タケネズミはマオ・ツーチンを窮乏生活から救い出した。しかし、新型コロナウイルスの大流行で、再び困窮しそうだ。
マオは中国南部に、ここ5年間で1100匹のタケネズミを飼育する自立可能な農場をつくりあげた。ぽっちゃりした食用げっ歯類のタケネズミは、この地方の珍味だ。ところが去る2月、中国政府は、飼育か捕獲かにかかわらず、野生動物の販売と消費を一時停止し、感染症の発生源とみられる取引を突然凍結した。
それでも、マオはまだタケネズミにエサを与える必要があるのだが、その費用や投資をカバーする手だてがない。 「借金で首が回らない」。そうマオは言っている。
中国は野生動物の取引を停止したことで称賛されたけれど、それはマオのような何百万人もの労働者を苦境に追い込んだ。彼らの経済的な命運は、政府の規制に大きな抜け穴がある現状では、(野生動物取引を)恒久的に禁止するとの中国の公約を損なわせる恐れがある。
中国の立法機関・全国人民代表大会(全人代)は5月下旬、取引に終止符を打つ新しい法律を採択することなく閉会した。代わりに、法案の起草に際して現行法の強化を検討する指令を発した。それには1年以上かかる可能性がある。
ぐずぐずしていることで、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)流行の過去を繰り返すかもしれないとの懸念が高まっている。その時は、中国はSARSの発生に関連した動物――ジャコウネコ(ハクビシン)――の販売を禁じたのだが、危機がピークを過ぎてから数カ月後にこっそりと発令したのだった。
「機運の高まりは見られない」とピーター・J・リーは言う。米ヒューストン大学ダウンタウン校の准教授で、「ヒューメインソサエティー・インターナショナル(HSI)」の中国政策アドバイザーだ。
野生動物の取引を規制する動きの中で、中国政府はクマやトラ、サイといった動物を食すことの薬効を称賛する古い文献集など深く根付いた文化や料理の伝統と格闘している。
新型コロナの大流行は武漢の市場から拡散したとされるが、そこではかごから動物を取り出して売り、その場で殺す。衛生上、好ましくないが、鮮度が重視されるからだ。
中国共産党指導部が発する指令に公然と異議が唱えられることはめったにないが、恒久的な禁止措置には強力な支持基盤と利権者からこぞって反対の声が上がる。すでに内部で論争の兆候がみられる。
北京を含めたいくつかの都市は6月の初め、野生動物の捕獲や販売の禁止措置で先行した。武漢もまた5年間の禁止を発表した。だが、マオが暮らしているような地方の田舎では、当局は免除措置を求めてロビー活動を展開している。それは、中国指導者の習近平が設定した目標、つまり今年中に極度の貧困を撲滅するとの目標を達成するためでもあるというのだ。
中国農業省は6月初め、承認された家畜の「ホワイトリスト(警戒不要動物リスト)」からイヌを除外した。この除外は、イヌの肉を食す伝統に反対する側の勝利である。しかし、以前は野生動物とされてきたエミューとマスコビーダック(訳注=中南米原産のカモ目カモ科の大型鳥バリケン)の2種をホワイトリストに追加し、販売できるようにした。
タケネズミは、マオが暮らす広西省の農民からの要請があったが、ホワイトリストには加えられなかった。ネズミの類は、政府が別途用意した54種の野生動物リストに入れられている。この54種は捕獲・販売・消費を承認する野生動物で、取引を管理する無数の重複した法律を反映したものだ。
「中国が、主導権を握って将来の感染症の大流行を阻止する進歩的な法律を採択することで世界に立派な手本を示すまれな機会を逃したのは残念だ」。国際的な動物擁護団体「ACTAsia」を率いるペイ・スーは声明で、そう述べた。
中国政府はすでに、毛皮や伝統的な漢方薬に野生動物を使うことを例外として認め、中国共産党当局はCOVID―19(新型コロナ)の治療を巡り、クマの胆汁の使用などを積極的に推し進めている。
