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3つの台風に襲われた北朝鮮、被災地へ異例の動員 「余裕のなさ」の現れか

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
台風被災地である北朝鮮・咸鏡道の復旧事業への志願者が参加して、平壌の錦繡山太陽宮殿広場で9月8日に行われた決起集会=労働新聞ホームページから

金正恩氏は5日付の書簡で、3日から4日にかけて北朝鮮に接近・縦断した台風9号による被害が、北東部の咸鏡道を中心に発生した事実に言及。「首都の党員が立ち上がって咸鏡南北道の被害復旧に駆けつけるよう願う」と強調した。党員12千人で師団を組織するという。

北朝鮮の最高指導者が平壌の党員を指名して、災害復旧活動を命じることは初めて。複数の関係筋は一様に「北朝鮮に余裕がなくなっている証拠だ」と語る。

平壌の全党員に台風9号による被害を受けた咸鏡道への支援を呼び掛ける公開書簡を書く金正恩氏。6日付の労働新聞が伝えた=同紙ホームページから

北朝鮮では過去、日本の自衛隊のように各地に駐屯する軍が災害復旧の先頭に立ってきた。大きな被害が出たとされる咸鏡南道の中心都市、咸興には第7軍団の司令部がある。実際、北朝鮮は8日、平壌で党中央軍事委拡大会議を開き、金正恩氏が「復旧建設を再び、軍に委託することにした」と語った。同時に、突撃隊と呼ばれる建設や復旧作業にあたる組織も各道にある。平壌にも10万人規模の党突撃隊が存在する。

だが、今回は、台風9号だけで、こうした復旧を担当する組織を動員するだけでは足りないほどの被害をもたらした模様だ。8日の会議では、台風9号によって咸鏡南道剣徳地区だけで2千戸余の住宅と数十棟の公共建物が破壊または浸水し、45箇所のべ60キロの道路が流失し、59本の橋が破壊されるなどの被害状況が報告された。

北朝鮮ではすでに8月初めに大雨による水害、同月下旬に台風8号による被害が発生。97日には台風10号が北朝鮮の日本海沖を縦断し、被害が広がっている。

正恩氏は8日の会議で「予想外の台風被害によってやむを得ず、年末の闘争課題を全面的に保留し、闘争方向を変更せざるを得ない状況に直面した」とまで語った。「年末の闘争課題」とは、金正恩氏が翌年1月1日に行う「新年の辞」で発表する施政方針をまとめる作業のことだろう。2021年1月の党大会で発表するとした新たな経済五カ年計画を含め、政策全般の見直しを迫られている可能性が高い。それほど、一連の水害や台風が北朝鮮に与えた打撃は大きく、軍や突撃隊だけでは復旧復興が間に合わない状況なのだろう。

では、なぜ、エリートが住む平壌の、それも一般市民より優遇されている労働党員に動員の命が下ったのか。

台風9号による被害を受けた咸鏡南道の被災地域を視察する金正恩氏(中央)=労働新聞ホームページから

北朝鮮では平壌は「革命の首都」と呼ばれ、国外向けのショーウィンドーとしての役割を果たす名目もあって他の都市よりも優遇されてきた。「平壌を支えるための存在」と位置づけられる地方都市は、国際社会による経済制裁、新型コロナウイルスに伴う中朝国境の閉鎖や相次ぐ災害で疲れ切っている。平壌が負担を買って出るしかないのが現状だという。

そして平壌の党突撃隊要員は、金正恩氏が1010日の党創建75周年までの完成を厳命した平壌総合病院建設などに忙殺されているという。

また、平壌市内で2040代の党員ではない男性市民がいる世帯はほぼすべて、市外での建設事業に労働力を提供している。正恩氏が201611月に開発を命じた白頭山を含む両江道三池淵郡の宿泊・娯楽施設、空港、鉄道駅などの建設、江原道元山にある果樹園の整備などだ。一度、建設事業に参加すれば、完成するまで戻って来られないのが原則だ。関係筋の一人は「市民の不満はたまっている」と語る。

