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王室、アスリート……メンバー多彩なIOC委員

World Now
西畑志朗撮影

「五輪貴族」とも評される委員の顔ぶれは多彩だ。オランダ国王をはじめ、王室・王族関係者は10人以上いるし、政治家、弁護士もいる。近年はメダリストも増えている。自分たちで仲間を選ぶという特権的で閉鎖的な色彩を持つのが特徴だ。

創設者のクーベルタンがフランスの貴族出身だったことや、活動費は自腹だったこともあり、当初のメンバーは裕福な人々に限られた。草創期は、辞めていく委員が後継者を指名する習慣があり、一種の「世襲制度」もあった。

伝統的に王室関係者も多かった。6代目会長で、アイルランド出身のキラニン卿の自著によると、彼がIOC委員になった1952年には、国家元首1人、王子3人、大公1人、伯爵3人、さらに「閣下」の称号で呼ばれる人がたくさんいたという。

「当時はサマランチ会長が決めていたも同然でした」。そう述懐するのは、1982年に委員に就任した猪谷千春(82)だ。その年の4月、来日していたサマランチ会長と東京のホテルオークラで面談し、お墨付きを得て、5月に就任が決まった。

猪谷千春氏=稲垣康介撮影

「私は独裁者ではない、オーケストラでいう指揮者のようなものだ」。猪谷は、サマランチがそう語るのを傍らで聞いていた。ただ、総会で自分が通したい議案を諮るとき、「では、反対の人は挙手を」とにらみを利かせて賛否を問う手法は、かなり独裁色が強かった。2001年夏、会長の座をおりる際、21年の在任期間中に選ばれた委員は全体の9割以上を占め、サマランチの威光は絶大だった。

■オリンピック・ファミリー

2013年7月、スイス・ローザンヌで国際オリンピック委員会(IOC)臨時総会を終えた後、記念撮影するジャック・ロゲ会長ら理事たち=西畑志朗撮影

1998年暮れに発覚したソルトレーク招致スキャンダルが、メンバーの決め方を大きく変えるきっかけになった。商業主義の扉が開かれ、五輪の経済効果を期待する各都市の招致活動が過熱すると、立候補都市からIOC委員への過度な接待が常態化していった。子どもの大学の学費負担や高額の資金提供など、巨大な利権をめぐる醜聞が噴き出し、10人の委員が追放・辞任に追い込まれた。

改革を求められたIOCは、委員の定年を80歳から70歳に引き下げた。任期も8年とし、再任は総会に諮ることも決めた。一時は130人程度に膨れあがった委員数の上限を115人にした。そのうち、70人枠の「個人資格」については、IOC委員らで構成する指名委員会がスポーツ界における業績などを審査して理事会に提案し、総会に諮るという手順を踏むことになった。

一方、「選手委員」「国内オリンピック委員会の代表」「国際競技連盟の代表」からそれぞれ最大15人を委員に加えることにした。IOCは五輪に協力してくれる団体を、親しみを込めて、「オリンピック・ファミリー」と呼ぶ。国際競技連盟や各国のオリンピック委員会の幹部を仲間に入れることは、民主的な組織運営を世論に訴えるには必要なことだった。

なかでも、選手代表を仲間に招き入れたのは、「選手本位」を強調するIOCが開かれた組織をアピールするのにもってこいの改革だった。7月3日のIOC臨時総会。初々しい笑顔のアスリートたちが会長のロゲとともに、写真に納まった。IOC委員の選手枠を争い、昨夏のロンドン五輪期間中にあった選挙を勝ち抜いた4人だ。トップ当選した射撃女子メダリストでスロバキアのダンカ・ベルテコバは28歳。最年少の委員だ。

06年以降に就任した委員39人の中でメダリストは、実に半数近くの16人に上る。