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日本はすでに「移民大国」 場当たり的な受け入れ政策はもう限界だ

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山梨県中央市の県営山王団地。住民の半数以上が日系人など外国人。看板は日本語とポルトガル語が併記されている=中村靖三郎撮影(本文とは関係ありません)

経済協力開発機構(OECD)によると、3カ月以上滞在する予定で日本に来た外国人は2018年に50万人を超え、世界有数の規模となった。国連経済社会局がまとめた19年の移民人口でみても約250万人と世界26位。急増している外国人技能実習生らが含まれているからだ。

ただ、多くの日本人に「移民大国」の実感はない。「移民」には「永住」のイメージが強く、実習生はあてはまらない。

今回、特集「気がつけば『移民大国』」取材班は住民に占める実習生の割合が多い100の地方自治体にアンケートを行った。うち4割が「実習生が何人住んでいるか分からない」と回答。「コミュニティーの一員」との意識が薄い実態が浮かび上がった。

一方で、グローバル化が進む中、一定期間働いて帰国するつもりだった外国人の定住が世界的に増えている。日本はこのような実態に目を背け、本格的な移民政策をつくらず、抜け穴的に外国人を労働者として活用してきた。

■29種類の在留資格

外国人が日本に住むには「在留資格」が必要となる。出入国管理及び難民認定法(入管法)で定められており、全部で29種類ある。

「永住者」は自由に仕事が選べて、更新の必要がない、もっとも制限がない資格。取得するには、日本在住が10年以上で、罰金刑がないことなどが要件となる。

日系2世を含む「日本人の配偶者等」は仕事の制限はないが、在留資格の更新が必要だ。通訳やエンジニアとして働ける「技術・人文知識・国際業務」は大学などの卒業資格が要件で、更新が必要だが、転職できる。

また、在留資格に相当する「特別永住者」は第2次世界大戦前から日本国民として住み、サンフランシスコ平和条約で日本国籍を失った韓国・朝鮮人、台湾人と子孫らで、職業の制限や更新の必要はない。

就ける職種でみると、大きく①制限なく働くことができる②職種に制限がある③原則として就労できない、の3つに大きく分けられるが、実は、すべてのタイプが「外国人労働者」の受け入れに活用されてきた。

①にあてはまる在留資格が「定住者」。1980年代後半、バブル景気で人手不足が深刻になり、外国人労働者の受け入れ拡大案が浮上。政府は「いわゆる単純労働者の受け入れは十分慎重に対応する」との方針を掲げたまま、抜け穴的に89年に入管法を改正して日系人対象の在留資格として新設。日系ブラジル人が押し寄せた。

■実習生や留学生、対応は企業や学校任せ

最近、急増している「技能実習」は②のタイプ。もともと93年に外国人技能実習制度がスタートした当初は、他の在留資格にあてはまらない外国人に使われる「特定活動」で受け入れたが、2009年の入管法改正で「技能実習」が新設された。現在、就労期間は最長5年になっている。原則として仕事は変えられない。

技能実習制度は、途上国の若者に技術を教えるという「国際貢献」との看板をうたいながら、実際は低賃金の労働者を確保する手段になった。20年6月末時点の実習生数は約40万人で、うち約22万人がベトナム人。「永住者」に続く多さで、いまや外国人労働者の「主軸」と言える。

政府が19年春、外国人労働者の受け入れ拡大を目指して新設した、29番目の在留資格「特定技能」も②となる。経済界の「人手が足りない」との大合唱に背中を押された経緯があり、「人手不足対策」と明確にうたった。「単純労働者を正面玄関から受け入れる制度」と評価する声はあったものの、在留期間も、現在は最長5年に限られる。外国人が技能実習生から移行すれば日本に計10年住むことになるが、「永住者」の資格は取れない。

コロナ禍で人の移動が制限された影響もあったが、20年9月末時点で「特定技能」は9000人弱。政府が今春までの初年度に見込んでいた最大の受け入れ人数の2割弱にとどまっている。

一方、③の典型的な在留資格が「留学」で、週28時間までならバイトができる。少子高齢化で日本の人口は急速に減り、特に若い労働者層が細っている。本当は労働者ではないが、留学生の手も借り、経済を回しているのが実情だ。

ところがコロナ禍で外国人の入国が制限され、各地で「実習生がほしい」「留学生が来ない」との悲鳴が上がった。自転車操業で労働者をやり繰りする手法は限界に来ていると言える。

いまや外国人労働者の半数近くが技能実習生と留学生だが、語学教育や生活面の対応などは企業や学校に任せる形となっており、地域社会での受け入れが進まない理由の一つとなっている。

■何度かあった政策転換のチャンス

これまで政府や自民党内には、その場しのぎの手法をやめ、「移民国家」にかじを切ろうという動きは何度かあった。

1990年、前年の出生率が過去最低となる「1・57ショック」が列島を駆け抜け、人口減少への危機感が高まった。2000年、小渕恵三首相(当時)の諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会が、「グローバル化に対応し、日本の活力を維持するには、多くの外国人が日本に住み、働いてみたいと思うような『移民政策』が必要だ」と提言した。だが、間もなく小渕首相が急死し、提言はお蔵入りとなってしまった。

08年には、自民党の外国人材交流推進議員連盟が、移民の受け入れにより日本の活性化を図る「移民立国」への転換を提言した。政府内に慎重姿勢も強いなか、単純労働者を含む外国人の定住を前提に、外国人政策を「移民庁」に統一。「多民族社会」を目指すとした。

会長は有力議員の中川秀直・元自民党幹事長。「人口が減少するなか、移民育成型の社会は、選択の余地がない『21世紀の日本の道』だ」と言い切り、注目された。しかし、福田康夫首相の退任で、移民国家構想は立ち消えとなった。

13年秋に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まると、外国人の受け入れ議論は息を吹き返した。

ただ、当時の安倍政権は14年の「日本再興戦略」の中で、「移民政策と誤解されないように配慮し、総合的な検討を進めていく」と表明した。政府は「一定数の外国人を期限を設けずに受け入れ、国を維持するのが移民政策」としている。

世界では移民問題で悩んでいる国は少なくない。治安の悪化や職を奪われることへの恐れが反移民感情を後押ししている。それでも、同化主義や多文化主義など、各国で様々な模索が続いている。

国内でも移民受け入れへの抵抗感は根強いが、いまの状態で外国人労働者が増え続ければ、対立が深まる一方になりかねない。社会の秩序と経済との両立を目標にするなら、「移民」の門戸を正面から開き、コミュニティーの仲間として一緒に歩む道を真剣に考えるしかないだろう。(織田一、藤崎麻里)

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