欧州サッカー界の夏の移籍市場では、例年なら数千億円もの金が動く。ところが、昨季はリーグ打ち切りや無観客試合の影響で各チームの収入は激減した。イングランド・プレミアリーグのチェルシーが約2億ポンド(約270億円)を投資したとされるなど動きはあったものの控えめだ。
サッカーの欧州クラブ協会(ECA)のアンドレア・アニェッリ会長は「市場は20~30%縮小する可能性がある」と懸念を示す。それでも、戦力補強自体がなくなりはしない。優勝や昇格、残留といった目標に向けて予算内で選手をいかに獲得するか、だ。
チームが重宝するのが、業界関係者専用のデータベース「ワイスカウト」。世界200以上のリーグなどに所属するプロ選手、約55万人の情報があり、パソコンや携帯電話で確認できる。下部リーグや各年代別の代表戦も閲覧でき、シーズン時は毎週2000試合以上が追加される。「逆襲で得点を狙うために俊足で決定力のある選手がほしい」「運動量が豊富で、守備の大事な局面で顔を出せる選手をとりたい」─。ワイスカウトを使えば、チームの戦術に見合う選手を現地に行かずとも映像で見極められる。移動や宿泊の経費はかからず、コロナ禍の渡航制限にも左右されない。過去のプレーも見られるので、調子の波も確認できる。
情報が瞬時に検索できる機能も魅力の一つだ。年齢や身長・体重といった基礎情報から移籍金、90分間平均でのパス成功率などまで、フィルターにかけられる項目は100以上。希望条件を入れれば、わずか数秒で有力な選手のリストができあがる。
Jリーグを含む1000を超えるプロチームが契約を結ぶというワイスカウトは2004年、イタリア北部の人口2万7000人ほどの街、キアバリで誕生した。港町ジェノバから、リグリア海沿いに車を南東へ約40分走らせた場所に本社はある。昨年9月、最高経営責任者(CEO)のマッテオ・カムポドニコを訪ねた。
世界中のイタリア人に動画依頼
ビジネスの原点は「毎週日曜日の撮影」だった。起業前、カムポドニコは友人とビデオカメラを回しては、地元チームへ編集した映像を送るのが仕事だった。のちに、イタリア1部リーグ(セリエA)のジェノアから採用され、チームだけでなく個人の分析を頼まれた。これが転機となる。
依頼されたのは南米の選手だった。遠方のリーグになるほど、情報はない。代理人が持参した映像だけで獲得が決まった時代だ。とはいえ、選手個人の分析には時間も人手も足りない。そこで不特定多数の人たちに情報を提供できる環境をつくった。インターネット回線が脆弱だったため、世界中のイタリア人に電話をかけることから始めた。「アルゼンチンやウルグアイなどにいた人に片っ端から電話し、選手の動画を集めてもらった」
軌道に乗りかけたころ、重大な問題が発生した。「放映権の侵害」と抗議や警告が押し寄せたのだ。ある主要リーグからは「24時間以内にすべての映像を削除せよ」とのファクスが届いた。説得は数年に及んだ。データベースは一般視聴用ではないことに加え、埋もれた人材が高値で違うリーグへ移籍して各リーグが移籍金を受け取るようになった実績が認められた。いまは、各リーグから「スカウト権」を購入して運営している。
ワイスカウトは移籍市場を活性化させた。選手の給料は上がり、チームも恩恵を受けた。代表的な例がイタリア1部ジェノアだ。カムポドニコによると、18年のある日、サルデーニャ島のビーチにいたジェノア会長の携帯電話が鳴った。ポーランド代表クリシュトフ・ピアテクの代理人からで、映像を見てほしいという依頼だった。ワイスカウトで2日間吟味し、獲得が決まった。するとピアテクは、リーグ戦19試合出場で13得点と大活躍。19年1月には強豪ACミランへ移籍した。カムポドニコは言う。「ジェノア会長は約700万ユーロ(約8億7500万円)でこの選手を獲得し、半年後ぐらいに移籍金3500万ユーロ(約43億7500万円)ほどで譲ったんだ」
サッカー界の「ブルームバーグ」に
ワイスカウトは昨夏、米ハドル社に買収された。同社は、40競技以上で成績やパフォーマンス向上に役立つ映像分析ツールを開発し、600万人以上の利用者を抱える。ワイスカウトは、サッカー界で圧倒的な地位を確立しつつあったグローバルな点が評価された。ワイスカウトにとっても、選手の多角的な分析が可能になった。技術が進歩し、たとえばゴールキーパー(GK)の評価が大きく変わるとカムポドニコは説く。「GKは、これまでセーブ率とゴールを許した数ぐらいしか明確な評価数字はなかった。だが、平均的な選手と、アルゼンチン代表のメッシではゴールの確率が違う。どんな状況の失点かも大事。フリーなのか、周りには何人相手がいたのか、シュートは利き足か逆足か。すべて加味した評価が可能になる」
ハドル社のエリートスポーツ部門のサム・ロイド部長も、サッカー界の発展を確信する。「ワイスカウトの映像を使うことで、より質が高く深いデータ分析ができる。技術力は、多くのチームや選手を支えていくと信じている」
カムポドニコの目標は、国際金融情報サービス大手ブルームバーグ社だという。「経済界の関係者がブルームバーグを見てビジネスに活用する。サッカー界におけるそんな存在になりたい」。カムポドニコは昔からジェノアの熱烈なファン。1994〜95年シーズンには三浦知良(現横浜FC)のプレーを何度も見た。「すごくいい選手だった。Jリーグにいるんだろう。現役最年長の記録保持者になったんだね」。目を輝かせながら語ってくれた。