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【ウクライナの女たち②】私はふるさとを2度失った チェルノブイリと紛争

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長い不妊治療の末に授かった長女ミラスラヴァを優しく抱きしめるアナ・ジュルディツカヤ=2020年2月、キエフ、渡辺志帆撮影

【アナ・ジュルディツカヤ】それでも「こうなる運命だった」

2度、ふるさとを失ったウクライナ女性がいる。1度目は、旧ソ連時代の1986年に起きたチェルノブイリ原発事故で、2度目はウクライナ危機で東部ドネツクを逃れて。今春、首都キエフ北部のアパートに暮らす、アナ・ジュルディツカヤ(38)を訪ねた。

82年4月、アナはチェルノブイリ原発の従業員たちが暮らすニュータウン、プリピャチに生まれた。父イブゲニ(66)は原発で働くエンジニアだった。

アナに、世界を震撼させた原発事故の記憶はほとんどない。ただ、事故の6日前、4歳の誕生日を迎えて、両親に開いてもらったパーティーのことは、今もよく覚えている。町中に淡いピンク色のアンズの花が咲き乱れる、美しい季節だった。プレゼントやおもちゃに囲まれ、友達と楽しい一日を過ごした。そして、事故後まもなく住民全員の避難が命じられた。平静を装って支度をする両親や周囲の大人の目に恐怖が宿っていたこともまた、アナははっきりと覚えている。

一家が移り住んだのは、プリピャチから約800キロも離れたウクライナ東部ドネツクだった。プリピャチ住民の多くが130キロほどしか離れていない首都キエフや近郊の都市に避難していた。「両親がここまで遠くに逃げたのは、原発事故で感じた恐怖の大きさゆえだと思う」と、アナは考えている。

プリピャチの自宅で祖母ナターリアに抱かれたアナ(中央)といとこたち。大好きだった祖母は10年以上前に他界した。プリピャチ時代の数少ない写真だ=本人提供

あれから34年。母ルドミラ(64)は、4歳のアナの手を引いて逃げた当時のことを思い出すと、恐怖がよみがえって涙を流してしまう。そんな母を見て、アナはそれ以上、問いただすことができないのだと言う。

■不妊治療費なく、紛争が追い打ち

7歳ごろ、ウクライナ東部ドネツクの小学校での演劇の衣装を着たアナ=本人提供

ドネツクで育ったアナは18歳の時、友人の紹介で2歳年下のアンドレイと出会い、22歳で結婚。すぐに子どもを望んだが、10年たっても授からない。医師に相談すると、妊娠するのに重要な甲状腺ホルモンの値に問題があると診断された。「不妊の原因は、原発事故で大量に放出された放射性物質に被曝(ひばく)したせいだと思う」。アナはそう考えているが、証明できるものはない。母もまた甲状腺に腫瘍(しゅよう)ができるなどして、体調がすぐれない。家族の中で政府の医療補償を受けられるのは、原発従業員で事故処理にも携わった父だけだ。経済的な余裕はなく、ドネツクでは十分な不妊治療を受けられなかった。

さらなる試練が襲う。愛情深い夫と築いてきたドネツクでの静かな暮らしは、14年に勃発した東部紛争で壊されていった。鉄鋼会社のエンジニアだったアンドレイは、紛争が始まった14年春、単身キエフに移り、ITプログラマーに転職するための勉強をスタート。安全と、よりよい生活を求めての決断だった。アナも3カ月後の14年7月、政府軍と親ロシア派との戦闘が激しさを増す中、命からがら夜行列車に乗り、夫を追ってキエフに向かった。

アンドレイは努力のかいあって、キエフのIT企業に転職。アナも市内の質屋で働いてお金を貯め、本格的な不妊治療を始めた。約3年後の18年、7回目の人工授精で長女ミラスラヴァ(2)を授かった。愛らしい娘の成長が、家族の苦い思い出を幸せに変えていった。

長女ミラスラヴァのほおにキスするアナ・ジュルディツカヤ=2020年2月、キエフ、渡辺志帆撮影

原発事故と東部紛争。アナは、ウクライナの暗い歴史に翻弄(ほんろう)された自分の過去を悲しんではいない。「プリピャチからドネツクに行ったから優しい夫に出会えた。キエフに逃れたから娘に会えた。チェルノブイリやドネツクで起きたことは残念だけれど、今の暮らしが幸せ。こうなる運命だったのだと思う」。昼寝から目覚めてぐずりだしたミラスラヴァを優しく抱き寄せながら、アナはほほえんだ。

【タチアナ・ダイバノヴァ】ようやく迎えた穏やかな老後が…

もう一人、紛争に人生を翻弄された女性をご紹介しよう。タチアナ・ダイバノヴァ(60)は、14年の分離東部紛争で中心地となったウクライナ東部ドネツクで、現地の運転手として私たちの取材を助けてくれた。14年7月、ウクライナ東部上空を飛んでいたマレーシア航空機が撃墜され、乗客乗員298人が犠牲になった。その墜落現場にも、タチアナは、「女性は親ロシア派の検問で怪しまれにくいから」と危険を顧みず、取材記者を乗せた車を飛ばして、いち早く乗り込んだ。

