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日中ははるか昔から気脈を通じていた ミリオンセラーの「中国の知恵」

Bestsellers 世界の書店から 更新日: 公開日:
相場郁朗撮影

日本に本書と同じ書名の名著がある。中国文学者・吉川幸次郎の『中国の知恵』だ。孔子の生き方と『論語』の読み方について書かれた儒教思想の解説書である。儒教は漢の武帝の時代にその他諸子百家を退け国教となり、南宋の朱子を経て、道徳の拘束具となった。儒教の古典で「中国の知恵」を代表させるのは、中国思想の豊饒(ほうじょう)さを減殺させかねない。

本家の『中国智慧』は、一説によると紀元前1000年ごろに成立したとも言われる「易経」から唐代の禅宗・浄土宗の確立まで、1800年ほどの間に形成された、思想家のエッセンスと6種の思想圏の成り立ちを書いている。易、孔子、孫子、老子、魏晋時代の玄学、禅宗である。6種の思想圏は連鎖していて、今なお中国人の胸の底に折り重なり、思考様式や価値観の鋳型になっていることに思い至る。

累計100万部のベストセラーという宣伝文句に違わぬ面白さで、通史の無味乾燥さや、煩雑な哲学用語に悩まされることはない。易先生は全16巻の個人著作集、全36巻の中国通史(目下第22巻まで刊行中)を出版し、中国国営中央テレビの番組「百家講壇」の講師を務める。本書を音読すると、講義口調が歯切れよい。縦横無尽に語る中国史の妙味と勘所は、中国人にとって生き方指南でもある。

とりわけ「魏晋の風格」と「禅宗の境界」の章が精彩に富む。政治が乱れ諸国分立する魏晋時代には、儒教の権威が崩れ、荘子の自由と真情が尊ばれ、超俗と洒脱が好まれ、俗社会よりも自然が、人格よりも人情が重んじられ、魏晋玄学が生まれた。インド起源の仏教は複雑な哲理を備えた個人的修養術であったが、中国に伝来すると、魏晋玄学の味付けにより禅宗のシンプルで即時の悟りへ、浄土宗の大衆得度へと中国化し定着した。

「竹林の七賢」のように、あの時代は自由闊達で機知に富んだ遊び心があって、人情味がありながら俗臭がなく、眉目(びもく)秀麗な美形男子がクールとされた。もののあわれに無常の美を見いだし、洗練された美意識を生活理念とする粋な日本の風趣に通じるような心情倫理がある。遣隋使より以前に、すでに日中間の気脈に相通じるものがあったのだ。

■中国知識人の暮らしが映す、文化のうつろい

ある時代の思潮を理解しようとするさい、通常はその時代の代表的な作品のテキストを鑑賞する。読解には様々な解釈を生む。過剰な思い入れや深読みが誤解を生んだり、その時代の通念を著者の独創と思い込んだりしてしまうこともある。著者の交遊圏や、同時代の関連する作品、文壇や論壇の実情、出版界やメディア状況に注意を払い、作品の生まれる背景を押さえておく必要が出てくる。近代日本文学研究の場合、伊藤整『日本文壇史』、高見順『昭和文学盛衰史』、川西政明『新・日本文壇史』などの一連の文学史研究がある。今ならメディア研究に分類されるような業績である。

困窘的瀟洒:民国文人的日常生活〈困窮の瀟洒(しょうしゃ):民国文人の日常生活〉』は、ハンガリーのアグネス・ヘラーの『日常生活』の手法に啓発を受けている。20世紀中国の知識人たちの日常生活を通して、いくつかの交遊圏ごとに、文人・学者たちのエピソードを集めた文化史である。

本書の主な素材は、文人・学者たちの書簡・日記・回想録などの同時代の記録である。学術論文や文芸作品はほとんど出てこない。どんな衣食住のスタイルで生活しているのか、どのような家族関係や交友関係なのか、論壇や文壇での師承関係はどうなっているのか、作家ならば原稿料はいかほどでどのようにして筆耕生活を維持しているのか、という日常生活目線で書かれている。

日本の近代作家の場合を想像してみるとよい。彼らにとって生活上の重大な関心事は、家族・血族のいる地方から東京に出て文壇で名を上げ、作家として生計を立て、家庭を維持していくことであった。中国の場合も同様であった。文壇で成功するには、故郷と親族を離れ、北京か上海に出て、大作家の寵愛(ちょうあい)と庇護(ひご)を得て、文芸雑誌に継続的に作品を発表しなければならない。

本書が対象とする中華民国期の1910~30年代は、思想界の大御所は章太炎と康有為、文学界は魯迅と胡適であった。中国は辛亥(しんがい)革命を経て12年に共和国となり、19年の五四運動を経て白話(口語)体による新文学運動が起こり、留学や翻訳出版を通して日本や西洋の近代思潮が怒濤(どとう)のように押し寄せていた。あらゆる観念や事物が新旧交代の潮目にあって、新文化と伝統文化は雑然と混ざり合っていた。魯迅は儒教を「人を食らう教えだ」と唾棄(だき)したにもかかわらず、背広を嫌い中国服にこだわった。

