■麻薬の道「バルカンルート」
アフガニスタン、パキスタン、イランにまたがる地域は、「黄金の三日月地帯」と呼ばれ、東南アジアの「黄金の三角地帯」と並び称される世界最大の麻薬の生産地だ。この三日月地帯で栽培された大麻や、ケシからつくられるヘロインはトルコを経由して一大消費地ヨーロッパに、主に陸路で運ばれる。トルコ国境からギリシャ、ブルガリアに抜け、バルカン半島を通る「バルカンルート」だ。一方、同じルートを西から東へ、ヨーロッパからは合成麻薬がトルコを通ってアジア、中東に渡っていく。
ここ数年、トルコの年間麻薬犯罪捜査件数は約15万件、国内で押収される麻薬は数十トン。麻薬犯罪の拘束者は年間20万人に上る。普段は地味に、時に大々的に、麻薬関連ニュースはほぼ毎日、新聞紙面の一角を占めている。
■「過去最大級」の捜査 ボス2人逮捕
「トルコ共和国史上、最大の作戦が行われた」。警察を管轄する内務省のソイル大臣は6月30日、誇らしげに語り、大量に積まれた外貨や金塊、骨董品の刀などを報道陣に公開した。円換算で10億円以上。ほかに300近い不動産の権利書や20の高級外車、紙幣計算機なども押収された。
「沼地作戦」と名付けられたこの大規模捜査はトルコの11県で一斉に行われ、マフィアのボス2人を含む約80人が拘束された。協力国はオランダ、ブラジル、エクアドルなど8ヵ国。拘束されたのは1990年代から麻薬の密輸を牛耳っていた犯罪集団で、中にはイスタンブールにある警察の元署長も含まれていた。
逮捕されたボスの一人は、国際刑事警察機構(インターポール)の国際指名手配を受けている男だった。麻薬取引によりブラジルで逮捕され刑務所から逃走。オランダで再び麻薬とマネーロンダリングで逮捕後、約6000万円を支払い保釈されたが、その後トルコに逃げてきた。ビジネスマンを装い、シリア国境近くの街でシリア難民支援団体の会合に参加し、多額の寄付をするなど「善良な市民」を装っていた。
もう一人もトルコやスペインで逮捕・服役歴をもつ。手引きしたイスタンブールの元警察署長が自身の公用車とドライバーをあてがっていた。コロナの感染拡大で都市封鎖措置がとられていた中でも「バルカンルート」でトルコに運ばれた麻薬の売上金をギリシャ・ブルガリア国境の街に受け取りに行くなど、自由に移動していた。
だが、こうした動きはすべて警察が把握。数か月間泳がせ、犯罪網を割り出していた。9ヵ国が連携したこの捜査は、水面下で1年以上続けられていたという。
■PKKの「サプライチェーン」
トルコの麻薬犯罪捜査は、トルコがシリア北部やイラク北部で行っている「対テロ対策」の一環でもある。過去約40年間トルコ軍と戦っているテロ組織「クルド労働者党(PKK)」を支えているのは、麻薬取引で獲得した潤沢な資金だとされているためだ。
インターポールによると、PKKはヨーロッパの違法麻薬取引市場の実に8割を支配している。資金源の9割は麻薬とマネーロンダリングといい、PKKの収入は年々拡大、トルコ警察は年約15億ドルと見積もっている。
PKKが生まれたトルコ南東部は、メソポタミア文明を育んだチグリス川、ユーフラテス川が流れ農業に適した肥沃な大地で覆われている。1978年にPKKが設立された南東部のディヤルバクルとその周辺は、大麻の栽培に最も適した地域とされ、その山がちな地形が捜査当局の発見を難しくしてきた。広大な敷地に背の高いトウモロコシを植え、その内側に見えないように大麻を育てている事例もあるという。
1960年代以降、人手不足を埋めるべく、トルコからヨーロッパに渡った移民の中にはPKKを支持する人もいた。そうした支持者をも利用しながら、PKKはヨーロッパ各地で拠点を拡大、強固なネットワークを築き上げてきた。大陸をまたぐ麻薬の密輸にはマフィア間の協力が欠かせないのだが、PKKは単独で、生産から密輸、売買ができるといういわば強固な「サプライチェーン」を整えた。ディヤルバクル出身のバイバシン一家など、ヨーロッパでも恐れられた麻薬マフィアも少なくない。
