■海軍長官が打ち出した「大西洋艦隊」案の意味
すでに本コラム(2018年12月19日)でも触れたように、米海軍関係者の間ではトランプ政権によって法制化された355隻艦隊態勢の構築をさらに増強して500隻艦隊にするアイデアが打ち出されていたものの、トランプ再選がならなかったことにより、アイデア止まりで今後どのようになるかは定かではない。
間違いなく政権発足後には新型コロナ対策に集中することになるバイデン政権が、たとえ中国海洋戦力の脅威を認めたとしても、大海軍建設を推し進める可能性は低い。
そこで、今年5月にトランプ大統領によって任命されたケネス・ブレイスウェイト米海軍長官は、大規模な艦艇建造計画のように莫大(ばくだい)な予算を必要とはせず、バイデン政権発足後も継続可能な海軍改革案を12月に入ってから立て続けに打ち出した。
その一つは、アメリカ艦隊総軍という組織を、かつて冷戦期にあったような大西洋艦隊として再編することである。
アメリカ艦隊総軍というのは北大西洋を責任海域とする組織で、現在は実動部隊として第2艦隊を指揮している。かつては大西洋艦隊(第2艦隊と第6艦隊が所属していた)と呼ばれていたが、ソ連との冷戦終結後に戦闘よりも訓練に重きを置くようになったために、艦隊総軍という組織へと変更されていた。
しかしながら、トランプ政権により、アメリカの主たる仮想敵が国際テロ勢力から中国とロシアへと転換されたため、ふたたびロシア海軍との対決を想定して、かつての大西洋艦隊を復活させようというわけである。
■欠番「第1艦隊」の再興案も
もう一つは、永らく欠番になっていた第1艦隊を復活させるという方針である。
「復活させる」というのは、第1艦隊は1973年までは存在していたが、第2次世界大戦後の戦力縮小によって廃止された第3艦隊が1973年に再興された際に、その第3艦隊に吸収されてしまい、それ以降現在に至るまで欠番になっていたからである。ブレイスウェイト海軍長官は、その第1艦隊を再興して、アメリカ太平洋艦隊の指揮下に組み込む方針を打ち出したのである。
アメリカ太平洋艦隊はハワイ州ホノルルに司令部を置き、横須賀を本拠地にしている第7艦隊と、カリフォルニア州サンディエゴを本拠地にする第3艦隊を実動部隊として指揮下に収めている。その担当海域は、アメリカ西岸域からインド・パキスタン国境線を延長させた地域までの広大な太平洋全域とインド洋の大半に及ぶ。
■中国海軍を見据えての措置
トランプ政権は、強大化した中国海洋戦力が東シナ海や南シナ海だけでなく、西太平洋やインド洋にまで勢力を拡大しつつある状況に対抗するために、それまで「アジア太平洋地域」という名称を用いていた地域を「インド太平洋地域」と呼称するように変更した。同様に、それまでアメリカ太平洋軍と呼称していた統合戦闘集団(太平洋艦隊はその構成部隊の一つ)の名称は「インド太平洋軍」と改称した。
ようするに、ソ連との冷戦に打ち勝ってソ連海洋戦力の脅威が消失し、ほとんど警戒を必要としなくなっていたインド洋に新たな軍事的脅威である中国海洋戦力が登場したため、インド洋を強調し始めたのである。
上記のように、インド洋の大半を担当するアメリカ海軍部隊は第7艦隊と第3艦隊から構成される太平洋艦隊である。ただし、第7艦隊は日本という前方(太平洋艦隊司令部のあるハワイやアメリカ本土から見て)に展開する戦闘艦隊という性格が強く、主として西太平洋(南シナ海や東シナ海、それに日本海やオホーツク海なども含む)からインド洋を担当している。一方、第3艦隊は後方で訓練を実施し、場合によっては第7艦隊に増援を送り出す艦隊という性格が強く、主として東太平洋を担当するとされている。
しかしながら、南シナ海や東シナ海、そしてインド洋での中国海軍の動きが活発になってきたため、第3艦隊からも恒常的に艦艇が南シナ海方面に展開するようになっている。そのため、今後ますますインド洋での中国海軍の作戦が強化される事態を想定しているアメリカ海軍としては、第7艦隊プラス第3艦隊の態勢では、広大な太平洋とインド洋をカバーすることが困難になると判断し、もう一つの艦隊を追加しようとしているというわけだ。
■第1艦隊誕生には時間が必要
今後しばらくの間は、アメリカ海軍艦艇の戦力が急速に増強されるわけではないので、アメリカ海軍内の各艦隊(第7艦隊と第3艦隊以外に、第2艦隊、第4艦隊、第5艦隊、第6艦隊がある)から艦艇を引き抜いて第1艦隊を編成するわけにはいかないであろう。ブレイスウェイト長官自身も、そのように語っている。
そのため、当面の間は太平洋艦隊(第7艦隊、第3艦隊)の中で艦艇をやりくりして第1艦隊を編成し、主としてインド洋方面の作戦に送り出すことになるものと思われる。したがって、第7艦隊が横須賀を本拠地としているように、インド洋あるいは南シナ海への出動に便利な場所に本拠地を設置して、第1艦隊を名実ともに誕生させるまでには、かなりの時間を要することになるであろう。
このようにトランプ政権は、自ら打ち出した「大国間の対決に打ち勝つ」という国防戦略の実現に向けての布石を、その幕引き寸前までしぶとく続けているのである。