中華民国期の文人は北京よりも上海を好んだ。北京には政治の重苦しさがのしかかっていたのに対して、上海はモダンなプチブル生活を享受できることが魅力だった。それだけでなく、この時期の文人の大半は、魯迅・周作人兄弟、郁達夫はじめ上海に隣接した浙江省出身者が多く、文人墨客を引きつけてやまない景勝地である西湖に遊べる杭州に近いからだ。

数ある挿話から一例を挙げよう。23年のこと、浪漫詩人の徐志摩は師匠の胡適と杭州で共同生活をしていた。両人はともに恋愛のさなかにあり、胡適が西湖で11歳年下の娘とあいびきをしたその日のことを、両人それぞれの日記に書きとめている。徐は熱情を奔放に発散しているのに対し、胡は冷静で節制が利いている。そこには詩人と散文家の資質の相違とともに、胡が思いを寄せるあるアメリカ人女性へのおもんぱかりがあった。

師弟・友情・恋愛・結婚・健康・家庭・家計……、日常生活のさまざまな局面で作家や学者同士が離合集散し、学派や文学思潮が生まれ、作品が創作されていく。当時の狭い交遊圏のなかでの濃密な人間関係は、中華人民共和国成立以後の過度に政治化された文学状況や、日記も書簡も必要とせず対面交流の薄まったいまのSNSの時代からは想像しがたい。中華民国期の文学や学業を生活者の視点から読み直す格好の手引書である。

■台湾か大陸か、の二元論を超えて

中米対立、香港問題、コロナ禍など、昨今の中国の不穏な情勢は、台湾の政治を翻弄(ほんろう)し、蔡英文政権への支持を盤石なものにした。いま台湾では「台湾人意識」が急上昇しているという。強権化する中国が台湾人意識を刺激していることは間違いない。だからといって、台湾人か中国人かという2択の意識調査で中台関係の大勢を分析できるほど事は単純ではない。台湾海峡をはさんで台湾と大陸に住む人びとは物心両面で密接につながっているからである。

台湾海峡を往来する台湾の人びとの行動には、その人のエスニシティー、家族・親族関係、台湾が抱えた複雑な来歴と十人十色の履歴が大きく作用する。大陸に来る台湾人は、1990年代は投資目的の「台商」、2000年代は企業の重役として赴任する「台幹」、2010年代になると末端労働者の「台労」、あるいは失業してぶらぶらする「台流」と呼ばれるようになった。大陸の人びとにとっての台湾人像は、時とともに微妙な陰影を刻みながら移ろう。

日本は日清戦争勝利の結果、台湾を50年間、植民地として領有することになった。その日本時代を生きた台湾人もまた、単純な協力か抵抗かという2分法だけでは捉えられないことは、呉濁流『アジアの孤児』、黄春明『さよなら・再見』などの小説を読むだけでも分かる。ましてやその日本時代を歴史として背負った台湾の人びとが、その後どのように大陸と関わってきたか、戦後の日本人にはほとんど死角に入って見えていない。

台湾の当事者が複雑な戦後の歴史を通史として平易かつ明快にまとめることは不可能に近い。廖信忠は、1977年に台湾で生まれ、2008年に上海に移住したルポライターである。本書『台湾這些年所知道的祖国(台湾から見た来し方の祖国)』は、ごく普通の台湾の庶民13人の問わず語りの回想に、廖が腰を据えてじっくりと耳を傾けて聞き書きにまとめたものである。この市井の人びとは、1945~49年の国共内戦、50年開戦の朝鮮戦争、58年の金門島砲撃戦、66年からの文化大革命、78年の米中国交樹立、87年の台湾住民による大陸の親族訪問解禁、88年の報道規制解禁から学生民主化運動へ、2001年の福建沿海と金門・馬祖島などとの直接往来、03年のSARS禍など、大きな現代史の事件に遭遇して、どのような岐路に直面し、どう選択して生きぬいてきたのか。13の小さな自分史のオムニバスがつづられている。

台湾人の「皇国の志願兵」として徴兵された林水源はモロタイ島で米軍の捕虜となり、終戦とともに「戦勝国」の兵士として送還。3000元の月給につられて(実際は台湾で流通していた台幣ではなく中華民国政府が発行する法幣の3000元で、まんじゅう30個分の価値しかなかった)、「国軍」兵となって大陸にわたり「共匪」と国共内戦を戦う。人民解放軍の捕虜となり、そのまま解放軍に入隊し台湾解放のためにアモイに出征したつかの間、東北に派遣され朝鮮戦争に参戦。鴨緑江を越え朝鮮半島に入ったところで崖から転がり落ちたところを救出してくれた米軍の捕虜となる。台湾出身であることから「反共義士」ということで台湾に戻される。そこで栄誉の帰還戦士とされ、国軍士官長として「大陸反攻」の最前線である金門に派遣されて「共匪」に応戦し、やがて退役となる。

