■「都市封鎖で略奪多発」と伝える
この日は、41分間の放送時間のうち約10分間を使って、新型コロナ感染拡大に直面している南アフリカ共和国(南ア)の様子と、南ア政府の対策について伝えた。番組は、「感染拡大が続いているにもかかわらず経済活動の再開に踏み切らざるを得ない国」の具体例として南アを取り上げ、ラマポーザ大統領が導入したロックダウンによって貧困層が経済的に困窮し、略奪が多発していることを伝えた。
番組では、NHKヨハネスブルク支局の別府正一郎支局長のナレーションとともに、大勢の住民が商店を略奪する様子を捉えた映像や、略奪と放火の対象になった小学校の映像などが放映された。別府支局長の取材に対し、校長先生は「子供たちの未来まで奪うのか」と怒りをあらわにしていた。
番組は、こうした事実を並べることで、ラマポーザ大統領のロックダウンへの不満が国民の間で強いことを描写し、「政府は経済活動の再開に踏み切らざるを得なかった」という南アの「現実」を伝えた。東京のスタジオのキャスターとのやり取りの中で、別府支局長は、経済活動再開を求める国民の声に「南ア政府はギブアップした形」と状況を説明し、「他のアフリカの国々も同じような状況」などと報告した。そして、経済活動を再開せざるを得ないアフリカ諸国に対する国際社会の支援を訴えて締めくくった。
南アの事情に詳しいわけではない多くの日本人にとって、この番組はそれなりに説得力のある内容だったのではないだろうか。南アに貧困層が多いという現実は、多くの日本人にとっての共通認識であり、南アの治安が悪く日本に比べて略奪の発生頻度が高いであろうことも、比較的多くの日本人が共有しているイメージだろう。番組はそうした平均的日本人の南ア観を補強するトーンで制作されており、番組に異論が出されることは想像しにくい。
■南アの対策は破綻していたのか
しかし、南アの事情に精通している人々、とりわけ南アで長年にわたって暮らしている日本人の反応には違うものがあった。放送から3日後の5月3日、2003年から南アに住んでいる吉村峰子さんという女性が自身のブログで番組内容に強い違和感を表明し、「事実誤認、途上国への蔑視、差別があまりにも露骨」とNHKを批判した。
さらに、吉村さんの文章の掲載から3日後の5月6日、アフリカと日本の交流に関心を抱く人々らでつくる「アフリカ日本協議会」という市民団体が、この番組について考えるオンラインセミナーを開催し、吉村さんを含む4人が番組についての批判的な意見を表明した。4人のうち吉村さんは17年間、1人は19年間、さらに1人は28年間南アに暮らしており、いずれも南ア社会に深く根付いた人々である。
オンラインセミナーの議論を要約すると、南ア政府の感染対策は極めて計画的で、日本政府が見習うべき面もあり、国民の多くは大統領の感染対策を支持しているにもかかわらず、番組では南アの対策が破綻(はたん)したかのように描かれている――というものである。議論の概要は次のウェブサイトで読むことができる。
こうした番組への批判は、南アを愛する一部の市民団体の人々の不満表明に過ぎないのだろうか。私には、そうではないように見える。南アをよく知る日本の外交関係者や企業関係者の中にも、番組に批判的な人が少なからずいる。
番組は「やらせ」や「フェイクニュース」を用いてはおらず、実際に起きた事実を素材に制作されている。報道番組の作り方に関する約束を守っているという点で、この番組に問題はない。
また、仮に南アをこよなく愛する長期在住の日本人が、南アの印象を損ねる略奪のニュースを伝えないことを望んだとしても、テレビ局はそのような要求に応じてはならない。南アで商店や学校に対する略奪が多発したこと自体は事実であり、特定の視聴者が見たいものだけを見せ、見たくないものを見せないのは、もはや独立したジャーナリズムとは言えないからである。
しかし、番組の限られた時間枠の中で放送可能な事実はごく一部であるため、番組制作者は無数の事実の中から、事実の取捨選択をしている。そのうえで制作者は、取捨選択した事実に秩序と意味を与え、番組全体としてのメッセージ――南アの現実――を伝えようとしている。
番組に批判的な人々がおおむね共通して抱いているのは、番組で取り上げられた個別の事実の真偽に対する疑念ではなく、事実の組み合わせによって作られた番組全体として言いたいことに対する違和感である。番組を見る限り、南ア政府の感染対策は国民の不満に直面して瓦解(がかい)したようにしか見えないが、本当にそれが南アの「現実」なのか――という疑問が提起されているのである。
■報じられなかった数々の「事実」
例えば、東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターが6月5日に開催したオンラインセミナー「コロナ禍とアフリカ」に、南アから参加した同大国際社会学部アフリカ専攻の中村茉莉さん(現・在南ア日本大使館在外公館派遣員)が紹介した「事実」からは、NHKの番組が発したメッセージとはかなり異なる南アの「現実」を感じることができる。
中村さんは、NHKの番組の放映前の4月13~18日のヨハネスブルク大学による世論調査で、ラマポーザ大統領の仕事ぶりに対する国民の支持が73%に達していたことを紹介した。中村さんの話を聞き、世論調査結果を詳しく見たところ、大統領の仕事ぶりを評価しない国民はわずか4%しかいなかった。また、ロックダウンについては、43%の国民が支持しており、37%の国民がロックダウンそのものに反対しているのではなく水準の緩和を望んでいるという結果であった。
こうした世論調査の存在は、「国民の不満を前に、大統領の感染対策が瓦解した」という基調で制作されたNHKの番組には出てこなかった重要な事実ではないだろうか。
また、南アのPCR検査に関する中村さんの報告も興味深いものであった。英国のオックスフォード大学などで作るデータベース「Our World in Data」によると、5月31日時点で人口が1億2000万人を超える日本の新型コロナ感染者数は1万6851人。これに対し、人口が日本の約半分の5800万人の南アの感染者は3万967人で、日本より多い。
しかし、5月31日時点の日本のPCR検査数が29万436件だったのに対し、南アは72万5125件と、日本より40万件以上も多い。南アでは、病院だけでなく、防護服に身を固めた医療チームが車で住宅地を訪問してPCR検査をする態勢が構築されているのである。
南アのこうした充実したPCR検査態勢も、番組では紹介されなかった事実だ。この事実に着目すれば、南アの感染者の多さは、政府による不十分な感染対策の結果ではなく、むしろ積極的な検査によって感染者を掘り起こした結果だという解釈もあり得るだろう。
つまり、番組が取り上げなかった事実の方に着目していくと、新型コロナを巡る南アの「現実」は、番組が伝えた「南アは感染拡大を抑えることができない状態で経済活動再開に踏み切らざるを得なかった」とは大きく異なるように見えるのだが、どうだろうか。
国際報道番組が常に外国の「現実」を的確に伝えているわけではないし、反対に、ある国に長年住んでいる人の実感が、常にその国の「現実」を的確にとらえているわけでもないだろう。どちらか片方が正しいこともあるし、両方が正しいこともあるし、両方とも間違っていることもあるに違いない。
しかし、今回のケースでは、国際報道番組で取り上げられなかった事実を探し出し、その意味を考えることの重要性を痛感させられた。
日本のメディア空間におけるアフリカ関連の報道量は、欧米やアジアに関する報道量に比べて極めて少ない。それは、番組制作者による取捨選択の過程でそぎ落とされた事実が膨大に存在することを意味する。伝えられなかった事実に着目しなければ、我々は、数少ないアフリカ関連報道番組の制作者が選択した「事実」に基づく「現実」の範囲内でしかアフリカを見ることができなくなってしまうのである。