1. HOME
  2. 特集
  3. みんなで決めるってむずかしい
  4. 「コロナに強いのは独裁国家」は本当か ベトナムに暮らす記者が感じたこと

「コロナに強いのは独裁国家」は本当か ベトナムに暮らす記者が感じたこと

World Now 更新日: 公開日:
ハノイで鮮やかな色の張り子のお面や紙のちょうちんを売る店の前で自撮りする女性たち=宋光祐撮影

ハノイに赴任して半年になる7月上旬、私はベトナム外務省に招かれた。報道担当の職員はベトナムでの暮らしを気遣ってくれた後、私が2週間前に朝日新聞に書いた、政府を批判する民主活動家グエン・クアン・アさん(73)のインタビュー記事についてコメントした。「民主主義についての議論は、日本では受け入れられる内容だろうが、ベトナムはまだその段階にない」

クアン・アさんはインタビューの時、「この国に自由が全くないと考えるならば、それは誤りだ」と私に指摘した。その一例が新型コロナウイルス対策だという。

ベトナム政府は2月上旬、中国に直近の渡航歴のある外国人の入国拒否を決めた。中国・武漢出身の親子が国内初の感染者として確認されてから10日ほどしか経っておらず、感染者数も日本の半数に満たなかった。

「フェイスブック(FB)には中越国境の閉鎖を求める意見があふれていた。政府がいち早く中国との往来を止めた背景には、国民の圧力があった」。それがクアン・アさんの分析だ。「今のベトナムは共産党の一党独裁でありながら、人々の声に敏感に応える民主的要素を取り入れた体制でもある」。独裁政権に対して、一方的に物事を決めるイメージしか持っていなかった私にとって、その見方は新鮮だった。

グエン・クアン・アさん=5月15日、ハノイ、宋光祐撮影

それならば民主主義は必要ないということか。クアン・アさんは明確に否定した。「複数の政党が公正に競う選挙がなければ、自分の意思を政治に本当には反映できない」

ベトナムでも国会議員の選挙は5年ごとにあり、18歳以上の国民が投票権を持つ。法律上は21歳以上であれば誰でも立候補できるが、実際は共産党の関連組織の審査を通らなければならない。選挙では家族や所属組織の代理投票が横行する。誰が候補者かすら知らない人も多い。「選挙は形だけ」。そう話すベトナム人にも出会った。

しかし、国が豊かになるなか、国民が今、大きな不満を抱いているようには見えない。同じく共産党が一党支配する中国では強権化が指摘されるが、ベトナムの状況はむしろ「政治的安定」という言葉で国の強みのように語られる。人々の本音はどうなのか。

青々とした野菜や鮮やかな色の果物が並ぶハノイ市内の市場=宋光祐撮影

国営企業に勤める男性は今年3月までの1年間、会社で昇進する権利を失い、最低の人事評価をつけられた。理由は昨年1月、妻が3人目の子どもを出産したからだった。

ベトナムでは人口の急増で人々の暮らしが困窮することを恐れて、夫婦がもうける子どもの数を2人以下に抑える「二人っ子政策」が長く続いてきた。2017年に3人目の出産に罰金を科す法律は見直されたが、共産党の規定には罰則が残っているという。国営企業の中には党の組織が併存しており、幹部社員のその男性には罰則が適用された。

男性は高校時代に日本に留学した後、大学院までをオーストラリアで過ごした。個人の自由を重んじる国で暮らした人が、子どもの人数を国が決めるような仕組みをどう受け止めるのか。私の素朴な疑問に、男性はしばらく考え込んだ。「海外に比べれば自由は少ないかもしれないが、米国は自由のせいでコロナが広がった。ベトナムは一つの党がコントロールするおかげで少なくとも安全だ」

問題は毎日を安心して暮らせるかどうかであって、政治制度ではない――。そう言われた気がした。

ハノイの旧市街に立つ観光名所のハノイ大教会。夕方にはベトナム人たちが広場でサッカーをしていた=宋光祐撮影

私自身も、息子の通う小学校の新学期が8月から無事に始まり、国内だけでもほぼ制約なしに移動できることにホッとしている。外出制限が実施された4月には警察が家の前の公園をロープで封鎖し、子どもとスーパーに行くときでも不安や緊張を感じた。当初はその厳しさに戸惑い、社会主義国ならではの「力業」だとも思ったが、他の国に先駆けてコロナが収まると、そのやり方が正しかったと思えた。

しかし、コロナ禍のもと、ベトナムではFBの投稿で政府を批判した人が次々と処罰されてきた。民主活動家と呼ばれる人たちに限らず、一般市民も含まれている。隔離施設の食事の写真に「まずそうだ」とコメントを付けてシェアしただけで罰金を科された人もいた。

コロナ危機の今は誤った情報から国民を守る必要がある。それが政府の言い分だ。ベトナムのコロナ対策は正しかったと思う一方、前例のない危機を理由にすべてが正当化されているようで違和感も消えない。

ハノイに4月中旬にできた「0ドンハッピースーパーマーケット」で、スタッフと食料品を選ぶ来店者(右)。仕事を失ったり、世帯の収入が減ったりしたことを申告すれば、市場価格10万ドン(約460円)分の商品を無料で持ち帰ることができる=宋光祐撮影

「ネット上の発言を理由にした処罰が増えているのは、それだけ声を上げる人が増えているからだと思う」。9月、カフェで会ったトニー(30)は抹茶ラテを飲みながら、私に言った。ベトナムの大学を出て、留学先のフィリピンでNGOに加わり、帰国後も市民グループで活動を続けている青年だ。処罰されている人たちは不用意に発言したわけではなく、自分の身に何が起きるか覚悟して発言している、という意見だった。

トニーによると、ホーチミンなど大都市では最近、分譲マンションの自治会やサッカーの応援団で代表を選ぶために初めて投票を経験する人が増えているという。「ささやかだと思うかもしれないが、投票することに意味を感じれば、人々の感覚は少しずつ変わっていく」

民主主義とは何か。トニーに聞いてみたくなった。「自分だけではどうしようもない問題に声を上げられること。それを解決するために、自分たちで決める選択肢を持てることだと思う」