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ウイルス使って病気を治す ロシアに残る冷戦の置き土産、いま世界で注目

World Now 更新日: 公開日:
細菌に感染するウイルスの一つ「T4ファージ」=大阪市立大提供

■ファージ療法、米国でも注目

「ロシアでは、おなかが痛くなるとスーパーやドラッグストアで薬を買って使っているそうです。この成分がファージなんです」。こう話すのは、ロシアに昨年、視察に行った大阪市立大の植松智教授(49)だ。

ファージとは、細菌に感染するウイルスだ。「ファージ療法」は、ウイルスが感染した細菌を殺す性質を利用した、細菌感染症への治療法だ。抗生物質がなかった20世紀の初め、人類にとって脅威だった腸チフスや赤痢、コレラなどの細菌感染症の治療にファージ療法は盛んに使われた。

しかし、1928年にペニシリンが発見され、1940年代に抗生物質が実用化されていくと、次第にすたれていったた。ただし、旧ソ連や東欧諸国など共産圏の国々では、冷戦時代に西側諸国から強力な抗生物質の供給が制限されていたため、ファージ療法が残った。それが現在にいたるまで使われ続けているという。

ロシアで販売されているファージ薬=大阪市立大の植松智研究室提供

だが、最近、西側諸国でもファージ療法が注目されるようになってきている。背景には、ペニシリンだけでなく他のタイプの抗生物質も効かない「多剤耐性菌」の登場がある。ほとんどの薬が効かない多剤耐性アシネトバクターや、最後の頼みの綱とされる抗菌薬カルバペネムが効かない細菌などが医療現場を脅かしている。2014年には、薬剤耐性による死者は世界で毎年70万人以上に上り、何も対策をとらなければ、50年に1千万人に達すると推計する報告書が発表されて衝撃を与えた。

そこで、抗生物質に代わる治療法としてファージ療法を見直す動きがある。14年、米国立アレルギー感染症研究所は耐性菌に対する戦略の一つとしてファージ療法を取り上げ、研究を進めることにした。抗生物質は病気を起こす細菌だけでなく、ヒトの体内に常在する細菌も殺してしまうが、ファージなら特定の細菌しか殺さないメリットがある。

16年、米国でファージ療法を世界に知らしめるできごとがあった。米カリフォルニア大学サンディエゴ校の病院に、エジプト旅行中に多剤耐性アシネトバクターに感染した男性が入院した。多臓器不全で治療法がないとされたが、男性の妻は何としてでも夫を助けようと思い、医学論文を検索してファージ療法を見つけ、試せないかを主治医に相談した。医師は論文を書いたベルギーのチームやファージ研究を行っている米テキサス大に連絡をとった。テキサス大のグループは、男性から採取された細菌を殺すファージを複数、探し出した。医師はこのファージを治療に使うため、米医薬品食品局(FDA)に未承認薬を緊急時に使う許可を申請。いくつものハードルを短期間に乗り越え、ファージ療法が実施され、男性は回復した。

日本ではまだなじみがないファージ療法だが、今年植松さんらのグループが動物実験の研究成果を発表した。ファージそのもので治療するのではなく、ファージがもつ酵素を治療に使う。「クロストリジオイデス・ディフィシル」という腸内細菌に目をつけた。普段は問題を起こさないが、抗生物質の投与で、腸内細菌が入れ替わる時に増えて2種類の毒素を出し、慢性の腸炎を起こす。この細菌に感染したマウスの生存率は2日で3割以下。ファージがつくる細菌の膜を壊す酵素を与えると、1週間後も9割以上が生き残ることを植松さんらは確認した。

植松さんは、ファージ療法の応用範囲は広いと力説する。たとえば、食品を腐らせる細菌に対するファージを使えば、賞味期限を延ばすことができる。すでに海外では、食品添加物として認められている。ニキビを起こす細菌に対するファージを含んだ化粧水は、すでにロシアで販売されているという。将来的には、農作物に影響を与える土壌細菌をファージで制御するといったことも考えられる。味や収量、病気への耐性を変化させられる可能性があるという。

■ウイルスでがん治療の研究も

ウイルスでがんを治療する研究も進んでいる。ウイルスは細胞に感染すると、細胞内で増えて細胞を壊し、別の細胞にも感染して、その細胞も壊す。一方、ウイルスに対抗するため、体に備わった免疫の仕組みも感染した細胞を壊す。ウイルス自身と免疫の仕組みの二つの仕組みを使ってがん細胞をやっつけるのががんウイルス療法だ。

がんウイルス療法では、バイオ技術でがん細胞だけに感染するように改変したウイルスを使う。手術、抗がん剤、放射線といった従来の治療法では太刀打ちできない難治性のがんへの治療法として期待されている。15年には米国で悪性黒色腫の治療薬として認められた。

日本では東京大医科学研究所の藤堂具紀教授(60)らが開発を進めてきた。正常細胞では増殖できないように改変したヘルペスウイルスで、09年から臨床研究を開始。安全性を確認した後、15年に有効性を確認するための医師主導治験が始まった。対象は、悪性脳腫瘍の中でも治療が難しいとされる膠芽腫。13人の患者は治療開始後1年で92%が生存した。ほかの複数の臨床試験結果から計算された、標準的な治療の15%と比べて高い有効性を示すことができたという。この結果を受け、ウイルス薬として第一三共が製造販売承認申請をする予定だ。

藤堂さんによると、改変したウイルスは元のウイルスの性質を残しているという。ヘルペスウイルスは細胞を殺す力が比較的強く、患者がウイルスに対する抗体をもったとしても細胞を壊すことができるという。「ふだんはおとなしいが、怒るとこわい人のようだ」と藤堂さんは言う。この性質があると、繰り返し治療しても効果が弱くならないと期待される。藤堂さんらは、前立腺がん、悪性中皮腫など、ほかのがんにも臨床研究の対象を広げ、繰り返し投与しても安全性が高いこと、効果が続くことなどを調べている。

ほかのウイルスを使ったがんの治療法開発も進んでいる。東京大生産技術研究所の甲斐知恵子特任教授らは、麻疹(はしか)ウイルスが、乳がん細胞の表面にあるネクチン4というたんぱく質にくっついて感染することを見つけた。遺伝子操作で、ほかの細胞に感染せず、がん細胞だけに感染するように遺伝子操作したウイルスを作った。ヒトのがんを移植したマウスで、がんの増殖を抑える効果を確認し、健康なサルに感染させてもはしかにならず、ウイルスの排出がないなどの安全性も確認した。安全試験を繰り返し、ようやく臨床研究を始められそうだという。

この改変ウイルスは膵臓がんにも効果があることを動物実験で確認した。甲斐さんは将来、がんになったらどのウイルスを使って治療するかを選べる日がくることを期待している。