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両親を奪った大地震、映像作品に 悲劇から一歩前に進めた、私のきっかけ

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1999年の大地震で両親を失ったイヒサン・カヤさん。被災者の証言を集めて制作したドキュメンタリーを見せてくれた=2020年11月、トルコ北西部アダパザル、高野裕介撮影

「夜が明けたら、街がなくなっていた」「ここで死ぬのだと、覚悟した」。画面の中で被災者たちが語りかける。当時の様子を伝える国際ニュースなどが織り込まれ、まるで爆撃されたような街の光景が映し出される。1999年8月17日午前3時2分。最大都市イスタンブールにも近い北西部コジャエリ県などで発生し、1万7000人以上の命が奪われた地震を記録するドキュメンタリー映像だ。

制作したのは、大学でコミュニケーション学を専攻するイヒサン・カヤさん(22)。昨年8月に完成した作品の名は「100年間の一番長い夜」。あの日、そのまま目を覚ますことがなかった人にとって、明けることのない夜だったとの意味が込められた。その中には、父イブラヒムさん、母ヒキメットさんがいる。

生後17カ月だった当時の記憶はない。大きな被害を受けた北西部アダパザルで、両親は倒壊した集合住宅の下敷きになり、自分と3人の兄だけが助け出された。それぞれ別の親戚に引き取られ、イヒサンさんはイスタンブール郊外で伯母夫婦に育てられた。父母が亡くなったことは誰に言われるでもなく、物心ついたころにはわかったという。

1999年の大地震で、震源地に近く大きな被害を受けた北西部ギュルジュク。高台からは、震災後に建てられた集合住宅を一望できる=2020年11月12日、ギョルジュク、高野裕介撮影

生い立ちに強く思いをめぐらせることはなかった。だが、年を重ねるにつれ、「自分は何者か」という問いに向き合わなければならないと感じるようになった。大学生になって始めた地元テレビ局での映像編集のアルバイトが、ドキュメンタリーの制作につながった。

人づてにたぐり、故郷の被災者らの話を聞いた。「遠かった出来事が、まるで昨日自らが経験したことのようだった」。建築の専門家や技術者にも証言を求め、地盤や耐震の重要性を聞き出した。根底にあるのは、自分のような境遇になる子どもが、二度と生まれてはいけないという強い願いだ。

父は、イヒサンさんと同じで冗談好きだったそうだ。もし2人でいたら、どれだけ大笑いするだろうか。顔が似ていると言われる静かな性格の母親は、どんな家庭を築いてくれただろうか。絶対にかなわぬことだと知りながら、ときどき、写真のなかでしか知らない両親との「もし」を想像してしまうことに、癒えない傷を感じる。

ただ、イヒサンさんはこうも言う。「このドキュメンタリーを作ったことで、一歩前に進むことができると思う。作品は、私自身なんです」

1999年の大地震で両親を失ったイヒサン・カヤさん。被災者の証言を集めたドキュメンタリーを制作した=2020年11月11日、トルコ北西部アダパザル、高野裕介撮影

トルコでは、地震が起きるたびに防災の重要性が説かれるが、耐震対策などの不備は指摘され続けている。最も被害が大きかった街の一つ、ギョルジュクでは地震後に約4千棟の集合住宅やビルが造られたほか、建物の補強も行われた。古いビルが残る中心部ではまもなく再開発が始まる。アリ・ユルドゥルム・セゼル市長(50)は、「今も多くの人たちが心に傷を抱えたままだ。安心して生活を送ってもらうために、『地震はまた来る』という意識を持ち、対策を講じていく必要がある」と訴える。

1999年の大地震で、震源地に近く大きな被害を受けた北西部ギュルジュク。海岸沿いには地震の慰霊碑が建てられ、市民が釣り糸を垂らしていた=2020年11月12日、ギョルジュク、高野裕介撮影

人口の9割以上がイスラム教徒のトルコ。厳格な政教分離で世俗主義を国是とするが、被災後に宗教を心のよりどころにした人たちも多かった。

アダパザルから東に約60キロの街ドゥズジェに住むヌルテン・サカリヤさん(53)は99年の地震で助かったことについて、取材中に何度も神への感謝を口にした。保守的なイスラム教徒の女性に多い、黒いスカーフと、全身を覆う黒い布をまとっている。

1999年の震災後、深くイスラム教を信仰するようになったヌルテン・サカリヤさん。自宅の棚には、聖地メッカのカーバ神殿を模した箱が飾られていた=2020年11月11日、トルコ北西部ドゥズジェ、高野裕介撮影

妊娠中だったヌルテンさんは、地震で倒れた集合住宅から10時間後に助け出された。3週間後、長女ヒラルちゃんを出産。ただ、母乳を与えるとすぐに吐いたり、頻繁に泣いたりした。医師には肺に問題があると言われたが、地震で混乱する地元の病院では治療できず、すぐにイスタンブールに運ばれることになった。その途中、救急車の中でヒラルちゃんは亡くなった。生後18日だった。

地震が襲ったとき、腹を強く打ったかもしれず、被災後のストレスが母体に影響した可能性もあると言われた。打ちひしがれ、同じことを何度も口にし、物忘れもひどくなった。寝ようと目を閉じると、パイプが折れて水が噴き出す音、「ゴゴゴー」という地鳴りが聞こえ、地震発生時の記憶がよみがえる。「どうせ死ぬなら、同じ部屋で寝よう」。夫や長男にそう言うようになった。

ふさぎ込むヌルテンさんを癒やしたのは宗教だった。友人に誘われ、聖典コーランを読み、モスク(イスラム礼拝所)に通うようになった。「人はアラー(神)の元から来て、アラーの元に戻るだけ。それがヒラルの運命だと理解すると、自分に起きたことを受け入れることができた」とほほ笑む。

1999年の震災後、深くイスラム教を信仰するようになったヌルテン・サカリヤさん(右)。次男のタハさんも聖典コーランを学んだ=2020年11月11日、トルコ北西部ドゥズジェ、高野裕介撮影

以前はお祈りも熱心にせず、スカーフもかぶらなかった。信仰心が強くなるにつれ、生かされた自分にできることは何かを考えた。10年ほど前から、高齢者や体の不自由な人の生活支援を始め、今は市役所の福祉部署で働く。

決して傷が癒え、立ち直ったわけではないと言う。でも、神を近くに感じることで、心の平静を保っている。「人それぞれが、スポーツや趣味、友人の存在など心の支えを見つけた。私の場合はそこに、イスラムがあったのです」