今回から本欄を担当することになった。知人の多い中国の出版界の動向、今の職場からみた論壇や学術界の実情を踏まえ、読書人たちの熱気を伝えていきたい。
ところが帰国中にコロナ禍で北京に戻れず、出ばなをくじかれた。
中国に相声という伝統芸能がある。語りと俗唄を基調に滑稽な身ぶりやギャグで観客を笑わせる漫才だ。
相声界の今をときめくスーパースターが本書『過得剛好』(書名は「人生まずまず」と「郭徳綱は良い」を掛けている)の著者・郭徳綱である。北京南部の大衆芸能の本場・天橋にある専用劇場を拠点に実演し、テレビ番組「トークショー」の司会を務め、テレビ・映画・ネット動画などで爆発的な人気を集めている。メディア戦略家としてもなかなかの才覚がある。
だが伝統芸能は文革の10年を経て芸人の相伝が絶え、1980年代に復活したものの、多くの芸人は相声以外の職業から集まっていた。
郭は73年、相声揺籃の地・天津に生まれ、7歳から講談や相声に親しみ芸能界に入った。95年に北京に入り、毎日具なしラーメンをすすり、舞台がはねて一間の部屋まで夜道を歩き、流した初めての涙の味を「お前の永遠の資本だ」と自分に言い聞かせた。やがて芸人を集めて会社組織の大衆演芸集団・徳雲社を創建し、街頭でなく劇場での実演による経営に乗り出した。
郭は1000余りの演目のある伝統相声を掘り起こしつつも、伝統を墨守するのではなく、現代風俗や芸能評論家批判など新たな要素を大胆かつふんだんに取り入れた。同業者からは徳雲社を敵視され、低俗、品位を欠くとの罵詈雑言が浴びせられてきた。
本書には郭が一代で築いた新相声への下積みの苦労と芸道の神髄がつづられている。同業者に対しては、「芸がまずいと観客にののしられ、芸がうまいと同業にののしられる」とうそぶき、評価は評論家ではなく観客こそが決めることと不退転の意志を表明する。
郭には草の根の俠気と反骨精神の背骨が通っている。数多く披露された自作の漢詩や趣味を読むと、古典文芸への深い造詣を土台にした豊饒な中国文化の伝統が、一代で刷新した彼の芸道を支えていることに思いいたる。「俗は低俗にあらずして通俗、人には通俗の権利あり、俗ありてこそ芸術を享受する」
■中国において「郷土」とは
本書のタイトル『郷土中国』の「郷土」は翻訳しにくい用語である。「郷」とは「生まれ育った故郷」でもあり、「城(都市)」に対して「地方の郷村」すなわち農村でもある。本書は「郷土」という基層社会はどのような構成原理によって形作られ、そこに住む「郷下人(田舎者、村人)」はどのような行動規範によって生活を営んでいるのかを明らかにする。中華人民共和国建国直前の1948年に刊行された、不朽の現代の古典である。
著者の費孝通は、中国社会学・人類学の基礎を築いた学者である。建国後、反右派闘争によって同学は以後禁忌とされ、改革開放政策が採られるまでの20年もの間、費は失脚していた。本書もまた、85年に再刊されるまで日の目を見ることはなかった。以後、各社から様ざまな版本が刊行される超ロングセラーとなっている。そしていまベストセラーとして再浮上してきている背景には、昨年から、中国の高校一年生の推薦図書に本書が指定されたことがある。
費の学問は清華大学大学院でシロコゴロフに、イギリスでマリノフスキーに師事した履歴からしても、社会調査が基礎にあり、内容からしてもマルクス主義の影響はほとんど受けていない。本書は郷村でのフィールドワークを基礎にしつつ理論志向が強い内容ではあるが、途中のブランクを含めて70年余の生命力があり、公教育の場で読み継がれている。
その人気の理由は、7万字弱の小冊子という簡便さにある。そして何よりも、中国社会に息づく価値観を、中国人以外にも理解可能な中国語と中国文化のコンテキストで平明な語り口によって解説してみせた手腕にあると思う。
