――今も、最新の研究論文を読み込み、5月には訳書「牛疫」、8月には新型コロナウイルスの最新情報も盛り込んだ新著「ウイルスの世紀」を刊行しました。活発に発信されていますね。
1952年に東京大農学部家畜細菌学教室に入り、日本ウイルス学会には翌53年の第1回総会から参加しています。ずっとウイルスに携わってきたので、語り部になったつもりでいます。
――当時、ウイルスはどんなものと考えられていたのでしょう。
小さな細菌という位置づけでした。ウイルスと病毒という名前が並立していました。中国では今も病毒と呼ばれています。根絶の対象としての病原ウイルス研究と、分子生物学のツールとしてのバクテリオファージ(細菌に感染するウイルス)研究が大きな柱でした。
――その後、世界保健機関(WHO)が計画した天然痘の根絶にかかわりましたね。根絶できると思いましたか。
難しいとは思わなかったですね。ウイルスは細菌と違って、宿主となる生物がいなければ生きて子孫を残すことができません。天然痘のウイルスは人にしかかからず、感染すれば症状が必ず出て、素人でもすぐにわかります。しかも種痘をすれば終生免疫ができます。実際問題としては素人でも確実に種痘ができる二また針と牛で作った古典的ワクチンというローテクに支えられ、1980年に根絶されました。
――牛疫の根絶はどうでしたか。
こちらは天然痘よりはるかに難しかった。症状だけで診断するのは難しく、しかも野生動物にも広がっていたからです。培養細胞で作ったワクチンや涙の中の抗体を現場で迅速に調べる測定法など、ハイテクが貢献し、2011年に実現しました。
――天然痘が根絶されたころ、細菌には抗生物質、ウイルスにはワクチンがあるから感染症はもはや脅威ではないという楽観論もありました。
私は国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)で麻疹(はしか)ウイルスの研究を始めてから、根絶できるウイルスというのはごく例外的だと考えるようになりました。人以外にさまざまな宿主がいたり、次々に変異したりするウイルスがほとんどだからです。
天然痘に続いてポリオと麻疹の根絶が計画されました。ポリオは3種類あるウイルスのうち2つが根絶されて何とかなりそうですが、麻疹の根絶は難しそうです。
20世紀はこうした病原ウイルス学の時代でした。ウイルス学会の発表の大半は病気を引き起こすウイルスに関するものでした。実際、病原体としてのウイルスを研究しないと研究費がもらえませんでした。
――1992年に東京大学を退官しましたが、ウイルス学はその後大きく変わったのですね。
退官後、民間研究所で牛疫ワクチンを研究しながら、人獣共通感染症講座を開きました。まだインターネットが普及する前ですから、最初はパソコン通信でした。98年ごろ、そこへ「細菌では善玉菌、悪玉菌と聞きますがウイルスには悪玉しかないのですか」と質問をもらったのです。
私ははっとさせられました。考えてみると、それまでも善玉ウイルスのような側面はいくつも見ていました。ウイルスは宿主の細胞を殺してしまうものと考えられていましたが、病気を全然起こさないウイルスもかなり見つかっていました。私たちのゲノムの中にもウイルス由来の遺伝子が見つかり、ウイルスが進化の推進力にもなっていることもわかってきていました。
――病気の原因という縛りなしにウイルスを見るようになったと。
「病原ウイルス学」をウイルスの全体をみる「ウイルス学」に決定的に変えたのは、2005年の次世代シーケンサー(新たな塩基配列解読装置)の発売です。これによって、試料や環境中のすべての遺伝子配列を読む「メタゲノム解析」が可能になり、海や人の腸内などにも膨大なウイルスがいることがわかったのです。
――新たな観測手段が登場すると、それを使った科学が飛躍的に発展します。ウイルス学でそれが起きたのですね。
その通りです。前後して、熱に弱いとか細菌よりはるかに小さいといった既成概念を壊すウイルスが次々と見つかりました。3万年以上前の永久凍土から、アメーバで増殖する巨大ウイルスも見つかっています。最初は細菌濾過(ろか)器を通過するというのがウイルスという定義だったので、濾過器に引っかかるほど大きなウイルスなんて調べてもいなかったわけです。
病気を起こすウイルスなんて氷山の一角です。これまで見えていなかった自然界のウイルスが見えるようになって、ウイルス学はすごく自由に展開しています。わくわくする時代です。
――生物、生命とは何かを考える上でも、ウイルスは面白い存在ですね。
生物の分類は現在、たんぱく質を合成するための細胞内小器官リボソームの遺伝子解析に基づいて、細菌、アーキア(古細菌とも呼ばれる)、真核生物の3ドメインに分けられています。しかし、これでは細胞もリボソームも持たないウイルスは最初から入りません。フランスの進化生物学者パトリック・フォルテールらは、ウイルスを「たんぱく質の殻(カプシド)」の遺伝情報を持つ生命体として加える提案をしています。
――数といえば、最初は自然数しか考えられなかったのが、整数、有理数、実数、複素数と、概念を広げてきたのと似ていますね。山内さんはウイルスとは何だと考えていますか。
ウイルスは我々と同じように地球上にすんでいて、数や多様性が最も大きな生命体だと考えています。ほとんどのウイルスは直接的には人とかかわりはないかのようにみえます。しかし、腸内細菌のバランスに影響を与えていますし、海中の藻類で増殖して気候変動にも影響を与えているらしいこともわかってきました。大きな目でみると、どこかでつながっているのではないでしょうか。
――新型コロナウイルスについて、お尋ねします。根絶はできるでしょうか。
根絶はまず無理でしょうね。コロナウイルスは人に限らずさまざまな宿主の間を行き来しており、RNAウイルスの中で最も大きなゲノム情報、つまり生存のために複雑な仕組みを持っているからです。
新型コロナに限らず、ウイルスの毒性が強くなるか弱くなるか予測はできません。今では風邪の原因ウイルスの一つになっている別のコロナウイルス、OC43ウイルスは、牛に肺炎を起こすウシコロナウイルスが人に感染して、19世紀末に日本を含む世界で大流行パンデミックを起こしたと考えられています。100年ぐらいかけて普通の風邪になったのかも知れません。豚では逆に毒性が急に高まって養豚業の脅威になったコロナウイルスがいます。
――よく「宿主を殺すのはウイルスの生存戦略として得策でないから、弱毒化して共存へ向かう」と聞きますが。
限られた集団の場合はそうなのですが、人は一番変わっていて、どこにでもたくさんいて大きく移動もします。グローバル化した世界でこれだけ急速に広がることは、ウイルスにとっても初めての経験でしょう。新型コロナの毒性は重症急性呼吸器症候群(SARS)ほど高くないと言われることもありますが、人だから問題になる微細な違いではないでしょうか。動物だったら気がつかないかもしれません。
――新型コロナのワクチンは期待できるでしょうか。
あまり楽観していません。安全性の面ではワクチンの接種により産生された抗体が防御ではなく、むしろ症状を悪化させる抗体依存性の感染増強という副作用を起こさないかどうか、有効性の面では抗体よりも重要と考えられるキラーT細胞がうまく産生されているのかなど、情報が少なく、気になっている点がいくつかあります。
やまのうち・かずや 1931年生まれ。ウイルス学者。東京大学名誉教授。「ウイルスの意味論」など多くの著書があり、今年も訳書「牛疫」を出版したほか、8月には「ウイルスの世紀」を著した。