■消えない苦しみへの処方箋
「1人では苦しみにあらがえない。私に前を向かせてくれたのは家族だった」
9・11からまもなく20年。多くの被害者や遺族が「思い出したくない」と取材を断る中、ニューヨークの元消防士、ロブ・セラさん(40)は「新型コロナなどで困難に直面する人たちの助けになるのなら」と取材に応じてくれた。
前日に消防学校を卒業したばかりだった。当時21歳だったセラさんの初仕事がニューヨークのWTC、「グラウンドゼロ」だった。爆発した航空機の燃料や建物の残骸が燃え上がり、視界はほぼゼロ。粉じんと黒煙で呼吸がほとんどできなかった。
「救助活動をするには手遅れだった。有害物質が充満し、私も鼻血が止まらず、最後は意識を失った。忘れたくても忘れられない残酷な現場だった」
9・11に命を落とした約3000人のうち343人が緊急対応で現場に駆けつけたニューヨークなどの消防士だった。生還した消防士の多くも心や体に障害を負った。特に有害物質を吸い込んだことによる健康被害は深刻だった。「9・11関連病」と呼ばれる。被害者支援団体によると、9・11に関連して発症したがんなどで死亡した消防士は200人を超え、今も増え続けている。関連病の医療支援をするWTC健康プログラムには一般人も含め10万人以上が登録。心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ人はニューヨークだけで42万人以上と推測されている。
「現場には石綿など多くの有害物質があったことがあとでわかった。それが粉じんや黒煙となって目や鼻、皮膚から体に入ってきた」とセラさん。その後の健康診断では肺活量が79%まで落ち、鼻や鼻孔にポリープが見つかった。今では末梢神経障害で杖や車椅子なしでは動けない。「治療が一生続くことになった。治療を受けるたびに、当時のイメージがフラッシュバックする。肉体的な傷と精神的な傷は連動している。数日前にも元消防士が9・11関連のがんで死んだ。次は自分かと思うと、ただただ怖い」
長年、同じ苦しみを知る元消防士の仲間以外には自分を出せずにいた。「いまだに話すことは不快」というセラさんは取材中も沈黙やため息を繰り返した。そんな姿を見ていると苦しそうで、過去を思い出させる質問をしている自分に罪悪感を抱いた。
過去を話すのはつらい。それでも話そうと思うようになったのは、数年前のことだ。妻は9・11で父親を亡くした。2人の間に3人の子どもがいる。一番上の子は11歳。「おじいちゃんはなぜいないの」「お父さんはどうして治療がずっと必要なの」。成長するにつれ、聞かれることが多くなった。「子どもには正直でいたい」。そう夫婦で確認し、一緒に子どもたちの疑問に答えるようになった。
体の自由がきかず、ほかの父親のように一緒に遊べないことには理由がある。33歳で消防士を辞めなければいけなかったことにも理由がある。「いいお父さんでいたい」。子どもたちに話すことで徐々に過去の呪縛から解放され、将来を見つめるきっかけになった。苦しみを分かち合ってきた妻の存在も大きかった。
「あのとき現場に行かなければよかった。別の職業を選んでいればよかった。そんな風に自分をかわいそうだと思っていても何もいいことは起きなかった。それでは子どもたちの手本にはなれないと気づいた」とセラさん。「苦しみに浸るほうが、苦しみを乗り越えて前を向くよりも簡単だった。楽だから苦しみから抜けられなかった。苦しむことが、犠牲になった人たちを忘れないことだと勘違いしていた。でも過去は変えられない。自分が変えられるのは未来だけだと、そう悟るまでに十数年かかった」
グラウンドゼロにはいま、全米一の高さを誇る新たなWTCの高層ビル群が建ち、テロ攻撃による破壊からの復興を象徴する地区となっている。その足元に「国立9/11メモリアル・ミュージアム」が建設され、犠牲者の慰霊や被害者支援をしながら当時の悲劇を伝えている。19年は600万人以上が訪れたが、20年は新型コロナの感染拡大の影響で約半年間休館した。「ここは9・11後の希望とレジリエンス(復元力)を語り継ぐ場。コロナ禍でも9・11当時のような思いやりや共助をたくさんいただいた」と、広報担当のオリビア・エガーさんはいう。9・11からの復興は、ニューヨークのみならず全米、世界各国の人たちからの協力や励ましが大きな支えになったと強調した。
ただ、精神的ストレスからいまだにグラウンドゼロに来られない被害者もいる。セラさんは何度か訪れたが、「博物館の展示はほとんどが地下にあり、息苦しさを感じる。犠牲者の写真や壊れた消防車の展示は見るに堪えない。それに当時のにおいがまだする」。実際に訪問してみたが、息苦しさやにおいは感じられなかった。これが心の傷の深さだと実感した。
