際線ターミナル、関田航撮影

元新聞記者で、いま大学でジャーナリズムとアフリカ研究を教える筆者による新連載。第1回は記者会見での突っ込みが足りないなどと批判が絶えない政治取材の現場に ついて、楽屋裏を明かす本を著した現役記者に直撃インタビューしました。

菅政権の発足から3カ月後の2020年12月、日本政治に関する1冊の本が出版された。『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)。筆者は毎日新聞の秋山信一記者。2017年4月から3年半にわたって政治部に在籍し、このうち2019年10月からの1年間は、安倍政権の官房長官だった菅氏に「番記者」として張り付いた。

菅氏の首相就任に合わせて出版された書籍は数多いが、秋山氏の作品は異色だ。菅氏の人物像に焦点を当てつつも、全国紙政治部記者が内側から見た政治メディアの問題点を赤裸々に「告白」しているのである。私はこのほど秋山氏にインタビューし、出版の背景や日本の政治メディアについての考えを聞いた。秋山氏の言葉から見えてきたのは、現場で取材している記者の「個」が欠落した日本の政治報道の病弊である。(白戸圭一)

【白戸さんのこれまでの連載「アフリカの地図を片手に」はこちら

■政治部を「取材」した

『菅義偉とメディア』を著した毎日新聞の秋山信一記者(髙橋勝視氏撮影)

白戸 取材対象の政治家との癒着、番記者の横並び体質、生ぬるい批判精神――。近年、国政を取材する日本の政治メディアに対し、そうした批判が数多く寄せられています。しかし、批判の多くは政治部の外の世界から寄せられているものであり、政治部の記者、しかも官房長官番のような政治部の中心に位置する記者自身の肉声が実名で公にされることはまれです。なぜ、このような本を書こうと思ったのですか。

秋山 エジプトから帰国し、政治部に配属された初日から、政治部の仕事の仕方に強い違和感を抱きました。記者になって14年目にして初めて政治部に配属されたのですが、それまでの地方支局、社会部、海外特派員の仕事では感じたことのないストレスでしたね。

それで、以前政治部に在籍したことのある記者たちに「政治部っておかしくないですか」などと愚痴を言っていたのですが、実は多くの元政治部記者が、私と同じような違和感を政治メディアに抱いていたことを知りました。そこで、希望して政治部に配属されたわけでもなかったので、政治家を取材するだけではなく、政治記者そのものを観察対象にすることにしたのです。政治部は観察対象としては大変興味深い組織でした。

白戸 どのような違和感、ストレスでしたか?

秋山 一番の問題は、取材をした現場の記者が自分の言葉で記事を書けないことです。社会部での事件取材でも海外特派員の仕事でも、自分で歩き、人に話を聞き、自分で考えて記事を書いてきました。ところが、政治部では、記者として当たり前だと思っていた、そういうことが全くできなかった。現場の若い記者は取材して膨大な情報を持っているにもかかわらず、それを積極的に書かないし、また、上の人間は彼らに書かせようともしない。記者は膨大な情報を集めているのですが、いざ記事を書いてアウトプットしようとすると、とにかく政治部内にハードルが多過ぎて、結局、読者の目に触れる段階では、ありきたりの内容で構成された定型的な記事になってしまうのです。

政治部の記者たちは、どのタイミングでどのような記事を書くかということまでも自分たちで決めてしまっており、その結果、自縄自縛に陥り、取材した政治家や政界の出来事の実像を世の中に十分に伝えきれていないと思いました。

■取材したことを伝えていない?

白戸 政治メディアは実像を伝えていない、ということですか。

秋山 政治部の世界では、若手記者が永田町の現場で政治家を取材していますが、彼らは原稿を書くのではなく、政治家の言ったことをメモにしてキャップやデスクといった上司に報告し、キャップやデスクは、そのメモを基に作文します。キャップやデスクといったベテラン記者は、記事の中で使う語句や言い回し、記事の書き方のパターンを知っているので、メモの中から言葉を選んで定型的な文章を作文し、それが読者の目に触れているわけです。

