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新型コロナウイルスの大流行に、お蔵入りしたあるCMを思い出す

アフリカの地図を片手に 更新日: 公開日:
エチオピア・アディスアベバ近郊の国際空港でマスクをする旅行者ら=2020年3月11日、石原孝撮影

■アメリカのサッカー場に地雷があったら……

もちろん、映像はフィクションである。米国内のサッカー場に地雷が埋まっているはずがなく、爆死する少女、娘を抱える父親、半狂乱で泣き叫ぶ母親の全てが演技だ。

しかし、フィクションとはいえ、あまりに衝撃的な映像であったため、放映を引き受けるテレビ局がなかなか見つからず、最終的には放映されなかった。そして、放映されなかった事実そのものがニュースとなってメディアで取り上げられ、放映の是非を巡る議論が起きたのである。CMは現在、インターネット上で「UN Landmine Removal Commercial」などのタイトルで投稿されている。

■アンゴラという国

当時、私は毎日新聞社の海外特派員として南アフリカのヨハネスブルクに駐在していた。アフリカ各地で地雷対策に取り組む国際NGOの人々などの間でも、このCMが話題になったことを覚えている。

私はヨハネスブルクからサハラ以南のアフリカの国々に出張取材を繰り返しており、その一つが1975年にポルトガルから独立したアンゴラだった。

アンゴラの首都ルアンダ中心部。高層ビルの合間に、トタン屋根の家が並んでいた=2019年6月7日、石原孝撮影

アンゴラでは1961年から14年間、宗主国ポルトガルと解放勢力との間で独立戦争が続いた。解放勢力の勝利で独立は実現したが、今度は新政権と反政府勢力の間の内戦が始まった。東西冷戦時代であったことから政権側にソ連とキューバ、反政府側に米国と南アフリカ白人政権がそれぞれ加担。凄惨な戦いは、冷戦後の2002年まで続いた。

私の取材は内戦終結直後の時期だったが、そのころのアンゴラが直面していた大きな問題は、1961年から2002年まで実に40年以上も続いた戦争下で埋設された対人地雷の被害であった。アンゴラでは、独立戦争から独立後の内戦に至る長い期間を通じて、戦争に参加した様々なアクターが膨大な数の地雷を埋設した。ポルトガル軍、南アフリカ軍、キューバ軍、独立後のアンゴラ解放人民運動(MPLA)政権、反政府勢力だったアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)と様々なアクターが農地、草原、道路、橋のたもとなど至る所に地雷を埋めた。その結果、一体全土に何個の地雷が、それもどこに埋められているか分からない状態になったのである。

UNITAに破壊された橋を補修する住民たち。地雷や道路の損壊が、食料援助の大きな足かせになっていた=2002年8月、アンゴラ・ウアンボ州、小林裕幸撮影

アンゴラの残存地雷数は数百万とも1000万を超えているとも言われ、地雷問題に取り組む国際組織Landmine and Cluster Munition Monitor の統計では、内戦終結から15年経った2017年時点でも、年間43人が残存地雷を踏み、このうち25人が死亡している。在アンゴラ日本大使館によれば、2018年4月時点でアンゴラ全土で1416カ所、約158平方キロメートル(東京ドーム約3390個分)の土地に地雷や不発弾などの爆発性危険物が残っていると推計されている。

2002年の内戦終結以降、アンゴラでは国際NGOなどが中心となり、地雷除去や子供が被害に遭わないための地雷回避教育などを実施してきた。日本のNGOでは「難民を助ける会(AAR Japan)」が地雷回避教育に取り組んできた歴史があり、私もアンゴラの活動現場で取材したことがある。地雷で足を失った人や子供を亡くした人に話を聞き、地雷除去の現場も見た。

地雷除去には、探知する機器はもちろん、特別な訓練を受けた専門家も多数必要とする。だが、経済成長に直結するような活動ではないため、ドナー国(援助資金の供給側)の関心を集めにくく、国連や国際NGOは常に活動資金の確保に頭を悩ませてきた。そこで地雷除去への支援をドナー国の市民に訴えるために制作されたのが、冒頭のCMであった。

■痛みを我が物にできるか

アンゴラの首都ルアンダ近郊にある屋外施設「チャイナシティー」=2019年6月6日、石原孝撮影

「先進国アメリカ」で、「白人」の少女がサッカーを楽しんでいる最中に地雷を踏んで犠牲になる。それが「フィクション」であっても、衝撃的過ぎるので見たくないという人が少なからずいる。だが、「途上国アンゴラ」では、「アフリカ人」の少女が日常生活で地雷を踏んで犠牲になっている。そして、それは「実話」なのだ。自宅近くでサッカーをしていた我が子が、両親の目の前で地雷を踏んで爆死するとはどういうことなのか。我が身に置き換えて考え、お願いだから支援の手を差し伸べて欲しい──。CMにはそんな悲痛なメッセージが込められていた。

あれから15年。私が長く仕事で関わってきたアフリカには、残存地雷や感染症など庶民の命を脅かす様々なリスクが今なお数多く存在する。しかし、アフリカ各国政府の対応能力は十分ではない。先進諸国の支援を必要とするケースが多いにもかかわらず、米国は内向き志向を強め、欧州は内部分裂で疲弊し、日本は少子高齢化で長期低落傾向にある。その結果、地雷除去や感染症対策など経済的見返りが短期には期待できない活動へのドナー国の関心は、ますます低下しつつあるようにも見える。

アンゴラ・バイルンドで、水をくむ女の子。27年続いたアンゴラ内戦は2002年4月に終結した=2002年8月、小林裕幸撮影

そうした中で今回、世界が新型コロナウイルスの脅威に等しく直面し、世界経済の中心である米国が最大の感染者を擁する事態となった。欧州も危機的状況にあり、日本でも緊急事態宣言が発出されている。

私はあの地雷のCMを巡る一連の出来事を思い出す。「我が身に置き換えて考えて、お願いだから助けて欲しい」というアンゴラの庶民の声を代弁したCMは、15年前には先進国の視聴者には届かなかった。

だが、感染症の爆発的拡大など遠いアフリカのジャングルで起きる出来事だと思っていた私たちは今、アフリカの人々の日常的な痛みを、我が身に置き換えざるを得ない状況に初めて直面している。まずは足下の感染を終息させ、次に経済の再生に取り組まなければならないが、この経験を「痛みの共有」への契機とすることも忘れたくないと思う。