畳はヘドロにまみれ、家具はめちゃめちゃに倒れていた。豪雨から2日目。自宅に戻ると、中は変わり果てていた。「もう無理だ」。数々の水害を乗り越えてきた夫婦は、温暖化の脅威にさらされ、ついに故郷を離れることを決めた。
昨年7月に熊本県を襲った豪雨は観測史上最大の雨量を記録。「日本3大急流」で知られる球磨川の流域を中心に県内で4588棟が全半壊し、65人が死亡、2人が行方不明となった。特に被害が大きかった球磨村は全世帯(約1460世帯)の3分の1近くの住宅が全半壊した。気象庁は「地球温暖化が降水量を増やした可能性がある」と発表した。
岩本一徳さん(73)は球磨村の神瀬地区で生まれ育った。球磨川のほとりにある自宅は幾度となく水害にさらされた。高校生だった1965年、戦後最大と言われた大洪水は家の柱だけ残し、壁も全て流し去った。父親は家の下にブロックを積み、1メートル近く持ち上げて次の洪水に備えた。結婚して数年たった82年、妻の豊子さん(71)は生まれて初めて洪水を経験した。傘1本持って逃げるのがやっとだった。家は残ったが、1階の家財は全て流された。
相次ぐ水害に、国は川沿いの国道を約3メートルかさ上げする事業にのり出した。工事区域にかぶった岩本家は、山側に移るよう求められた。その後、仮住まいをへて近所に家を新築。だが、7年後、今度は支流の氾濫(はんらん)を防ぐ堤防を築くために再び立ち退きを迫られた。当初は移転を断ったが、「他の人も困るから」と言われて受け入れた。堤防の隣に再度家を建て、もう大丈夫だと思った。
だが17年後に今回の洪水がやってきた。想定をはるかに上回り、降った雨は2日間で7月の平均雨量の約1カ月分。「100年に一度」の洪水を想定した堤防を軽々と越えて集落をのみこんだ。水位はあっという間に腰まで上がり、仏壇の位牌(いはい)も取りに行けずに2階に逃げた。集落一帯が海原のようになる中、最後は消防団がボート代わりにこいできた保育園のプールで救助された。
被災後、一徳さんは夜うなされるようになった。心配する豊子さんと相談し、隣の人吉市の中古住宅を買って1月に移った。「もしここが水害にあうなら人吉市は全滅と言われるぐらい安全な所だと聞きました」。自分を育ててくれたふるさとを離れるのは後ろ髪を引かれる思いだ。今でも、車で片道40分かけて復興にあたる住民やボランティアのもとに通う。だが、「また今年水害がくるかもしれない。たとえかさ上げしても、もうここには住めない」。
■今そこにある危機
近年温暖化と豪雨との関係が次々と明らかになってきている。気象庁気象研究所と東京大などのチームは昨秋、温暖化の影響がないと仮定した場合と比べて17年の九州北部豪雨の発生確率は約1.5倍、18年の西日本豪雨は約3.3倍になったと分析し、「温暖化はもはや将来の問題ではない」と指摘。気象研の川瀬宏明主任研究官(40)は「すごくまれな状況にならないと発生しなかった大雨が、まれではない気象状況下でも起こるようになってきている」と話す。
豪雨はダムへの考え方も一変させた。「前提条件が変わった」「地球環境は不確実性が進んでいる」。熊本県の蒲島郁夫知事は昨年、13年前に自ら白紙撤回した球磨川の支流、川辺川のダム建設について、再び方針を転換。治水専用ダムとして建設を認める考えを表明した。「県民の生命と財産を守る役割がある」と、苦渋の決断だった。
球磨村では被災から8カ月以上たった今も、土砂に埋もれたり、倒壊したままの家屋が残る。「コロナによって、ボランティアも他の自治体からの応援も、家族ですらこられない」。緊急事態宣言が続く2月、地元で先頭に立って復旧にあたる岩崎哲秀さん(47)は言った。「全部が行き詰まっています」
こうした中、村は今回の水没した地域の集団移転も検討し、今後の住まいをどうするかについての議論を4月から本格化させる。
約300年前から川沿いの自宅を代々受け継いできた友尻辰生さん(69)の地区も対象の一つだ。40世帯ほどある集落は数十年かけて2、3メートルのかさ上げをした。今回それをさらに2、3メートル超す水が押し寄せた。地震や津波といった天災と異なり、気候変動は人の活動が影響を及ぼしている。「だれの責任とは言えないが、異常気象は人間が作りだしたもの。暮らしをよくしようとあまりにも自然を壊してきた。やはり自然に返らんといかんとか」
■「結局、自分にめぐってくる」
神瀬地区の上蔀(うわしとみ)忠成さん(47)は自宅が全壊し、家財も車もすべて失って初めて気づいたことがある。「必要なものを必要な分だけ持っていれば生活できる」
いま仮設住宅で暮らしながら、地元に残るかどうか家族と葛藤を続けている。神瀬で生まれ育った。近所同士、顔をあわせばわいわい人が集まって、世代を問わず夜中まで語り明かすような「あったかい場所」だった。古里を再建させたいという思いは人一倍強い。
あの日、地域一帯が水に沈む中、消防団の仲間と一緒に50人の住民を救助した。小学生二人の息子たちに二度と同じ思いをさせたくない。恐怖が今でもよみがえり「そこで生活するのは考えられない」という妻の由美さん(43)の気持ちも痛いほどわかる。同じ場所で住むにはかさ上げが不可欠で、それには長期にわたる工事が避けられない。子どもたちの成長を考えたとき、それが最善なのか。「戻りたいという自分の気持ちだけでは家族がバラバラになってしまう」。どうすればいいのか、答えが見つからない。
そんな先の見えない中でも、日々の生活では買い置きはせず、必要なものだけ買えばいいと考えるようになった。「自分も災害に遭うまでは他人事としか思っていなかった。温暖化は一人ひとりが気にかけていかんことには止まらんとですよ。結局、自分にめぐってくる」
村が3月に公表した復興計画には「豪雨災害を教訓として、脱炭素社会の実現に向けたむらづくりを目指す」との一文が盛り込まれた。今後、省エネ住宅の建設などを目指すという。どう復興していくかを話し合う住民懇談会の中である女性から「自分たちができることから少しでも取り組んだらどうだろうか」との声があがったことが後押ししたという。
気候変動は人命をも脅かす問題――。福島県郡山市、長野県、長野県佐久市など、豪雨や台風被害にあった自治体が温暖化対策に乗り出す動きが広がり始めている。