ロシア経済界に君臨するガリバー
先日の「ロシアは少なくともあと2年は財政破綻しない」の回でも解説したとおり、これまでは健全で慎重な財政・金融政策を続けてきたロシア当局も、コロナ危機に直面し、財政拡大や金融緩和に踏み出そうとしています。そうした中で改めて役割がクローズアップされるのが、ロシア最大の商業銀行であるズベルバンクです。
ズベルバンクは、もともとは帝政ロシア時代の1841年に設立されたものでしたが、社会主義のソ連時代に「貯蓄信用金庫(ズベルカッサ)」として国民に身近なものとなり、それが市場経済導入に伴いズベルバンクという商業銀行に改組されたものです。こうした背景から、現在でもロシアの銀行界では圧倒的なシェアを誇ります。郵便貯金をルーツとする日本のゆうちょ銀行に近い存在と言えそうです。
実は、ズベルバンクでは最近、筆頭株主がロシア中央銀行からロシア政府へと変わるという動きがありました。そこで今回は、この組織変更の話題も含め、ズベルバンクについて語ってみたいと思います。
地理的範囲も事業分野も広い
だいぶ古い話になりますが、2006年にズベルバンクを訪問して聞き取り調査をした時に、面白い話を聞きました。同銀行が、「時差」の問題に悩んでいるというのです。ロシアの国土が広大であるゆえに、国内にあるズベルバンクの支店網も11の時間帯に分かれており、すべての店が開いている状態は1日に1時間しかないから、その1時間に支店間の振替その他のやり取りを集中的にやらなければならないというのです。
他方、ズベルバンクのすべての店が閉まっている状態も、1日に1時間しかない由でした。ロシア領の西端にあるカリーニングラードのズベルバンクが閉店した1時間後には、もう極東のズベルバンクが開くというわけです。「これでは、黄金時代のイギリスやスペインよろしく、さながら太陽の沈まない帝国ではないか!」と驚かされたものです。
もちろん、今ではあらゆる処理が自動化・デジタル化されていて、「全店舗が開いている1時間に支店間の振替その他のやり取りを集中的にやらなければならない」などという事情はなくなっているのかもしれません。いずれにしても、ロシア国内に14,200もの拠点を有するスケールの大きさは、今もそのままです。また、カザフスタンやベラルーシに子会社銀行を持っているなど、世界17ヵ国で事業を展開しています。
ズベルバンクは、事業分野も幅広く、ロシアにおいては単なる一銀行以上の存在です。たとえば、最近聞いて驚いたものに、ズベルバンクが新型コロナウイルスのワクチンの開発・生産に乗り出すというニュースがありました。もちろん、銀行本体ではなく、子会社を設立して同事業を手掛けるとのことですが、それにしても銀行がワクチン開発とは、なかなか斬新です。
そして、近年しばしば話題を集めるのが、ズベルバンクによるIT、フィンテック関連事業です。同行のグレフ社長は2017年、「ズベルバンクはロシア最大のIT企業であり、我が行では4.5万人もの専門家がデジタルビジネスに従事している」と発言しました。一説によると、ロシア最強のスーパーコンピュータも、ズベルバンクが保有しているということです。実は、以下で述べる同行の株主の変更も、ロシアにおけるフィンテックをめぐる主導権争いに関係しているようなのです。
株主が中央銀行から政府へ
ズベルバンクは商業銀行とはいえ、国有であり、これまでは株式の過半数(50%+1株)をロシア中央銀行が保有していました。しかし、その株をロシア中央銀行からロシア政府に移すという議論がしばらく前に持ち上がり、この4月にその手続きが正式に行われました。当該の50%+1株を、2兆1,400億ルーブルで、ロシア政府が買い取ったものです。ロシア政府はその資金を、「国民福祉基金」から捻出しました。これも前々回のコラムで解説したとおり、国民福祉基金は石油価格が一定額を超えて発生した石油・ガス収集を積み立てておくリザーブです。