白戸 河井氏のパワハラは、大学教員の私ですら知人の官僚や企業人から聞かされたことがあるほど悪名高いものでした。秋山さんは本書で、ご自身が取材で見聞した河井氏のパワハラの様子を克明に再現していますが、毎日新聞を含む政治メディアは、河井氏のそういう「実像」を報じてこなかったように思います。

秋山 政治部の取材では、キャップやデスクが、現場の若い記者から上がってきたメモに基づき、定型的な作文を書くようなことを続けているので、記者が現場で感じたことや生々しい体験が、記事になった段階では全く反映されなくなることが日常化しているのです。現場の記者が取材を通じて「これを書きたい」「これは書かなければならない」との思いを抱き、その思いに基づいて記事を書かなければ、現場で起きている本当のことは読者に伝わりません。

自分で取材したことを自分で自由に書いている政治記者の例外は、高齢のベテラン政治記者ですね(笑)。しかし、日々の仕事を支えている若い現場の記者は、あまりにもアウトプットさせてもらっていない。

■出版に政治部や首相からの反応は

新刊『菅義偉とメディア』

白戸 私自身、毎日新聞記者だった当時、政治部に計3年半配属され、秋山さんと同じく違和感を抱きながら働いていました。もう10年以上前のことですが、当時は部内で問題提起できる雰囲気ではなく、一度、外信部長に相談したことがありますが、「政治部はエリートコースだぞ。文句言わずに働け」と一喝されて終わり(笑)。今回、このような本を書いたことに対して、政治部から反発はありませんでしたか?

秋山 政治部長には事前に本を書くことをお知らせしましたが、原稿のやり取りは自分と出版社の間で完結していたため、事前に原稿を見せてもいないし、出版後に何か言われたこともありません。本書に書いた内容について、私は普段から政治部内で問題提起していたので、政治報道に関する私の考えは部内で知られていたと思います。そのせいか、特段のネガティブなリアクションはありません。

時代の変化もあるのかもしれません。政治部の世界もかつてのような上意下達のカルチャーは薄れてきており、少しずつではあるが、現場の若手記者に自由に記事を書かせるべきだという方向に変わってきてはいるかな、と思います。

白戸 本書では、菅首相が官房長官時代に番記者との懇談でオフレコを前提に語った言葉についても書いていますね。出版後に菅首相サイドから抗議はありませんか。また、各社の政治部から「オフレコ破りをされては困る」といった反発は?

秋山 菅首相側からも政治部の世界からも特にありません。オフレコと言っても、未来永劫(えいごう)オフレコではなく、発言の主が亡くなったり、政治家を引退したりすれば、書くべきタイミングというものがあるのではないでしょうか。もちろん、取材相手との信義は大切なので、何でも書けるということはないでしょうが、少なくとも複数の記者が出席している懇談の場での発言であれば、報道すべきだと思いました。やはり総理大臣になった以上、菅義偉という人がどういう人物なのか、その発言、考え方、人柄は今まで以上に問われるべきだと考えています。政治家によっては「もう毎日新聞とは付き合わない」みたいなことを言う人がいるかもしれないが、菅氏はそういう人ではないな、と感じていたというのも、オフレコ発言を明らかにした理由の一つではあります。

■集めた情報、もっと国民に発信を

白戸 政治メディアはこれからどうしたらよいと思いますか。

秋山 いま、政治部記者の記者会見での質問の仕方が生ぬるい、などという批判があります。追及の甘さは問題ですが、きつい口調で政治家を問い詰めていけば真実が出てくるのかというと、そんな単純な話ではない。問題は、先ほどお話しした通り、情報をアウトプットしていくプロセスにあると思います。ジャーナリズムは取材して情報を積み上げて、それを伝えていくということの繰り返しですが、政治部は国民に向けて、あまりにも情報を出していません。記者はそもそも報道するために情報を集めているはずです。

永田町という狭い空間に、これほど大勢の記者が密着している日本メディアの政治部のような組織は、世界にも例がないように思います。政治部記者たちは実に様々な情報を持っており、面白いことをたくさん知っています。もっと取材した現場の人間に原稿を書かせないとだめだと思います。現場で取材している若手記者の裁量を増やすとともに、若手記者が取材したことを上手に表現できる力量を向上させることも大事だと思います。