では「郷土」社会の構成原理とはいかなるものか。本書のエッセンスを一言で言えば、顔なじみ同士が居住する伝統的な自給自足社会に形成された、「私」を同心円状に拡散し完結した人倫ネットワークにおいて機能する「礼治秩序」である。
このことを評者なりに消去法によって逆側から説明すると、見知らぬ人同士の都市社会ではなく、神の下の万民平等に基づく西洋社会の倫理ではなく、法規範によって行動を制御する近代統治秩序ではない。「私」を同心円状に拡散するネットワークとは、「私」を家族へと、家族を郷村社会へと拡大していくところに形成される社会関係のネットワークであり、私からの距離の違いによって応酬される愛に濃淡と偏差がある。
このことを費は「差序格局」という造語で表現する。つまり「公」とは「私」の拡大したところに形成される「公共圏」のことであり、日本のような厳密に二分されるべき「公・私」概念とも異なる。儒教における「推己及人(人の身になって考える)」「己所不欲、勿施於人(己のしてほしくないことを人にはしない)」の発想と重なる。いわば「郷土中国」は儒教の道徳観に基づく社会秩序論にきわめて近い。
ここから先は読者に課せられた思考のレッスンである。
第一に、都市化が進んだ中国において、「郷土中国」論は現代中国社会論としてどこまで有効か。
都市化したとはいえ、まだ6割。大都市の周縁及び後方を広大な農村地帯が取り囲んでいる。都市の中にも3億人近い農村出身の出稼ぎ労働者がいるといわれる。また役所・国有企業・学校など公的機関関連の職場は建国後「単位」と呼ばれ、そこには郷土コミュニティーと近似した社会構成原理の要素が機能しているかのように見える。
費は47年にロンドンで行った学術講演を翌年、『郷土中国』と同時に、同じ上海の観察社より『郷土重建(郷土の再建)』として出版している。そこでは都市と農村とを対比し、西洋列強の侵入により近代工業が都市と農村に流入したあとの社会変容について論じている。こちらも小冊子ながらも『郷土中国』と併読すべき創見に富んだ古典である。
第二に、中国共産党の一党支配が基層社会にまで貫徹している今、費が実証した当時の郷土社会とそこでの人間関係の自律性・完結性は担保されているのかどうか。「上に政策あれば下に対策あり」という。では、その「対策」はどういうメカニズムによって醸成され機能しているのだろうか。
この問題を解くヒントは、これも費が提示した「皇権と紳権(上からの皇帝権力と下からの郷紳権力、「郷紳」とは官職に就いたことのある、あるいは官僚と何らかのかかわりのある在地の有力者の総称)」にある。歴代の王朝はこの2層権力によって階層構造を保ってきたというわけだが、清末以降の西洋列強(日本も含め)の侵入と、革命による王朝の打倒による社会変容がこの権力構造を動揺させた。「皇権」はどのような形で今の共産党政権に継承されていて、「紳権」はいまどこに残存しているのか。「郷土中国」の投げかけた問題意識は、射程が長く、読者にさらなる探求への深掘りを誘ってやまない。現代の古典たるゆえんである。
■SFだけじゃない、中国の推理小説にも傑作あり
昨今は日本でも劉慈欣や郝景芳など現代中国SF作家が脚光を浴びるようになった。いっぽうで見逃してはならないのは推理小説部門である。こちらも本格的な作品群がベストセラーリストに載るようになってきた。なかでも小橋老樹(本名張兵)は数多くの探偵小説を手がける売れっ子の作家で、今回の小説『侯大利刑偵筆記(侯大利刑事の事件簿)』も評判にたがわぬ、スリルとサスペンスにあふれた傑作である。
