■映像は宣伝活動の手段
朝鮮通央通信は2日、金正恩氏が平安南道の順川リン酸肥料工場の竣工式に参加したと伝えた。正恩氏の公開活動は4月11日以来、20日ぶり。朝鮮中央テレビが伝えた映像を見た日本政府関係者は「正恩氏は足取りもしっかりしていた。映像を見る限り、健康不安はうかがえない」と語る。
「金正恩氏の健康不安はフェイクだった」という報道もあったが、北朝鮮の国営メディアが伝える映像や写真は宣伝扇動活動の手段だという事実を忘れてはいけない。
北朝鮮は過去、最高指導者が登場する映像などは国家保衛省(秘密警察)が中心になり、徹底的な検閲を行ってきた。
指導者がどこにいるのかを把握されないよう、背後の山の稜線を映像から外させたこともある。金日成主席の後頭部には大きなこぶがあった。どの角度からみてもわかるほど、大きなこぶだったが、最高指導者の健康不安などを打ち消すため、映像や写真にこぶが写り込むことはまれだった。
平壌と連絡を取る脱北者らによれば、当時、金正恩氏の健康不安を伝える報道が北朝鮮内にも流入していた。5月1日の映像は、最高指導者の健康不安を打ち消すために作られた可能性が高い。
■映り込んだ日付表記の不自然さ
ただ、それでも、正恩氏が1日に行った公開活動の映像には、不自然な点がいくつもあった。
まず、正恩氏が座るひな壇の後方に、「順川リン酸肥料工場竣工式2020年5月1日」という標示板が掲げられていた。北朝鮮では保安を考え、最高指導者の公開活動の日付を明らかにしないのがほとんどだ。しかも、主体109年(2020年)というように表示する。
また、上方から正恩氏らがいたひな壇や式典参加者らを一緒に俯瞰する写真もあった。北朝鮮では通常、最高指導者の保安のため、狙撃される可能性がある上方からの撮影が許可されることはめったにない。表示板と同様、「金正恩氏が5月1日に順川にいた」ということを国内外に強調したい意図が透けて見える。
5月1日はメーデー。北朝鮮でも「労働節」と呼ばれる公休日だ。メーデーでは「労働者の休みを奪っては申し訳ない」という論理から、最高指導者が出席する行事はほとんど行われてこなかった。また、「愛民政治」を掲げる正恩氏は過去、軍事パレードなど出席者が起立する場面では、自らも起立してきた。今回は、最初からひな壇に着席していた。
さらに、北朝鮮では最高指導者が出席して行う工場などの記念行事は、2・8連合ビナロン企業所のように、物資生産が始まったタイミングで行われてきた。最高指導者の権威にかかわるからだ。こうした点をみた場合、北朝鮮当局は、金正恩氏の健康不安説を早く打ち消したかったが、5月1日まではできなかった事情があると疑わざるを得ない。
実際、金日成主席の生誕記念日にあたる4月15日、正恩氏は、金主席の遺体が安置された錦繡山太陽宮殿を参拝しなかった。「白頭山血統」と呼ばれる最高指導者の血筋を権力を正当化する唯一の根拠としている正恩氏にとって極めて異例の出来事だ。
韓国軍合同参謀本部は4月14日朝、北朝鮮が日本海側で巡航ミサイルを発射したと明らかにしている。日米韓は当時、北朝鮮が午前7時から11時ごろまで、巡航ミサイルや空対地ミサイルを使った演習を行った事実を把握している。金正恩氏の視察を前提とした演習とみられているが、北朝鮮は現在まで演習の事実を発表していない。
■日米訓練への反応、異例の遅れ
また、4月22日には日本周辺で米軍の戦略爆撃機B1Bと航空自衛隊による合同訓練が行われたが、朝鮮中央通信が非難の論評を発表したのは5月5日だった。北朝鮮は17年3月、在韓米軍と韓国軍は飛来の事実を発表する前に、「B1Bが韓国上空で核爆弾投下訓練を行った」と報じるなど、B1Bの動向には過剰な反応を示してきた。
韓国政府によれば、金正恩氏の4月の公開活動は3回。権力を継承した12年以降、4月の公開活動は6~28回で、前年の19年も13回に及んだ。新型コロナウイルスの感染問題の影響もあるだろうが、活動が鈍っているのは事実だ。B1Bへの論評が遅れた事例は、公開活動どころか、正恩氏が側近に具体的な指示を下せなかった可能性も示唆している。
一方、金正恩氏の健康状態を推測する状況証拠はあるものの、直接判断できる情報は得られていない。
日本政府関係者の1人は「正恩氏の尿酸値が高く、家系に心疾患の傾向があるのは事実だ。断定はできないが、脳や心臓に障害が起きた可能性はある」と語る。今後、金正恩氏の健康状態を探ろうとする各国の情報収集活動はますます活発になるだろう。
■実妹・金与正氏は「後継者」なのか
5月1日の式典には、正恩氏の実妹、金与正氏も出席した。工場の性格上、式典に出席するのは通常、首相や党軽工業担当副委員長、平安南道党委員長らだ。党の宣伝扇動部か組織指導部を担当しているとみられる与正氏が出席するのは不自然だろう。
金正日総書記が08年夏に脳卒中で倒れた後、現地指導などの公務に実妹の金敬姫氏が同行するようになった。韓国政府は当時、金総書記が再び倒れた際の処置のためだと分析していた。
当時の韓国政府当局者は「金与正氏も同じ役割を与えられているのだろう。最高機密である金正恩氏の健康状態を知る者がそばにいる必要がある」と語る。
金与正氏は4月の最高人民会議で党政治局員候補になった。ただ、正恩氏の後継者として指名されたとは言えないだろう。1日の式典でのテープカットの際、与正氏は金正恩氏にハサミを差し出したからだ。
後継者に指名された場合、カリスマを作る必要が生まれる。かつて金正日総書記に同行した正恩氏は、他の随行員とは区別された扱いを受けたが、与正氏は随行員の1人としての扱いになっている。
金正恩氏は公務に復帰した。ただ、父親の金総書記が脳卒中後に20キロほど減量したのとは異なり、現時点で節制している様子はうかがえない。