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プレゼンを400秒のエンタメに 世界がはまる「ペチャクチャ」を生んだ著名建築家

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
二人三脚でペチャクチャナイトを育てたマーク・ダイサム(左)とアストリッド・クライン

マーク・ダイサム 建築家、PechaKucha Night(ペチャクチャナイト)共同創始者 大勢の前で発表するなんて難しそう……。そんな人はプレゼンイベント「PechaKucha Night」(ペチャクチャナイト)をのぞいてみるといい。考案者のマーク・ダイサム(56)が「5歳の子どもや僕の母も発表した。リラックスして自分を表現すればいいよ」と背中を押してくれるはずだ。
ペチャクチャは2003年に東京で誕生し、世界140カ国・地域の1200都市以上に広がった。その秘密は、わずか20枚のスライドで表現する独自ルール。ステージ上の持ち時間は1枚につき20秒。6分40秒で話を終える必要がある。慣れない人でも話を絞って伝えやすく、聞く側も集中しやすい長さだ。長野で主催する会社員の豊嶋仁(54)は「20枚×20秒の形式が、プレゼンをエンタメにした。素人でも有名人でも同じ400秒。そのスピード感が面白い」とぞっこんだ。(文・渡辺志帆、写真・北村玲奈、文中敬称略)

始まりは、ダイサムとビジネスパートナーのアストリッド・クライン(58)のちょっとした思いつきだった。建築家として注目を集め始めたころ。仲間と西麻布にイベントスペースをつくった。業界の垣根を越えて、人脈を築く狙いもあった。だが、肝心のイベントが足りず、赤字続き。そこで思いついたのが若手クリエーターのプレゼン。20×20のルールは話を長くしないためだ。「ペチャクチャ」には、おしゃべりを楽しんでほしいとの思いを込めた。

狙いはあたり、すぐに定期開催に。外国人デザイナーらに好評で、外国でも開かれるようになった。ノウハウやロゴを無償で提供して後押しした。ダイサムには忘れられない写真がある。アフリカのウガンダでのイベントの様子。ベッドシーツをスクリーン代わりに使っていた。「地球の裏側の、電気が十分でないような場所でもアイデアを伝える手段に活用されている」と感激した。

「20」が重なった2020年2月20日、世界100カ所以上で一斉に開催する初の「インターナショナル・ペチャクチャデー」を開いた。虎ノ門の会場はまるでパーティー。DJがレコードを回し、ダイサムが踊って登場した。ビールを飲みながらプレゼンを聞き、終わった後はおしゃべりの輪があちこちにできた。ダイサムは言う。「ペチャクチャの精神は人を結びつけること。それは建築家の仕事そのものでもあるんだ」

2020年2月20日のペチャクチャナイトで「20」の指サインをつくるマーク・ダイサム(中央左)

■「クレージー」な日本の建築にひかれて

3代続く鉄道車両の技術者の家に生まれ、小さいころから絵画や模型づくりが得意だった。「自分の手で建物をつくりたい」。そう思ったのは8歳の頃。英中部の故郷の近くに巨大なニュータウン「ミルトンキーンズ」が造成されていた。近代的な街並みに未来を感じた。10代半ばには、夏休みになると、ニュータウンの開発会社でインターンを続けた。

チャーチル元首相の生家で知られる英オックスフォード近郊のブレナム宮殿で

大きな転機は、英王立芸術大学(RCA)での出会い。世界中から集まった若い才能の中にイタリア出身のクラインがいた。互いの才能を認め合い、意気投合した。日々、工業デザインや映画など異なる専攻の学生らとも議論した。新たなアイデアが次々にわいてきた。恩師は、長々と言葉で説明するのでなく、模型や図面を見た相手が、ぱっと理解できるのがいいプレゼンだと教えた。この経験が後に、建築にもペチャクチャにも生きた。

ある日、図書館で日本の建築雑誌を見た。当時の日本はバブルの真っただ中。神殿やロボットのような奇抜なビルが建っていた。「クレージーだ」と心が躍った。大学院修了後、すぐにクラインとともに来日。古い家屋と近代建築が交じる風景に魅了され、伝統と調和にしばられた英国の建築より輝いて見えた。3カ月程度の滞在のつもりだったが、もっと長く住みたいと思った。相談したのが日本を代表する建築家、伊東豊雄(79)。「持参した設計がとてもきれいで、強く印象に残った。日本で働きたいならと、知人に頼まれた美容室の仕事をしてもらった」と振り返る。

3年後、大きなプロジェクトの依頼を受けたのを契機に2人で独立し、「クライン ダイサム アーキテクツ」(KDa)を設立。直後にバブルがはじけたが、欧米に比べて日本の建築業界は新しいことに寛容で、若手にもチャンスがあると考えて残った。日本語は片言だったが、図形や模型に簡単な言葉を添え、素材やデザインにこだわった新しいアイデアをアピールしていった。

