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世界トップ選手はカタールに通う 中東の小国、スポーツ政策を売りに存在感 

Behind the News ニュースの深層
世界トップ選手が通う、カタールのアスペターの内部=遠田寛生撮影

2022年サッカーワールドカップ(W杯)の開催国カタールに、世界トップ選手が通う特殊な医療施設がある。スポーツ政策を前面に出す小国がつくった誰もがうらやむ場所とは。

秋田県よりやや小さい面積ながら、液化天然ガスの輸出で潤うカタール。首都ドーハではスタジアムや地下鉄、ホテルなどの建設ラッシュが続く。中東で初めて開催する2022年のW杯に向けた準備が進んでいるのだ。

政治的理由から、サウジアラビアなど周辺国との断交が約3年続くカタールにとって、スポーツは国の知名度を上げ、国際社会にアピールする切り札の一つだ。ガスや石油以外の産業の発展につながる期待もある。W杯はこれまで、欧州の主要リーグが休みとなる6~7月に開くのが慣例だったが、カタールの日中気温が40度以上となる真夏を避けるため、日程を異例の11~12月とし、スタジアムには冷房を完備して臨む。

カタールのスポーツ界にとって19年は充実の年だった。サッカーのアジアカップでは、男子代表が優勝経験4度の日本を破って初優勝。9~10月には陸上の世界選手権を開催し、大規模大会の実績を重ねた。そんな華々しい行事の陰で、カタールの新たな「顔」として着実に世界に浸透してきた施設がある。07年設立の専門整形外科とスポーツ医学の病院「アスペター」だ。

■「人体」使ったドクター研修

ここでは検診や手術からリハビリ、競技力向上まで1カ所でまかなえる。国際サッカー連盟(FIFA)が最高位のスポーツ医学病院と評価し、国際オリンピック委員会(IOC)は故障防止などのリサーチセンターに指定する。

昨年9月、取材の許可を得て現地を訪ねた。W杯の会場の一つハリファ国際スタジアムの近くで、建物面積は2万9745平方メートル。外観はシンプルで特別な感じはしない。

だが、ドアの向こうは別世界だった。こぎれいなロビーにはさまざまな人種の人がいた。70以上の国・地域から集まった約800人の専門家集団が働き、アキレス裂や股関節、軟骨組織やせき・ずいの問題など、アスリートの悩みに対応している。広報担当のライズ・フォディルは、「ここには世界トップクラスの設備と専門家がそろう」と誇らしげだ。

館内を案内してもらうと、次々と最新機材が出てきた。リハビリエリアでは、使う人の体重を約90%軽い状態にし、体にかかる負荷を減らしてトレーニングできる反重力トレッドミルが目に入った。水の浮力や水圧などを利用した水中運動が可能なプールもある。

別棟にはベッドが入った低酸素室が25部屋も備わっていた。標高500メートルから4500メートルの環境と同じ設定で高地トレーニングができ、けがからの回復目的でも使える。別の一角には「動作解析ラボ」があった。トレッドミルで歩く姿をもとに、足への負担を細部まで分析。故障の再発を防ぐため、個々に合ったリハビリ用シューズを10分ほどで作ることができる。

専門家の出身地はベルギー、ギリシャ、オーストラリア、マレーシアなどさまざま。「権威」と呼ばれる人も多い。男子のリハビリを担当するスロベニア出身の理学療法士マルティナ・ジェイコブ・エマジは、「世界中の専門知識や新しい情報が自然と集まる。結集した知見で患者を診ることで、医療技術はどんどん進化するし、私たち自身も勉強になっている」と熱く語った。

ドクターの卵が腕を磨くための、驚くべき研修も用意されている。ここでは肩やひざ、足首などの手術の練習に「人の体(遺体)」を使うことを、国が認めているのだ。

■多国籍・他競技の選手が交流

よそにはない設備と人材は世界の一流アスリートを引き寄せる。昨年9月までに検診目的で訪れた選手は累計1万8000人以上。来院した患者はそうそうたる顔ぶれだ。米プロバスケットボールNBAのジョエル・エンビード(セブンティシクサーズ)は骨折した足のリハビリにやって来た。陸上男子400メートルの世界記録を持つウェード・ファンニーケルク(南アフリカ)は帯(じんたい)断裂した右ひざのリハビリで利用。「世界トップのサービスを受けた」と絶賛する様子が同院の広報誌に掲載された。

検診に訪れる選手も多い。昨年3月にはサッカーのブラジル代表ネイマール、12月にはフランスの新星キリアン・エムバペ(ともにパリ・サンジェルマン)も姿を見せた。

続々とやってくる著名選手にも、レバノン出身のナース長ネリー・ハリルは驚かない。「最近は年間100カ国ほどから患者が来ている。サッカーの18年W杯ロシア大会で笛を吹いた審判も全員検診に来ましたよ」

施設内には食堂や入院患者用の部屋も完備。空港に到着さえすれば、送迎も任せられる安心感も好評の理由だろう。

広報のフォディルによると、「過去に日本から働きに来たスタッフもいた」という。17年には日本サッカー協会会長の田嶋幸三も視察した。取材した私も、一人でも多くの医療関係者に来院して欲しいと思った。治療や故障防止、リハビリなど、国によって違うアプローチは日本選手の競技人生に役立つと確信するからだ。

選手にも来訪を勧めたい。同じ空間でリハビリをするだけで、普段は会えない人と話すチャンスがある。プロサッカー選手と五輪代表がリハビリエリアで話し込んで親交を深める。体の使い方やケアの方法を教え合う。国や競技の垣根を越えた交流が頻繁にあるという。

19年の陸上世界選手権の組織委員会副会長だったダーラン・アル・ハマドは言う。「アスペターは我々の誇り。海外の関係者にぜひ足を運んで取り組みを知って欲しい」。日本のスポーツ界発展のため、まずは現場を感じてほしい。門戸は開かれている。(ヨーロッパ総局 遠田寛生)