政府が中央銀行から国有銀行を買い取るというのは、ちょっと分かりにくい話です。この取引に関して、最も多くなされるのは、次のような説明です。すなわち、中央銀行は、ロシアの銀行業を監督する任務を負っている。銀行を監督する中央銀行が、最大の商業銀行を保有している状態は、利益相反であり、これを正す必要があった、という点です。
もう一つ、次のようなポイントもあります。中央銀行は、今回の売却で得た資金を、一部のみ2017~2018年に発生した損失の補填にあてた上で、残りの大部分を国庫に納入することになっています。実は、ロシア政府は自らが設定した「財政ルール」によって、国民福祉基金の資金を自由には使えないことになっています。そこで今回、まず国民福祉基金の資金で中銀の保有するズベルバンク株を買い上げ(その使途ならばOK)、その資金を中銀が国庫に還流させることによって、政府が使えるお金に変えた、というわけです。
今年初めのコラム「プーチンを動かした『朕は国家なり』という信念 ロシア1月政変を読み解く」で解説したとおり、本年1月15日の教書演説で、プーチン大統領はロシアが解決すべき様々な社会的課題を指摘し、「ナショナルプロジェクト」を通じてそれに取り組んでいく決意を示しました。それには、向こう3年ほどで約2兆ルーブルの追加財源が必要とされ、今般の取引で中銀から納入される資金はそれにあてられると見られています。
さて、上記2つのポイントは今回の取引に関する素直な解釈ですが、それとは別に、非公式ながら公然と語られている、もう一つの意味合いがあります。それが、フィンテックをめぐる中央銀行とズベルバンクの主導権争いです。
ロシア中央銀行は、「クイック支払システム」と称する集権的な決済システムの構築を進め、2019年にこれをローンチしました。しかし、自前のテクノロジーに自信のあるズベルバンクは、独自の資金移転システムを構築し、中銀のクイック支払システムへの参加を拒否していたのです。一方、中銀に言わせれば、ズベルバンクは全国的な支店網の維持といった社会的責務を果たすことこそが肝要であり、それを疎かにしてフィンテックにばかりのめり込むのは何事だ!?という話になります。このあたりについては、塩原俊彦さんが大変にお詳しく、ご興味のある方は末尾に記した参考文献をご参照ください。
過半数の株を握る中銀の意向がズベルバンクの経営方針に反映されなかったのは不思議ですが、ナビウリナ中銀総裁とグレブ・ズベルバンク社長の関係も相当険悪化していたようです。ズベルバンクの経営陣にとっては、大した技術も持っていないのに、箸の上げ下げまで指図しようとする中銀の傘下に置かれていることが、我慢ならなかったのでしょう。今回の株式移転によって、中央銀行とズベルバンクは、縁が切れました。それでスッキリしたのか、ズベルバンクは5月になってようやく、中銀の取り仕切るクイック支払システムに加入しています。
暴徒の焼き討ちには勝てない
このように、ロシア全土をカバーし、事業範囲も広く、中央銀行にまで物申すズベルバンク。そんなロシア銀行界のガリバーでも、なす術がなかったのが、ウクライナ情勢でした。
ズベルバンクは、ウクライナにも子会社銀行を設立し、2013年の時点ではウクライナで第10位の銀行になっていました。しかし、2014年2月にウクライナで政変が起き、その後ロシアによるクリミア併合や、ロシアの後ろ盾を得た勢力によるドンバス分離主義運動が発生。ズベルバンクはロシア経済の代名詞のような存在なので、いくつかの店舗がウクライナの暴徒による焼き討ちに遭いました。
そうした中、ウクライナの金融当局も、ロシア系銀行への圧迫を強化します。それに耐えかね、ズベルバンクも2017年に、ウクライナ子会社を投資家集団に売却することを余儀なくされました。ウクライナには今でも「ズベルバンク」という銀行がありますが、それはブランド名だけで、もうロシアのズベルバンクとは資本関係はありません。かくして、ロシア銀行界の巨人、ほぼ太陽の沈まない帝国ズベルバンクも、ことウクライナに限っては落日を迎えたのでした。
(参考文献:塩原俊彦「ロシアにおけるフィンテックの動向 ―ズベルバンクを中心にして」『ロシアNIS調査月報』2019年11月号)