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権限持たない交渉役、あいまいな要求……通訳も困惑、荒れた米朝協議

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
米国のビーガン国務副長官=2020年7月、代表撮影

「過去2年間、北朝鮮のカウンターパートは、交渉の障害物を見つけることに熱中し、多くの機会をむだにした」。2018年8月以降、米政府の北朝鮮外交を担当してきたビーガン米国務副長官は12月10日、ソウルでの講演でこう語った。ビーガン氏は何を強調したかったのか。関係者らの証言から浮かび上がったのは、特権生活にこだわり、変化を嫌った北朝鮮エリートたちの無責任な姿勢だった。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)

■「交渉能力がない」交渉役

日米韓の複数の関係筋によれば、米朝協議にかかわった北朝鮮当局者の多くは、交渉のための能力や権限を備えていなかった。

18年5月と19年1月に訪米した金英哲朝鮮労働党副委員長は、「米国は朝鮮に対する敵視政策をやめろ」といった原則論を唱えるか、米政府の悪口を言うことに熱中した。米側の通訳はしばしば、トランプ大統領やポンペオ国務長官に金英哲氏の言葉をそのまま伝えて良いかどうか悩んだという。

米側が要求をぶつけると、金英哲氏は「平壌に戻って、最高指導者の指示を仰ぐ」としか答えなかった。ポンペオ氏が18年7月に訪朝した際には、金氏が米側の要求に激高。「トランプ大統領ならそんなことは言わない」と怒鳴り、携帯電話をポンペオ氏に投げつけて、「これで今からワシントンに電話しろ」と騒いだという。

金氏は30年にわたり、板門店で南北軍事協議を担当してきた。常に相手を恫喝する態度から、韓国側が「毒蛇」というあだ名をつけたほどだった。2010年3月に起きた韓国哨戒艦沈没事件などを企画立案したともされる。米側の関係者は金英哲氏について「彼に交渉能力はない。北朝鮮の立場を伝えるという役割しか果たせなかった」と振り返る。

2019年1月、訪米した北朝鮮の金英哲・朝鮮労働党副委員長=ワシントン、ランハム裕子撮影

明らかに交渉権限が与えられていない人もいた。19年2月の第2回米朝首脳会談前、ビーガン氏と平壌で実務協議を行った金赫哲対米特別代表。金氏はビーガン氏との協議でたびたび中座した。交渉の途中でも、しばしば金氏の手元に北朝鮮からのメモが差し入れられ、協議がそのたびに中断した。

ビーガン氏は19年10月、ストックホルムで米朝協議に臨んだ。北朝鮮の金明吉首席代表は8時間以上続いた協議の大半で、和気あいあいと核問題や米朝国交正常化などについて意見を交換した。ところが、終了20分前になると、突然緊張した表情で立ち上がり、準備した声明を読み上げた。「米国が北朝鮮敵視政策をやめない」といった原則論だった。金明吉氏は協議後、記者団に「協議は決裂した」と伝えた。

金赫哲氏は過去の6者協議に偽名を使って出席した経験がある。金明吉氏も中国に駐在経験があるなど、核問題にも関与した。両氏は外交官で、米朝協議についての知識はあるものの、交渉権限が極めて限られていたことは明らかだった。

米側の関係者らは「北朝鮮で米朝協議を担当できる権限と能力がある人物は1人しかいなかった」と口をそろえる。シンガポールとハノイでの米朝首脳会談でそれぞれ実務協議を担当した崔善姫第1外務次官だった。米側には過去、6者協議などでの豊富な知識とスマートな交渉スタイルに定評があった李容浩外相(当時)の登場を願う声もあったが、実務協議を仕切ったのは崔氏だった。

北朝鮮の崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官(左)。米朝首脳会談が行われたシンガポールで=2018年6月10日、ランハム裕子撮影

ただ、崔氏はビーガン氏が講演で語ったように、交渉を壊しにかかるような姿勢が目についた。シンガポール会談の前では、非核化の言葉を使うこと自体消極的で、米側の怒りを買った。ハノイ会談前には、「寧辺核関連施設の放棄だけは十分ではない」とするビーガン氏らの主張を、金正恩党委員長に伝えなかった。

北朝鮮側の要求もあいまいだった。「米国による北朝鮮敵視政策の撤廃」を訴えたが、具体的に何をすればよいのかを明確に言わなかった。朝鮮戦争の休戦協定を終戦協定に変えるとする案は、韓国の文在寅政権が強く推した内容で、北朝鮮側にこだわりはなかった。

ハノイ会談では北朝鮮に対する国連制裁の一部緩和を求めたが、実務協議では、解除を望む具体的な制裁項目の確認を迫る米側に対し、きちんとした回答を持ち合わせていなかった。

米朝関係筋の1人は「結局、北朝鮮が望んでいたのは現状維持だった」と語る。非核化交渉は場合によって、北朝鮮の改革開放を促す結果になりかねない。北朝鮮は、特権階級の没落につながりかねない突っ込んだ交渉を避けたと言える。

ビーガン氏は10日の講演で、今後の米朝関係の具体的な課題として、朝鮮戦争に恒久的な終止符を打つ条約交渉や、軍事的な信頼構築、軍事交流、連絡事務所の相互設置、人的交流の拡大などを挙げた。関係筋の1人は「北朝鮮自身がまず、何を望むのかを明確にしてほしいというメッセージだ」と語る。

関係筋によれば、米政府は今回のビーガン氏の訪韓にあたり、北朝鮮とも会談する用意があるというメッセージを事前に伝えたが、北朝鮮側の返答はなかったという。

金正恩氏は19年4月、「年末まで米国の新しい提案を待つ」とする考えを表明したが、米国は現在に至るまで提案を行っていない。関係筋の1人は、北朝鮮がビーガン氏との対話に応じなかった理由について「来年1月にバイデン政権が発足するのに、ビーガン氏が新提案を持ってくるわけがないと考えたのだろう」と語る。

ビーガン氏は講演の終わりに「私の時間はまもなく終わるだろう。少なくとも今のところは(At least for now)」と語った。バイデン政権になっても、北朝鮮との交渉を担当したいというのが、ビーガン氏の素直な願いなのだろう。

不完全燃焼に終わった米朝協議の責任は、自分たちの利権を守ることに汲々とする北朝鮮エリートたちにある。