私の記憶にある彼女は、腕っぷしの強そうな、たくましい女性。そして、ひとり息子のビーチャ(34)は当時、あどけなさが残る青年で、大型バンを運転する母親の仕事を手伝っていた。2人が話すのは東部地域では一般的なロシア語。一日の終わりに私がつたないロシア語で「スパシーバ(ありがとう)」と礼を言うと、無口なタチアナに代わって、ビーチャがちゃめっ気たっぷりに「パジャールスタ(どういたしまして)!」と返してくれたものだ。

今年連絡してみると、タチアナはドネツクから約100キロ離れた小さな町スラビャンスクで暮らしていた。町はウクライナ政府の支配下にあるが、親ロシア派との停戦ラインにほど近い。政府軍が駐屯していて、3年前に入隊したビーチャが基地で働いているという。

「ここは嫌いだね。昔のドネツクに帰りたい」。町のカフェテリアで再会したタチアナは、怒気をはらんだ声でそう吐き捨てた。

ウクライナ東部スラビャンスクで、1人で暮らす自宅アパートの台所に座るタチアナ・ダイバノヴァ=2020年2月、渡辺志帆撮影

ドネツクで生まれ育ったタチアナの人生は、東部紛争で大きく変わってしまった。15歳から路線バスやタクシーの運転手として40年以上働いてきた。3度結婚し、1番目と3番目の夫とは死別した。ビーチャの実父である2番目の夫からは、ひどい家庭内暴力を受けてビーチャが8歳の時に離婚。女手一つでビーチャを育てながら、過酷な仕事を勤め上げ、ようやく穏やかに老後を過ごせると思った矢先に、紛争が起きた。

当時、ドネツク市内に小さなアパートを2軒持っていたが、1軒は親ロシア派の戦闘員になった兄(62)に居座られている。紛争をきっかけに意見の違いから兄とは不仲になり、タチアナは危害を加えられるのが怖くて同じ建物内にあるもう一軒の部屋にも戻れないという。

■家賃に消える年金 薬も買えない

ウクライナ東部スラビャンスクで、一人暮らしの自宅アパートの共用ドアを開けるタチアナ・ダイバノヴァ=2020年2月、渡辺志帆撮影

一人息子のビーチャは、14年夏に15年来の恋人と結婚式を挙げるはずだった。衣装もそろえ、ドネツクでの披露宴会場の手配も整っていたのに、紛争が激しさを増し、2人で首都キエフに逃れた。タチアナは紛争地取材に来る各国のジャーナリストの運転手をして稼いだお金を、すべてビーチャに持たせた。

ところが、ビーチャはキエフで仕事を見つけられず、恋人とも破局。精神的に落ち込み、酒におぼれた。生活を立て直すためにウクライナ軍に入り、1年半前に基地近くの雑貨店で働く女性と結婚した。スラビャンスク郊外に一軒家を購入し、タチアナも加えて家族3人の暮らしが始まった。だが、ほどなくタチアナは嫁との関係でつまずいてしまう。家庭菜園のトマトの苗に支柱をし忘れた。そんな些細なことで、激しい口論となり、家を追い出されてしまった。

彼女は今、旧ソ連時代の古いアパートの一室でビーチャが拾ってきた猫2匹と暮らしている。月2500フリブナ(約1万円)の年金は、同額の家賃に消える。近所の食堂の夜勤シフトも、一晩働いて250フリブナ(約1000円)。高血圧の持病があるが、薬を買う余裕はない。息子との距離を感じる。「猫のえさ代にも事欠くのに、ビーチャは私に頼み事があるときしか連絡してこなくなった」

タチアナは、戸棚の奥から思い出の詰まった写真の束を取りだし、一枚一枚めくって見せてくれた。自分の結婚式、ビーチャが赤ん坊だった頃、運転する路線バスの前で撮った記念写真、友人たちとのだんらんの夕べ……。どれも楽しかったドネツクの思い出だ。

親ロシア派武装勢力が占拠を続ける東部ドネツクの自宅から運び出した古い写真を眺めるタチアナ・ダイバノヴァ=2020年2月、ウクライナ東部スラビャンスク、渡辺志帆撮影

紛争前のタチアナは、誰だろうと求められれば飛んで行って助けの手をさしのべる、そんな優しい性格だった。紛争で気心の知れた友人と離ればなれになり、親戚も体調を崩して相次ぎ他界した。「ビーチャこそ生きる理由のすべて」。そう考えるようになった。

今、愛情を傾ける息子も、自分を省みてはくれない。「実の父に会う機会を奪った」と責められもした。それでも友人も家も失った今は、「ビーチャのそばにいたい」と願う。寂しくて心が荒れ、親ロシア派の住民と路上で口論することも増えた。

話を聞いている途中、タチアナの携帯電話が鳴った。ビーチャが高熱を出して寝込んだという。「見舞いにいかなくちゃ」。そう言い残すと、タチアナは足早に去って行った。

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ウクライナで出会った女性たちに、再び会いたくなったのはなぜだろう……。この6年の間に、私自身の人生にも大きな変化があった。パリ、キエフ、ウクライナ東部を旅しながら、「幸せのかたち」を考えました。

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