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ズーム爆撃だけじゃない ビデオ会議・オンライン授業をのぞいている第三者

小笠原みどりの「データと監視と私」 更新日: 公開日:

新型コロナウィルスの流行で職場や学校に通えなくなり、ビデオ会議やオンライン授業に突然参加することになった人は多いだろう。スカイプやフェイスタイムはもちろん、それまでほとんど知られていなかったズームの利用が爆発的に増えている。無料で簡単に、人と顔を見ながら会話することができる便利さに、すっかりハマった人もいるかもしれない。IT技術のお陰で、ロックダウンや外出自粛の下でも、人間同士のやりとりがある程度代替できた面は確かにある。私もカナダの緊急事態下で、ズーム・インタビューからスカイプ・ディナーまで、いつも以上にスクリーンを通じて人と交流した。メールの量が急増したことも合わせると、コンピューターを使った仕事の量はパンデミックによって確実に増えた。

「ズーム疲れ」「ズーム爆撃」

けれど便利なものには、落とし穴がある。まず、「ズーム疲れ」という言葉がすぐに生まれた。私の周りの大学関係者たちも、最初は孤独のなかで人と会える嬉しさに興奮していたけれど、いまではズーム会議続きでぐったりしている。電子画面を通じての交流は、生身の交流よりも「見る―見られる」ことに神経をとられ、「見る」集中力と「見られる」緊張感が増す。だから最近では、自分が話すとき以外はカメラもマイクもオフにする会議が増えた。それでも、画面越しのコミュニケーションのもどかしさに、ストレスが高じる。

同時に、「ズーム爆撃」と呼ばれる第三者の介入や嫌がらせが大問題になった。いまコロナ下で強まった人種差別と警察の暴力に抗議する運動が世界的に広がっているが、オンラインでの反差別集会に何者か侵入して妨害するケースが起きている。私の友だちも、ズーム集会の音声が消され、ヘイト・スピーチが書き込まれる事態に遭遇して、匿名レイシストの攻撃に大きなショックを受けていた。

生身の対話との違い

そして、なんと言っても、ビデオ会議やオンライン授業が政府や企業によって監視される可能性ついて、議論が沸騰している。オンラインのコミュニケーションが生身の対話と最も違うのは、プラットフォーム企業のつくるバーチャル空間で会話が交わされ、会話の内容はデジタル回線とサーバーを通って伝達される点だ。企業が内容を見たり、政府から要請があれば内容を提供したりする可能性がある。

対面なら、喫茶店でおしゃべりをしても、公民館で集まっても、話はその場にいた人たちだけと共有され、喫茶店のオーナーが話を記録したり、公民館のスタッフが見張りに来たりすることはない。すれば、少なくとも大問題になる。私たちには憲法で保障された表現の自由と、政府から私生活に介入されない自由、通信の秘密があり、ひとことで言えばプライバシーの権利がある。これらがなければ、どれだけ息苦しい世の中になるかは、誰でも想像できるだろう。客をくまなく監視するオーナーのいる喫茶店に行きたい人はいない。

が、デジタル・コミュニケーションは構造上、この可能性が強くなり、ネット企業との関係でプライバシーの問題が生じる。チャットであれ、通話であれ、誰と誰がどこで何分話したかが企業に記録され、追跡できる。何を検索し、どのサイトを見たかも。企業にとって、こうした個人情報は人々の関心を個別に探ったり、販売の材料にしたりできる、おいしい「ビッグデータ」だ。また、マイクロソフトやグーグルなどの世界的なネット企業が、アメリカ政府に大量の個人情報を利用者の承諾抜きに提供し、政府自身もデジタル回線に侵入してデータを総コピーしてきたことは、2013年のエドワード・スノーデン氏の衝撃的な内部告発によって動かぬ事実となった。

ビデオ会議やオンライン授業は、データ収集の領域と量を爆発的に広げている。まず、複数の人々が集う場での情報量が拡大し、事業計画から授業内容まで、公的な活動が多くカバーされるようになった。そしてカメラによって、視覚的な情報量が飛躍的に増す。利用者の顔や身体の映像だけでなく、背景の映像から生活環境、家族構成、関心や行動が割り出しやすくなる。

