古い建物を改装したその店は、東京スカイツリーにほど近い、下町の小さな商店街の一角にあった。狭い入り口をくぐると、6畳ほどの店の壁一面に色とりどりの仮面が並んでいる。鳥のくちばしのような面、平らな金属の面、触角のようなひもがついたエイリアンみたいな面もある。そう、ここは仮面屋だ。顔に着ける様々な面を求めて、様々な人がこの店にやってくるとうわさになっていた。
店の名前は「仮面屋おもて」。200種類の仮面を置く、日本でおそらく唯一の仮面専門店である。壁の真ん中に誰かの顔が掛かっていた。あごのニキビ痕、前髪の生え際の産毛、透けて見える血管。若い女性のその顔は、実在する人の顔の3Dデータと写真を用いて作った売り物だ。
店主の大川原脩平さん(30)は昨年10月、「あなたの顔を買い取らせてください」と呼びかける企画で世界の注目を集めた。4万円で顔を買い取り、面にして売る。「あなたと同じ顔をした人が、世界に増えていきます。同じ顔が増える、言ってしまえばただそれだけのことです。しかし、きっとワクワクするひとがいると思います」とウェブサイトに書いた。世界中の記者が「顔を売り買いする不気味なやつ」「最高にクールだ」などと報じた。
1カ月で日本はもとよりブラジル、中国など世界から約200件の応募があった。そして選ばれたのが、壁にあった女性の顔だ。2月の第1週、一つ9万8000円で予約販売した。誰の顔かは明かさない。
大川原さんの顔から作った面も、これまで20枚ほど売れた。購入した一人は、人気アニメ「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎役で知られる声優の花江夏樹さん(29)だ。花江さんはロケで店を訪れ、その後もSNSでフォローしていたが、「この顔のマスクを見かける度に、そのリアルさと不気味さに今までにない魅力を感じ購入しました」と、書面で取材に応じた。
アニメ「東京喰種(トーキョーグール)」の金木研など、役柄でも仮面に縁のある花江さんだが、学生の頃から、ガスマスクやペスト医師の仮面が好きだったという。他人の顔の面の何が魅力だったのか。「全くの別人になれるというところですね。僕は人と目を見て話すのが苦手で、できれば顔を隠していたいという気持ちがあります。なのでいろいろな自分に気軽になれるという点で魅力を感じます」。仮面を着けるのは「癒やされたい時」だと花江さんは言う。「鏡をぼーっと見つめていると気分が落ち着きます。許されるのであれば外出する際など日常的に着用したいです」
哲学者の和辻哲郎氏は、顔面は「人格の座」だと書いた。顔は情報の塊であり、その人そのものだ。顔を隠すことで人は何者かに憑依(ひょうい)したり、別人格に変わったりもする。仮面は世界の俳優教育にも広く用いられてきた。
店主の大川原さん自身、舞踏家として仮面に出合った。店で扱うのは顔の形の面ばかりではない。「これ仮面ですよね」と、ある作家が持ち込んだ作品はロープをぐにゃりと編んだような物体だ。「何を仮面と思うかは人それぞれ。布一枚かぶっただけで人が変わることだってある」。自分のアイデンティティーが揺らぐような現象や体験を、「仮面」ととらえている。ある女性はペスト医師の面を買っていった。着けると家の掃除をする気が起きるという。獣になりたくて動物の面を着ける人、自分の顔が受け入れられない人もいる。
日本人は古くから、顔を見せたり隠したりして暮らしてきた。江戸時代には外出時に男女が布で顔を隠した。「面を上げい」と偉い人に言われるまで顔を見せなかった時代もある。1970年代の本に載る東北の農家の女性は、汗と日よけの布で目以外を覆い、顔を隠した中東の女性のようだ。コロナ禍のいま、マスクに抵抗がない人が比較的多いことと関係するのかもしれない。
コロナ禍の世界では、世界中の人が同時にマスクを着けるようになった。表情が見えない、うっとうしい。でも、悪いことばかりでもない。マスクで顔を覆っていれば非難もされず生きていける。大川原さんは言う。「マスクを着ければ社会の一員でいられる。今も昔も、マスクは生きるためのお守りなのでしょう」