この免除措置は、野獣肉の違法取引をあおりかねない抜け穴をつくった。コロナウイルスを保菌している可能性があるとされてきた絶滅危惧種のセンザンコウが、その一つだ。センザンコウの肉――精力剤として一部で珍重されている――は禁制品だが、そのウロコでつくった医薬品を買うのは合法なのだ。
北京の天安門広場から目と鼻の先にある店は、センザンコウのウロコを展示し、「コイリンチー」と呼ばれるカプセルに入った28種類の成分の一つとして宣伝している。性的不能、疲労、物忘れなどの治療に効くとうたっている。その他の成分にはシカの角やタツノオトシゴ、スズメの脳みそなどが含まれている。
武漢でコロナウイルスが出現した時、中国人たちは、少なくとも当初、野生動物の取引に素早く反対し、長期にわたって動物搾取に反対してきた人たちに希望を与えた。
最初のクラスターは武漢の華南海鮮卸売市場で発生。そこは、生きた動物を売る多くの行商人らの店舗や屋台が並ぶ広大な迷路になっている。市場は1月1日に閉鎖された。それは、当局者がクラスター発生の深刻さを十分に理解したり認識したりする前だった。
中国疾病預防控制センター(CCDCP)は後日、市場の一部から採取した環境試料からコロナウイルスが見つかったと報告している。当局は、まだ新型コロナを特定の動物に関連付けていないが、SARSの大流行と同様、コウモリに由来する可能性が高く、別の哺乳動物から最終的には人間に感染したのだ。
新型コロナ大流行の対応にかかわった著名な中国人科学者・鍾南山は、他に仲介した可能性がある2種を特定した。アナグマとタケネズミだ。どちらも武漢で売られていた。
政府は1月末、生きた動物の販売を一時停止するよう市場に命じた。ただし、魚やカニその他のシーフードは除外した。ひと月後、(新型コロナによる)死者が激増し始めたため、すべての陸生野生動物の取引を一時停止すると発表した。
習近平は伝統に幕を引くことを求めた。「野生動物を食すことの危険性を、私たちはずっと前から知っていた」。2月に習近平はそう述べ、「だが、獣肉業界は依然として大規模で、公衆衛生上、重大な危険を招いている」と指摘した。
習近平の発言は、ステータス(社会的地位)や未証明の薬効のために珍奇な野生動物を求めることへの反発の高まりを背景にしたものだ。
野生生物保護協会(WCS)の中国プログラム部長アイリ・カンによると、猛烈な経済発展があらゆる種類の野生動物に対する需要と供給を刺激した時に発生したSARSの流行以降、社会の受けとめ方は劇的に変化した。「人びとは現在、エコ文明(生態文明)について語るようになった」と彼女は指摘する。
カンは、全人代で首相の李克強が発表した作業報告書に、野生動物の違法取引について初の言及があったことに注目している。
「私は、進展を前向きに受け止めている」と彼女は言っている。
野生動物の繁殖は、2017年の見積もりだと、80億ドル近い大規模ビジネスになっている。特に感染症の大流行に伴う情勢下では、代替の仕事や収入源を見つけるのは極めて難しいだろう。
マオが住むベトナムとの国境地域・広西チワン族自治区では、ここ20年間、タケネズミの飼育農場が急成長した。政府が農民の貧困救済の手段として飼育を奨励したのだ。同地域の畜産研究所の上級研究員リウ・コーチュンによると、そこでは10万人が1800万匹のタケネズミを飼育している。
マオは独身で、病気の母親と一緒に暮らしており、ピーナツとトウモロコシを栽培して年700ドル相当を稼いでいたが、2015年にタケネズミの飼育に切り替えた。飼育は100匹から始め、その後、収益をつぎ込んで事業を拡張してきた。今では1100匹を飼育し、年に1万4千ドル以上稼ぐが、その収入が突然、危うくなってしまった。
「多額のカネをつぎ込んだからあきらめきれない」とマオ。住んでいる平楽県の村から電話インタビューに応じ、「どうしようもなく不安だ」と話した。
取引の一時停止で、何百万匹もの動物をどうするのかは、はっきりしていない。(抄訳)
(Steven Lee Myers)©2020 The New York Times
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