19世紀、結核やコレラなど人を脅かす病気の原因となる微生物が次々と見つかった。それらは、人の細胞に似た構造をもち、自ら分裂して増える「細菌」だ。ところが、天然痘や麻疹(はしか)などの原因微生物はなかなか見つからなかった。なぜなら、その病原体は細菌を分離するために使われていた濾過(ろか)装置をすり抜けるほど小さかったからだ。
1898年、オランダのマルティヌス・ベイエリンクが、濾過(ろか)装置をすり抜けた液体中にタバコの葉に感染する病原体があるのを突き止め、毒を意味するラテン語の「ウイルス」と名付けた。中国では「病毒」と呼ばれている。
その後、植物や動物に病気を起こすウイルスが次々と見つかり、その性質が少しずつ解明されてきた。構造はシンプルで、自らの設計図「ゲノム」(全遺伝情報)と、それを包むたんぱく質でできた殻からなる。細菌との大きな違いは、細菌は自ら増殖できるのに対し、ウイルスは細胞に感染しないと増殖できないことだ。
ウイルスにはたんぱく質を合成する装置がないため、宿主の細胞に感染して装置を乗っ取り、増殖に必要なものを作って外に飛び出し、次の宿主に感染する。ひたすら効率良く設計図を増やす機械のような存在として、地球上にあふれている。
たとえば、風邪を引いたと感じる時。鼻の細胞に感染したウイルスが増え、神経細胞を刺激してくしゃみを起こす。空気中にばらまかれたウイルスを近くにいる人が吸い込む。
ウイルスはあらゆる生物に感染するが、見境なく感染するわけではない。感染するには、ウイルスはニセの鍵を使って、細胞の受容体とよばれる「鍵穴」を利用して入り込む。鍵穴は、それぞれの宿主で違うため、特定のウイルスが感染できる宿主は限られている。
宿主もやられっぱなしではない。ウイルスが感染した細胞を排除する免疫の仕組みが働く。熱や頭痛、だるさを覚えるのは免疫の仕組みがウイルスと闘っているからだ。
ウイルスの攻撃が免疫の働きを上回って、宿主が死んでしまうと、ウイルスは増えることができなくなる。宿主が死ぬ前に他の宿主に感染できなければ、ウイルスもそこでおしまいだ。宿主を殺さず、宿主と共存するウイルスのほうが長期間存在する確率は高い。
ウイルスの中には、宿主の体内に長期間、免疫を逃れて病気を起こさず感染し続けるものもいる。たとえば水痘を起こすウイルスは、細胞の中にひそんで活動を休止しているが、宿主が過労の時など、再活性化して激しい痛みを伴う帯状疱疹(ほうしん)を起こす。
人とウイルスの闘いの痕跡は、私たちのゲノムに残っている。ゲノムはあらゆる生物が先祖から子孫に受け渡してきたものだ。ゲノムの一部には、細胞が必要とするたんぱく質を作るための設計図が書き込まれている。
すべての生物のゲノムはDNAからなるが、ウイルスのゲノムはDNAまたはRNAからなり、DNAウイルス、RNAウイルスと呼ばれる。
ヒトゲノムの中にウイルスのゲノムが埋め込まれているとはどういうことか。RNAウイルスの中には、宿主のゲノムの中に自らの設計図をもぐりこませることができるものがいる。レトロウイルスの仲間だ。宿主はせっせとウイルスが必要なものを作る。ウイルスの設計図が、精子や卵子の細胞にもぐりこむと、宿主の子孫に受け継がれる。長い時間をかけて、ウイルスの設計図としての働きは失われ、宿主の細胞の中で新たな働きが獲得されることもある。
生物も多様なら、その生物に感染するウイルスもまた多様だ。人間が見つけたウイルスはそのうちのほんの一部に過ぎない。地球には実に様々なウイルスに満ちており、生態系を維持している。
イラストレーション=おほしんたろう
1985年、佐賀県生まれ。福岡を拠点に活動するお笑い芸人、イラストレーター、漫画家。SNSに投稿する一コマ漫画にハマる人多数。著書に「おほまんがしお味」「学校と先生」など。