こうして生まれた作品は斬新で、しかも人々の生活に溶け込む。工事現場を覆う「仮囲い」は危険や騒音などを隠すのが目的で、一般的にはつまらないイメージがある。だが、光沢のある素材を使ったり、本物の植物を全面に植え込んだりして街に新しい景観を生み出すものに変えた。蔦屋書店が入る複合商業施設「代官山T-SITE」は、小さい「T」を組み合わせ、壁全体に大きな「T」を描いた遊び心のある外観。古材フローリングを使うなど居心地のよさにもこだわった。一緒に20年以上働く久山幸成(46)は「誰もやっていないことを『やってみたい』と考える人。だから面白いことを提案するのがうまい」と心酔する。

大英帝国勲章を受章した後、バッキンガム宮殿で母アンジェラ(左)と妹アナベルと

設計した建物は国内外で数々の賞を獲得し、KDaは日本を代表する建築事務所になった。「建築にとって大切なのは、そこに何があり、何が行われるか。ペチャクチャができるかなと考えながら、設計するのも楽しい」

■知恵を持ち寄り、世界的危機の解決策を

最近は建築業界の国際会議に参加すると、ペチャクチャの考案者として注目されることが増えた。企業などが会議でペチャクチャ形式を有償で使うことも少なくない。ケンブリッジ英英辞典に掲載されるなど、ペチャクチャは世界の共通語になりつつある。ハイチ地震や東日本大震災などの後には、世界各地でイベントを開き、義援金を届けた。ダイサム自身も社会貢献の意識が高く、伊東が呼びかけた東北の被災地にコミュニティー再生の拠点をつくる「HOME-FOR-ALL」(みんなの家)に参加。東京マラソンを走って支援金約650万円を集めた。世界的建築家の妹島(せじま)和世(63)は「設計した建物のようにマークたちはオープンで温かく、人を引きつける力がある」と魅力を語る。

ペチャクチャナイトで司会を務めるマーク・ダイサム

新型コロナウイルスの影響で、ペチャクチャも開催が難しくなった。それでもダイサムは前向きだ。一堂に会するスタイルにこだわってきたが、今年に入りペチャクチャ形式のプレゼンをオンラインで公開できるサービスを始めた。4月からは世界各地をネットで結ぶ「インスパイア・ザ・ワールド」を開催。中国・武漢からは、帰省して足止めされた日々を女性が証言し、米ソフト会社の元社長は医療従事者向けフェースシールド作りを語った。

「ペチャクチャナイトの目的は変わり続けている」とダイサムは言う。最初はイベントスペース存続。次にアイデアを発表する場のなかった人々に機会を与えた。そして世界の往来が止まったいま、離れた人々が知恵を持ち寄り、問題解決の道をさぐる場になろうとしている。「創造力の刺激を受け、『自分も』と行動する人が増えれば、世界はもっとよくなるはずだ」

  • 1964 英国ノーサンプトンシャーに生まれる
  • 1985 英ニューカッスル大学卒業
  • 1986 英王立芸術大学(RCA)に進学。アストリッド・クラインと出会う
  • 1988 RCAを首席修了後に来日。伊東豊雄建築設計事務所にクラインと入る
  • 1991 建築設計事務所「クライン ダイサム アーキテクツ」(KDa)設立
  • 1998 東京・麻布十番にシェアオフィス「デラックス」を開設
  • 2000 日本での建築家としての活躍を評価されて大英帝国勲章(MBE)を受章
  • 2002 東京・西麻布にイベントスペース「スーパーデラックス」を開設
  • 2003 初の「ペチャクチャナイト」を開催
  • 2005 外国で「ペチャクチャナイト」が本格的に広がり始める
  • 2009 世界経済フォーラム(ダボス会議)の一部セッションでペチャクチャ形式が採用される
  • 2012 設計した「代官山T-SITE」が、国際的なデザイン賞でグランプリを受賞
  • 2014 東日本大震災の被災地を支援するNPO法人「HOME-FOR-ALL」(みんなの家)理事に就任
  • 2016 東京・銀座に設計を手がけた複合商業施設「GINZA PLACE」がオープン
  • 2017 ペチャクチャナイトが世界1000都市以上に拡大

■なぜペチャクチャ?…「ぺちゃくちゃ」のような擬音語・擬態語は、「オノマトペ」ともいう。「直感的で分かりやすい」とダイサムのお気に入り。なかでも「ピカピカ」「ぐんぐん」「キラキラ」「もくもく」など繰り返して使う言葉は響きが柔らかで、建築プロジェクトの名称にもよく使われる。外国では「ペククチャ」などと正しく読んでもらえないことも多いが、「発音しづらい点もチャームポイント」と前向きに考えている。ペチャクチャナイトの公式HP

日本で発売されたキットカットの箱のコレクションの一部(本人提供)

■キットカット…英国発祥のチョコレート菓子「キットカット」の新しいフレーバー(味)が発売されると、必ず買って箱を収集。これまでに150種類にものぼる。「英国では、変化といってもダークチョコ味くらい」だといい、同じ商品でも変化し続けていることにひかれるという。「新しいものへの理解や貪欲(どんよく)さが日本のとても面白い部分。今も私がこの国にとどまる理由かもしれないね」