主人公の侯大利は大企業の御曹司。プレイボーイだった高校時代、幼なじみの恋人が、豪雨の日の夕刻、橋から転落し溺死(できし)した。侯は殺害されたものと確信したものの事故死とされたことへの無念から、一念発起して勉学に専念し、政法大学の刑事学部に入学し、地元警察の刑事となる。恋人の事件の疑念を晴らし真相究明を期したのである。警察署では大企業の2代目を危険な現場捜査に就かせるわけにはいかないとの配慮から、事件資料の調査部門に配属となる。そこでその管内で迷宮入りになっている五つの殺人事件の再捜査チームの一員となる。
次々に起こる殺人事件を専門チームが捜査し、容疑者を検挙するが、再捜査チームの過去の事件ファイルからは別の真犯人が浮かび上がる。やがてその犯人と迷宮入りの殺人事件のつながりが露呈し、脈絡のない事件の錯綜(さくそう)した糸が解かれていく。侯の幼少期に体験したもろもろのエピソードが、連続殺人事件の展開とともに、一つのストーリーに織り込まれていく。
現場検証、血液や凶器の痕跡に基づく推理、容疑者の供述、死体解剖、犯罪心理学……探偵小説のあらゆる要素がふんだんに盛り込まれていて、巧妙な謎解きと意想外のストーリー展開に巻をおくことができない。侯には鋭敏な直観力が備わっており、事件現場での出来事を立体的に映画のように脳内に再現する独特の視覚捕捉能力・空間関知能力がある。
作品に深みを与えているのは、書き分けられた刑事たちの個性である。大学教授だった父が冤罪(えんざい)で入獄したことの理不尽から、無感情で冷徹にふるまう女性法医学者と、恋人の殺害を闇に葬られたままの侯が、合同調査の過程で恋慕の情を抱くようになる。職人気質の老刑事と才気煥発の新米刑事のやりとりや、捜査が進むにつれて同僚刑事の侯にむけるまなざしが変化していくところも、刑事ものには定石の人間ドラマの真骨頂だ。
また執拗(しつよう)で残忍な殺人鬼と化した真犯人の心の闇と、それを袋小路に追いつめていく侯の正義とを対比的に描きながら、人生の経路での共通体験が交錯するところなど、黒沢明の名画『野良犬』を想起させるようなサイコスリラーの緊迫感がある。
中国のベストセラー(総合)
5月19日付アマゾン中国キンドル電子書籍ベストセラーリストより。『』内の書名は邦題(出版社)
1 天才在左 瘋子在右
高銘
問答形式でまとめた数多の精神障害者への取材記。正常と異常の境界が揺らぐ。
2 殺死一隻知更鳥
『アラバマ物語』(暮しの手帖社)
哈珀・李 ハーパー・リー
大恐慌時代、米国南部で起こった事件をめぐる裁判を描いた小説。
3 過得剛好
郭徳綱
中国漫才界中興の祖による一代記。同業者の中傷に抗い遂げた伝統からの刷新。
4 絶対笑噴之棄業医生日誌
『少し痛みますよ』(羊土社)
亜当・凱 アダム・ケイ
英国の喜劇役者による産婦人科医時代6年の奮闘の記録。全英でベストセラー。
5 不安之書
『不安の書』(彩流社など)
費爾南多・佩索阿 フェルナンド・ペソア
ポルトガルの作家の遺作。孤独な生活の哲理を綴った随筆集。
6 烏合之衆
『群衆心理』(講談社学術文庫)
古斯塔夫・勒龐 ギュスターヴ・ル・ボン
1895年に出された古典。群衆の心理と行動を社会心理学的に分析。
7 非暴力溝通
馬歇爾・廬森堡
臨床心理学者による、善良で温厚な対人関係によって対立を避ける生活指南。
8 郷土中国
『郷土中国』(風響社)
費孝通
1948年に出された社会学の古典。中国農村の社会構造モデルを提示。
9 誰殺了她
『どちらかが彼女を殺した』(講談社文庫)
東野圭吾
加賀恭一郎シリーズのミステリー第3作。
10 侯大利刑偵筆記
小橋老樹
人気作家による刑事の事件簿。様々な事件の真相を科学的推理で解明。