端末間の暗号化が焦点に

エンジニアであるスノーデン氏は、デジタル・プライバシーを守る方法として、通信内容を送り手から受け手に届くまでの全過程で暗号化し、途中で企業や政府が入手しても内容がわからないようにする端末間暗号化(End-to-end encryption)を推進してきた。私とのインタビューでも、特に日本の若いエンジニアたちに向けて「人々が簡単に安心して使える端末間暗号化の技術を開発することに力を貸してほしい」と呼びかけていた。個人の自由や民主主義を信じるエンジニアにとって、端末間暗号化は、言葉の真の意味でのセキュリティの実現でもある。利用者が急増したズームにも、セキュリティ対策として端末間暗号化への要請が強まった。

ところが、米シリコンバレーに本社があるズームのエリック・ユアンCEOは6月、端末間暗号化は技術的に可能だが、「無料ユーザーには提供したくない。なぜならユーザーが悪い目的でズームを利用した場合、FBIや地元の捜査機関に協力したいから」と、有料ユーザーに限定する発言をした。これに対し、アメリカの著名エンジニアで、日本でも『超監視社会』の著書があるブルース・シュナイアー氏が「有料ユーザーに特別サービスを追加するのはいい。けれどセキュリティとプライバシーをそこに入れないでほしい。それは全員が手に入れるべきものだから」とブログで書き、無料ユーザーにも端末暗号化を求める署名が始まるなど、批判を集めた。

お金がある人だけに通信の秘密が保障されるなら、それはもはや権利ではない。特権だ。そしてユアンCEOのいるアメリカで、警察の人種差別的な暴力への抗議が始まったことを考えれば、警察への提供を理由に暗号化を拒否するのは、自社の技術が社会に及ぼす影響について考えが浅すぎるとしか言えない。この歴史的なプロテストは、人種差別が貧富の差を生み、白人の特権を守ってきたことまで含めて、不平等を指摘しているからだ。だからシュナイダー氏は「この判断は、抗議者と政府への反対者と人権活動家とジャーナリストだけに悪影響を与える」と懸念している。実際、Black Lives Matter(黒人のいのちが大切だ)運動に加わる人たちの多くが、警察の監視を避けるために、端末間暗号化を採用するチャット・アプリ「シグナル」を利用していると、ニューヨーク・タイムズは報じている

批判を浴びたズームは結局、無料ユーザーに対しても端末間暗号化を提供することを発表した。ただし、電話番号などの識別情報を提供した場合に限られるようだ。身元情報を渡さなければプライバシーを保障しないというのは、やはり政府の追跡に協力するためなのだろうか。

教室にネット企業が入る

パンデミックはオンライン・コミュニケーションの比率を否応なく高めたが、そのなかで私が実感したのはむしろ、生身の対話のかけがえのなさだった。面と向かっているから伝えられること、人との間に育つ信頼というものがある。

その意味で、私が特に心配しているのは、性急なオンライン授業への移行だ。北米では一般に、日本よりずっと早くIT技術が教室に導入され、私のいるカナダのオンタリオ州も主に教育費の削減のためにオンライン化を推進してきた。コロナによる緊急事態で小中高学校が無期閉鎖になると、教育委員会はまずコンピューターのない家庭にタブレット端末を配り始めた。これは、オンライン授業のために貧富の差を埋めるという点では積極的な対応だが、子どもたちは家に閉じこもっている間、ネット漬けにもなる。ネット企業は、無防備な子どもたちからも容赦なく個人情報を集める。教育用プラットフォームを提供したグーグルが、子どもの情報を商業目的で集めていたとして、米ニュー・メキシコ州が提訴している

オンライン授業は、いわば教室にいつもネット企業の社員がいるようなものだ。監視が、教育にとって一番大切な人間同士の信頼関係を育てるのに有害であることを、専門家たちは指摘している。秋からほとんどの講義をオンライン化するカナダの大学で教える、私自身が直面する問題でもある。

私が所属しているクイーンズ大学の監視スタディーズ・センターは今月、初めてのオンライン・セミナーで、「ジッチ・ミート」(Jitsi Meet)という端末間暗号化を採用する無料ビデオ会議システムを使った。プライバシーを重視するエンジニアたちがつくるジッチを応援したい気持ちで試したが、15人の参加者と1時間半の議論が滞りなくできた。オープン・ソースのジッチは、自分でサーバーをつくることもでき、日本でも利用を広める活動が始まってい。完全無欠の技術はないが、「便利で簡単」を疑ったときから、よりよい選択が見えてくる。