「苦しみの形も向き合い方も人それぞれだ。肉体的な傷と違って内面の傷は見えない。見えない心の苦しみを説明することは本人にも難しいし、ほかの人が理解することは不可能に近いと思う。苦しみは一生消えないし、共通の処方箋もない」とセラさんは話す。「それでも1人で抱え込むと苦しみのわなにますますはまる。コロナの最大の問題は人と会えないこと。1人では闘えない。助けが必要です。助けを求めてください。それが共通の処方箋になるのかもしれない」
セラさんは現在、元消防士らの医療費などを援助する民間団体を元同僚たちと立ち上げ、助け合いを通じて今後の人生を切り開こうとしている。
■助け合いはコロナ禍でも
9・11のテロ現場で死亡した343人の一人をよく知っている人にも取材ができた。ファイブ・タウンズ大学(ニューヨーク州ロングアイランド島)のIT専門職員、アンドリュー・サンチェスさん(34)。9・11の当日、高校で生物の授業を受けていた。高校があるサフォーク郡は、WTCから東に約40キロ離れた位置にあり、ニューヨーク市内へは通勤圏内。多くの生徒の親はWTCのあるマンハッタン島で仕事をしていた。
午前9時前、飛行機がWTCの北棟に衝突したという校内放送が突然流れた。学校とは全く関係ない内容の校内放送は初めてで、サンチェスさんは不思議に思ったが、すぐに2機目がWTCの南棟にも衝突したことが伝えられ、不測の事態が起きていることを感じ取った。携帯電話が出始めたばかりだった当時、生物の教師がつけたラジオでニュースを聞きはじめてテロ攻撃であることがわかった。生徒たちはマンハッタンで働く親の安否が心配でパニックに陥った。
「テロ攻撃はまだ続くのか。次はどこが狙われるのか。親はちゃんと家に戻ってくるのか。わからないことだらけで、恐怖しかなかった」とサンチェスさん。今でも当時の記憶が鮮明に残っている。
マンハッタンのオフィスにいたサンチェスさんの父親は無事だったが、この日、複数の生徒の親が自宅に戻らなかった。そのなかに家族ぐるみで親しかった同級生の女子生徒の父親がいた。正義感の強い、とても男気のある地元の消防隊長で、自分の判断で管轄外のWTCテロ現場に急行した。何日も安否が不明となった末、死亡者として身元が確認された。
「身近な人の死は衝撃が強かった。身元確認がなかなかできず、連日一人また一人と死亡確認が伝えられる。みんな高校生だったから、身近な人の死にどう対処していいのかわからなかった」
それでもなんとか乗り切れたのは、助け合いだったという。
「こんな状況でも高校は一日も休校せずに通常通りの授業をした。もちろん、授業どころではないし、来られない生徒もいたが、みんなが一緒にいられる環境を提供しようとしているのが伝わった」とサンチェスさん。「誰かがそばにいて、悲しみをわかちあってくれる。話を聞いてくれる。いま思えば、これがとても大切だった。大きな悲しみのなかだけど、みんながみんなの背中を支え合う重要性を知り、僕ら生徒は大きく成長したと思う」
支え合いは、ほかの学校やコミュニティーなどニューヨークのあちこちで見られた。被害者のための献血、救助・支援活動への寄付、様々なボランティア活動への参加。サンチェスさんの高校の生物の教師は、グラウンドゼロの救助現場にボランティアとして連日参加しながら、行方がわからない生徒の親の情報を集めて伝えた。消防隊長の父を亡くした女子生徒も家族や友達、学校や地元のコミュニティーなどから支えられ、励まされながら、つらい時期を克服し、今では結婚して幸せな家庭を築いているという。父親の消防隊長は英雄とたたえられ、地元に記念碑が建てられた。
いま世界中の人がコロナ禍の困難に直面している。米国ではコロナ感染による死者が1月11日現在で世界最多の37万人超となり、9・11の死者数をはるかに上回る。うちニューヨーク州の死者数は3万9000人を超え、米国の中でも最悪だ。先の見えない困難の時代だからこそ、助け合いが不可欠なのだという。
「時短営業を強いられている地元の飲食店から集中して出前をとる。客足が激減した地元の商店で集中的に買い物をする。いまニューヨークでは、あちこちのコミュニティーで地元の小規模店舗を廃業から救おうという行動が広がっている」とサンチェスさんはいう。「Buy Local(地元で買おう)」の言葉をキーワードに支援の輪が広がっており、商店のSNSに「LIKE」を押したり、自分のSNSで商店を紹介をする書き込みをしたりする動きも出ている。
また、サンチェスさんが勤務する大学では、新たな知識や技術を学ぶことでコロナ収束後によりよい仕事に就こうとする失業者や休業者の入学がこの数カ月で増えている。大学でも、こうした大人のための学費援助制度を強化するなどして背中を押そうとしているという。
「9・11を経験したニューヨーカーとして一つ言えることがある。困難な時ほど、みんながみんなを気にかけ、励まし合ったということ。助け合うことがニューヨークのレジリエンスだった。それはコロナ禍でも変わらない」。そうサンチェスさんは強調する。