ここ数年の捜査強化の背景には、2016年7月のクーデター未遂事件がある。政府転覆を狙った軍の一部による犯行だが、背後にはアメリカ在住のイスラム指導者がいるとされ、「FETO」と呼ばれた信奉者らは、特にトルコの治安機関や司法機関に根を張り、警察の麻薬捜査に関わっていた幹部も多く含まれていた。政府はそうしたグループがPKKともつながり、意図するままに麻薬取引をしていたとみており、その後の麻薬捜査の加速化につながった。
2017年にはベルギーやオーストリアとの共同捜査で、PKKの麻薬ネットワークの要所が寸断されるなど、PKKのサプライチェーンも徐々に弱まっている模様だ。
■若者にじわりと広がる麻薬
トルコは単なる中継地というだけではない。密売人と麻薬が往来する中で、一部はトルコ国内で消費されている現実がある。ヨーロッパから流れてくる合成麻薬は値段が安く、近年、特に若者の間で広がっている。大都市のスラム街では学校近くに密売人がたむろし、登下校中の子供たちを狙うケースもある。
麻薬使用者の低年齢化を危惧したソイル内務大臣はおととし、「学校近くで麻薬密売人を見つけた警察官は、そいつの足をへし折る義務がある」と公言、物議を醸した。野党や弁護士団体は「司法を無視した犯罪の扇動だ」と抗議し同大臣を提訴、大臣は「取り締まる側にとって、それぐらいの意気込みが必要という意味だ」と釈明に追われた。
一大消費地であるEUと比べると、トルコの麻薬使用率は際立って少ない。だが、欧州薬物・薬物依存監視センターの2019年報告書では、トルコでの麻薬使用者の低年齢化(15~34歳)が指摘されており、20歳未満の麻薬による死者はEU平均の約3倍となっている。半数以上は合成麻薬といい、過去、9歳の子供が麻薬乱用で病院に運ばれたケースもあった。内務省は2014年、組織犯罪だけでなく、個人の密売にも焦点を当て、専門家集団による小規模な「麻薬チーム」を作り、若者が集まる場所やスラム街の学校周辺に重点的に配置した。
さらに今年から、麻薬犯罪情報提供に対する報奨金の額を一気に拡大した。組織の中心人物や重要関係者の逮捕につながった場合、最高額で約800万円だ。背後に犯罪組織がある場合が多いヘロインとコカインに関する情報で押収に至った場合、一キログラムあたり最高約100万円、大麻は約25万円。個人の密売情報も報奨金対象とし、発見情報には報奨金一律約4万円が支払われる。
こうした対策は徐々に成果を見せ、2018年以降、麻薬の押収量は増加する一方、死者は減少傾向にある。
■静かな夏の熱い戦い
世界貿易機関(WTO)の予想では、2020年は世界貿易が13%~32%縮小するとされている。コロナの影響で生活が苦しくなり、手っ取り早くお金を得られるとして密輸に手を染めたり、麻薬犯罪組織に取り込まれたりする人が増える可能性が危惧されている。
トルコはコロナ禍で通貨安が進行し、一時は2018年の通貨危機の水準を下回るほどリラ安となった。リラを買い支える原資となる外貨準備もコロナ禍の数か月で急減、経常赤字も常態化しており、外貨を稼ぐ観光業は大打撃を受けている。今月初めにEUが発表した、第三国からの渡航者受け入れリストにはトルコの名前はなく、観光収入での景気回復が期待されるが、苦しい状況が続く。
国連が5月に発表した報告書は、麻薬の密輸・売買を取り締まる各国政府がコロナ対策に手を取られ、犯罪組織が活動しやすい環境になっていると指摘する。
2008年のリーマンショックによる世界的な経済危機では、各国政府が支出削減を強いられ、麻薬犯罪捜査の予算も大幅に縮小した結果、密輸が増えたという。専門家の中には、コロナによる経済不況で、税関職員の給料も減り、汚職がはびこる可能性を指摘する人もいる。
連日35度を超える暑さのトルコのリゾート地は、例年の外国人観光客による賑わいが嘘のように閑散としている。だが、コロナ禍の静かな夏を迎えても、麻薬との戦いはこの夏も熱を帯びている。