姚教授は1人でひっそりと暮らすインテリで「匪情研究(国民党の大陸研究)」機構で働いているというのがもっぱらのうわさ。阿祥のろうあ者の母は姚教授の信頼を受けて家政婦となり、いつしか男女の関係に。やがて教授の大陸に住む家族あての私信が発覚し大陸の「匪諜(通敵者)」とされ連行、母はスパイ協力者ということで十数年間入獄する羽目に。出獄後に阿に聞いたのは、「姚先生はご無事か」ということだった。阿はある日、姚教授が写真を見て嗚咽(おえつ)していたのを知っている。あれは湖南省の郷里にいる父親が文革でつるし上げられ暴行されている写真だった。息子が台湾にいることで、両親兄弟すべて文革の犠牲になったのだった。阿は姚教授を憎んだが、果たして本当に「匪諜」だったのだろうか。当時は大陸でも台湾でも敵・味方の二分法しかなかった。

先住民族のアミ族の阿玉嬸は、貧しさゆえにまだ10代のうちに山東省出身の外省人の身寄りのない老兵・李陳湘と結婚させられ、4人の子どもを産み育てた。肉親捜しが解禁となり、実は夫の本名は鍾金徳で、故郷にすでに妻がいて、再婚もせず夫の帰りを待っているとの知らせが届いた。独居の老妻と台湾で同居したいとの李の懇願を阿は頑強に拒否するが、やむなく同意すると、やって来たのはやつれ果てた老婆。やがて自分に献身的に尽くす姿に阿はほだされていき、誰にも悪意はない、すべては主のおぼしめしと受け入れ、夫と老妻の死をみとる。
 報道解禁とともに大学のキャンパスには「大字報(壁新聞)」が貼られ、各地から大学生が台北市の中正記念堂に集まり、国民党の改選されることのない老齢議員が集う万年議会を解散せよと叫ぶ。やがて彼らの中から口伝えに「インターナショナル」が斉唱される。「大陸の学生たちが歌っている歌だよ」。1989年の天安門での民主化運動の後の光景である。

掘り起こさなければ、聞きださなければ、やがて忘れられ、風化していってしまうような、だが切実でリアルな物語群である。王童監督の『香蕉天堂(バナナパラダイス)』、李祐寧監督の『老莫的第二個春天(老兵の春)』、侯孝賢監督の『恋恋風塵』などの映画作品に通じるような読後感が伴う。いまや台湾海峡の間の人・物資・情報の往来の制限は解かれ、金門島は軍事衝突の前線基地ではなく、観光地となった。海峡の距離は歴然と縮まった。とはいえ、両岸に住む人びとの心のわだかまりがほぐれたわけではない。一筋縄ではない、一筆書きでは描けない複雑な両岸関係の一端を、台湾側からうかがい知ることのできる好著である。それがこのように大陸で出版され、ベストセラーになっている。今の否定面ばかりが報道される両岸関係にあって、見逃してはならない一つの動きである。

中国のベストセラー(社会関連)

中国図書網8月4日ここ1週間のベストセラーリストより

1 困窘的瀟洒:民国文人的日常生活

劉克敵

中華民国期の文人の文壇・論壇での交遊圏を日記・書簡・回想録から再現。

2 談修養

朱光潜

中国を代表する美学者・文芸理論家が、中国の青年たちに授ける人生指南。

3 唐詩万象:唐朝風情面面観

王開洋

絢爛多彩な唐詩を堪能し、味わうため知っておきたい詩人たちの詩と生活。

4 中国近代史

『中国近代史』(東京外国語大学出版会)

蒋廷黻

中華民国の歴史学者・外交官によるアヘン戦争から抗日戦争までの事件史。

5 不瘋魔,不哲学

哲不解

哲学科在籍の女性博士が、西洋の哲学者約20人の伝記と思想を軽妙に解説。

6 中国智慧

易中天

易経から禅宗まで、中国思想のエッセンスを人気の講師が小気味よくレクチャー。

7 境由心生

熊十力

新儒家を開いた著名な哲学者による、東西哲学・儒仏道思想に関するエッセイ集。

8 台湾這些年所知道的祖国

廖信忠

中国の現代史に翻弄され生きてきた13人の台湾人の、小さくも壮絶な物語。

9 邏輯高手:教你正確分析解決技巧和快速切換思考方式

李翠香

相手を説得し論破し仕事に活かせる役に立つ論理的思考とは。論理学の入門書。

10 不想活下去的孩子

欧巴克 イスラエル・オーバック

米国の臨床心理医による、医師・教師・親向けの子どもの自殺の心理分析と治療。