それでなくとも、北朝鮮の人々は「税外税」負担に苦しんでいる。医療や教育などの公共サービス、移動許可証のような公文書の発給などを優先的に受けようとすれば、賄賂が必要になる。住宅地の道路補修、道路での除雪なども地域住民の負担で作業している。

金正恩氏が平壌市の労働党員に動員をかけたのは、こうした切羽詰まった状況が背景にあるようだ。韓国に住む元労働党員は「一般党員は、その役職を利用して市民から賄賂をもらってはいるが、配給などの恩恵はほとんどない。今回の復旧作業に参加すれば、少なくとも1カ月分の食糧は自分で準備しなければならないし、その間は副業でカネも稼げない。日本や韓国の人には想像もつかないほど、負担は重い」と語る。

91日付の労働新聞は1面で、台風8号の被害を受けた黄海南道で復旧作業を指導する李炳哲党副委員長の写真を掲載した。李氏は元々、軍需工業部門の責任者で、農業や経済の担当ではない。関係筋の1人は「優先的に資金が配分されている軍需工業部門からも、復旧資金を拠出させるという意味だろう」と分析する。

台風被害を受けた黄海南道で復旧作業を指導する李炳哲党副委員長(左)。9月1日付の労働新聞が1面に掲載した=同紙ホームページから

これは、北朝鮮では不可侵の聖域とされてきた軍需産業部門に手をつけることを意味する。。同部門は従来、「第2経済」と呼ばれ、一般の国家予算と分離し、独自に編成されてきた。

韓国の軍事専門家によれば、北朝鮮には軍民両用(デュアルユース)製品を生産する工場が約300カ所、軍需工場が約200カ所それぞれ存在する。1990年代半ばの「苦難の行軍」と呼ばれた飢饉と経済崩壊の時期、米国の情報衛星の分析によれば、煙を上げて操業しているとみられた民間工場は27%しかなかったが、軍民両用工場や軍需工場はほぼ正常通り、操業していた。

金正恩氏は5日、台風9号による被害を受けた咸鏡道で党中央委員会政務局拡大会議を招集し、咸鏡南道の党委員長を解任した。深刻な被害に大きな衝撃を受けた様子がうかがえる。

台風9号による被害を受けた咸鏡道の災害復旧のため、党中央委員会政務局拡大会議を現地で招集した金正恩氏(中央奥)=労働新聞ホームページから

そして、何とか準備した復旧作業も、どこまで成果が上がるかは見通せない。北朝鮮では20158月にも中朝国境地帯の羅先市で大きな水害が発生。金正恩氏は1010日の党創建記念日までの復旧を命じた。朝鮮中央通信は同年108日、わずか30日間で計1800戸もの住宅を建設したと報道。現地を視察した金正恩氏は被災した住民にテレビや衣服、食糧などの生活用品を贈ったと伝えた。

だが、関係筋の一人によれば当時、水道や電気などのインフラ設備の復旧までは手が回らなかったため、市民の間では「電化製品をもらっても使えない」といった不満が出た。

今回は、1010日までの期間が短いうえに、台風8号は西部の黄海道、9号と10号は東部の江原道や咸鏡道といった具合に被災地域も広範にわたっている。正恩氏も8日の会議で「少なくとも1010日までに新しい住宅の体裁を整え、道路と鉄道を復旧し、年末までには全ての被害を100パーセント復旧できる対策を講じるべきだ」と指示せざるをえなかった。

9日付の労働新聞は、平壌で、咸鏡道の復旧事業に志願した平壌市の党員ら12千人が参加した決起集会が開かれた後、志願者らが復旧現場に向かったと伝えた。北朝鮮では新型コロナウイルスの感染拡大で、厳格な隔離措置や移動制限が取られており、こうした大規模な移動は極めて異例だ。10日付の同紙によれば、志願者らは9日に咸鏡南道の被災地に到着し、直ちに新しく建設する住宅の敷地の区画整理作業に入った。現地でも志願者らは集団生活を強いられるとみられている。

関係筋の一人は「被災地を思いやる姿勢を示した金正恩氏のイメージは上がるかもしれないが、代わりに苦労する党員が可哀想だ。復旧がうまくいかなければ、中間幹部も非難されるだろう」と語った。