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強制を嫌う社会、人々はコロナにどう向き合ったか イギリス在住日本人の観察

World Now
ロンドン郊外キューの街路樹に貼られたNHS(無料で医療を提供する国民保健サービス)に従事する医療関係者への感謝のメッセージ。今回NHSに対する感謝のシンボルとなっているレインボーも木に掲げられている=5月19日

園部哲さん(本人提供)

ロックダウン4週目の4月半ば、ロンドン大学付属病院へ行く用があったので、空っぽの地下鉄で街へ出た。同病院は新型コロナウイルスと闘う最前線。息詰まる治療室のドキュメントを見たばかりだった。死者は100人を超えている。感染リスクがあるから家族にみとられることなく亡くなった患者は、地下1階の安置所に運ばれる。その同じ地下の一室で、僕は90分の点滴治療を受けた。頭上のどこかで生死の闘いが展開され、ついえた人たちが同じフロアの霊安室にいる。腕にチューブをさされたまま色々なことを考えてしまう。昨年のクリスマスにはトナカイの角をつけて注射をしてくれた陽気な看護師さんたちも、両目以外を覆ってものものしい。英国のEU離脱のせいで看護師不足になり、彼女たちもいつ「上階」に動員されるかわからないと言う。

ロックダウン中のロンドン。地下鉄ディストリクト線の車両=4月16日

治療を終えて外に出ればコバルトブルーの空がつやつやと輝き、病院の建物の白がまぶしい。が、人の往来はない。建物群がひとけのない通りにくっきり影を落とす風景がキリコの絵のように見える。ほぼ無人のロンドンが珍しくて、街中を歩きまわってしまった。ほぼ、であって多少はいる。時折すれ違う人、清掃人、バスの運転手、その多くはBAME(Black,Asian and Minority Ethnic―黒人、アジア人、少数民族―の頭字語でベイムと発音する)か宿無しだ。危険を承知で仕事に出てこざるを得ない人々、ステイホームとは何ぞやと言うホームレスたち。今回の危機で社会の矛盾が浮かびあがったと言われるが、快晴のその日、僕はやたらと見通しのよい社会図のなかを歩いた。

数時間の散歩に疲れ、ひとけのないアールズコート駅でベンチにすわる。高いガラス天井が特徴の駅舎で、構内アナウンスがよく響く。その天井から透きとおった少女の声が降ってきた。

「おねがいです。家にいてください……あなたが外出しないことで、誰かの命を救うことができるのです」

いつもは男声アナウンスだから、どきりとする。4メートル先の婦人もほほえんでいる。数年前、事故が多発する駅で、注意喚起の声を少女の声に変えたら事故が3割以上減ったという実例がある。なぜか?

大人は子どもの声だと耳を澄ます。子どもは自分たちより本当のこと、大切なことを言う、と大人たちは本能的に知っているかららしい。

ロックダウン中のロンドン。ピカデリーサーカス、エロスの塔=4月16日

どこの社会だって強制を嫌う。英国ではそれが顕著だ。だが自発的な社会貢献になると認知すれば積極的に動く。英国人もマスクには抵抗があった。その抵抗感は東洋人にはわかりにくい。政府が手洗いとマスク装着の励行を呼びかけたとき、「うつらないように」ではなく「うつさないように」と強調した、ささいな相違だが僕はその点にはっとした。その後、意外にもマスク使用が増えた理由として「マスクをすることで大事な運動に参加しているという連帯感が持てた」と、ジャーナリストが分析していた。受動ではなく能動を好む社会らしいではないか――「誰かの命を救うことができる」。

ロンドン郊外チズィックのパプの窓に、NHSに従事する医療関係者への子どもたちからの感謝メッセージが貼られていた=5月19日

だが、社会の善意も人知も届かない場合がある。近所に住む16歳の少女が、ロックダウン5週目にみずから命を絶ってしまった。高校生だった彼女はもともと複雑な悩みを抱えていたが、終わりの見えぬ全面休校がなぜか引き金になった。北の方の町では、12歳のときに臓器移植同意書にサインをし、病人を救うことが夢だった19歳の娘もパンデミックに絶望して死を選んだ。休校が300年に感じられると言って永遠に旅立ってしまった17歳もいる。

この原稿を書いている最中に市役所から電話が来た。「ミスター・ソノベ、これから3カ月間は出歩かないように」。誰かに通報されたか、とふるえる。ロンドンを不要不急の用で歩き回っていた日本人が……というのはあらぬ妄想、実は親切なメッセージだった。僕の点滴治療は自己免疫疾患ゆえだが、コロナ禍渦中ではハイリスク市民に分類されるという。ついては「食料品など生活必需品の買い物の優先権を与えますので、好みのスーパーマーケットを2店指定してください」。配達もしてくれる。そんなことは期待もしていなかったけれど、弱者に対する配慮をする社会にいるという実感は、ぴりぴりしたムードのなかにあって心にしみる。

ロックダウン中のロンドン。チャイナタウンのメインストリート=4月16日

5月に入ってロックダウンの段階的解除が検討され始めた。焦点は公共の福祉と人権をめぐる議論。制約や解除の諸条件も理屈がクリア(明快)でフェア(公正)ならば私たちは協力する、と多くの市民は言う。強制を嫌う英国社会でも、こうした前提が備われば彼らは「強制」とは感じない。日本人が口にしがちな文句、「しようがない」に頻度において対応する英国人のそれは「フェアじゃない(It’s not fair)」、だと思う。今回可視化された社会の矛盾も彼らが叫んだ“It’s not fair!”が無視されてきた結果だ。その世界的な矛盾や無理が、この世界同時多発危機を契機に見直されるなら救いもある。

だがそれは先の話。英国における目下の問題は医療従事者の保護だ。患者からのウイルス感染で200人超が亡くなっている。政府のミスで防護服の調達と超過勤務の緩和が追いつかない。遺書を書いておこうとする医者や看護師すらいる。毎週木曜恒例となった夜8時の市民から彼ら彼女らに向けられた拍手には、ごくろうさまの域を超えたずっしりとした思いがこもっている。

そのべ・さとし 翻訳者。総合商社勤務時からのロンドン在住は通算28年。2016年、英国の国民投票で欧州連合(EU)離脱が決まったことを受け、朝日新聞日曜別刷り「GLOBE」184号に「どうして、こんなことに? EU離脱を選んだ英国」を寄稿。フィリップ・サンズ著『ニュルンベルク合流』、リチャード・リーヴス著『アメリカの汚名』、アリエル・バーガー著「エリ・ヴィーゼルの教室から:世界と本と自分の読み方を学ぶ」(いずれも白水社)など翻訳書多数。5月、フランク・ラングフィット著「上海フリータクシー:野望と幻想を乗せて走る『新中国』の旅」(白水社)が出版。インスタグラム:satoshi_sonobe