1. HOME
  2. People
  3. 海外駐在中に会社が破産、自力で事業を続けた 「二重内陸国」で物流支える日本人

海外駐在中に会社が破産、自力で事業を続けた 「二重内陸国」で物流支える日本人

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
「アイティエスニッポン」のオフィス前で社員と

■私のON

ウズベキスタンはかつてシルクロードの要衝として栄えました。現在は、海へ出るために国境を2回越える必要がある「二重内陸国」です。世界に2カ国だけで、もう一つはリヒテンシュタインです。そのため、日本の海運会社のコンテナは入ってきません。

日本の大手物流会社も展開していないので、そうした会社から業務を依頼されることも多いです。日本からカザフスタンやキルギス、タジキスタンなど周辺国への物流のコーディネートもしています。その関係で、2017年のアスタナ万博(カザフスタン)の貨物も手伝いました。

2017年のアスタナ万博(カザフスタン)で

日本からの貨物は、かつてはロシア極東に船で運び、そこから鉄道やトラックで輸送するルートが一般的でしたが、最近は中国の港に船で運ぶルートも増えてきました。日本からはODA(政府の途上国援助)の建設機械や通信機器、医療関係の物資などが多いです。日本製品の取引は少なく、第2次世界大戦前に朝鮮半島から強制移住させられた人が多いこともあり、家電製品は韓国製がほとんどです。

駐在員だった2001年に会社が破産してしまいました。継続中のプロジェクトもあったので、自分で物流会社「アイティエスニッポン」を立ち上げて事務所を引き継ぎ、経営者として業務を続けています。破産した会社の社長は現在、東京本社でロシアなど旧ソ連諸国との貿易を担当してくれています。

ウズベキスタン国内で灌漑(かんがい)用のポンプを輸送

タシケントに赴任したのは23年前ですが、旧ソ連とのつきあいは30年以上になります。大学在学中の1987年から1年間、ソ連時代のモスクワに留学しました。89年に大学を卒業し、旧ソ連各国にコンピューター関連機器を輸出する商社に就職した後、繊維の商社に転職しました。シルク製造機を旧ソ連や中国、韓国に輸出したり、シルクの原料の買い付けでウズベキスタンなど中央アジアの国々に出張したり。1年の半分ほどはロシアや中央アジアに行っていて、中央アジア出張中に肝炎にかかってしまったこともあります。

そのころのウズベキスタンはソ連から独立したものの、経済的には貧しく鎖国のような状態が続いていて、ほとんど商売にならないところでした。旧ソ連地域を対象とした会社の部署の収支も悪く、閉鎖されてしまいました。そんなこともあり、日本と旧ソ連各国の貿易を担っていた物流会社に移りました。

ウズベキスタンは1991年の独立から続けていた大統領の死去で、2016年に大統領が交代し、外国との経済活動が増え、外貨取引の自由化も進みつつあります。観光振興のため入国規制も緩和され、日本からもビザなしで入国できるようになりました。

ただ、新型コロナウイルスの感染拡大で、ウズベキスタンも3月から外出が制限され、自動車通行に許可を得る必要があるなど移動が規制されるようになりました。国際線の航空便は運休となり日本との行き来はできず、タシケントに残っていますが、仕事はほとんどできない状態が続いています。外国企業の登録車両は通行できるようになり、6月上旬から路線バスの運行が再開しましたが、ソ連時代からある地下鉄は止まったままです。

「アイティエスニッポン」のオフィスで社員と打ち合わせ

■私のOFF

タシケントは物価が安く、治安も良いので、住みやすい街だと思います。大統領交代からの数年で町並みは大きく変わりました。高級マンションの建設ラッシュで、ロシアや中国の富裕層が買っているそうです。バブルのような感じで、ホテルやショッピングモールができ、レストランも増えました。ウズベキスタン料理は脂っこいので毎日食べるのはつらいですが、選択肢が広がり、日本人駐在員たちとも行っています。

前の大統領がテニス好きだったせいか、タシケントのあちこちにコートがあるので、毎週のようにテニスで汗を流しています。郊外にゴルフコースが1カ所あり、たまに回っています。我々は1ラウンド80ドルぐらい払いますが、ウズベキスタン人は35ドル、外交官は65ドルなどと差をつけているのが、お国柄ですかね。(構成・星野眞三雄、写真は吉田さん提供)